48,見詰める行方
鬼人を太陽国に受け入れる……まだ他国にも国民にも内密に進められているこの協約。それを鬼人に伝える期限が迫った弥生の終わりに、鈴音は太陽国最上階・王の客間にいた。
鈴音は国王やその代理人の日々間、警備兵・暗影兵から、その怪我はどうしたんだと尋ねられたが、馬から落ちたのだと嘘を吐いた。この状況で鬼人の株を下げるような発言は控えようと考えたからだ。
鈴音は怪我が痛まないように、そっと自分に用意された椅子に座った。目の前には豪華な食事が置かれた檜の机、そして対面に置かれた真珠の椅子には、国王がずっしりと腰をかけている。彼は上機嫌に笑みながら、欣快な面持ちで言った。
「お主を待ち望んでいたぞ……さぁ、結果を素早く、簡潔に報じて下され」
鈴音は頷く為に首を動かし、途端に鋭い痛みを感じた。大きく息を吸い込み、顔を顰めながら震える声で「はい」と短く返事をする。
「現時点で鬼人五十四名がこの計画に乗じて下さいました。更に時間を賜り、交渉を進めていけば、数は倍に増えるかと」
「ふむ、上々なり」
国王は御満悦そうに大きな笑い声を上げ、日々間は恍惚とした表情を浮かべる。国王は笑い終えると、日々間に目で何事かを合図して、別室から書物を二冊持って来させた。彼はその書物の一冊を国王に、もう一冊を鈴音に恭しく手渡し、怖気が走る程に丁寧な口調で説明を始めた。
「鈴音殿、これが太陽国に在住する鬼人に定めた法律の要覧です。目を御通し下さいませ」
鈴音はその書物の隅から隅までを隈無く読み進めた。段落・一文・単語、全て難しい言葉ばかりで構成された分かり難い連なりである。しかし、鈴音は学舎で多くの書物を読み込んでいたので、理解する事はそれ程困難ではなかった。書物には太陽国で生活するにあたっての基本的事項が書かれている。然れども、鈴音は凛とした眼差しで告げた。
「……まだ平等とは言えませんね。人と鬼、更なる権利の平等化を目指しましょう。鬼人と相談し合える事柄は何度も彼等と討論して決議するべきです」
「承りました、鈴音殿」
暫く見ぬ間に、日々間は忠義者となっていた。この策を完遂させる為には鈴音の機嫌をとるべきだと考えているようだ。見え透いた浅はかな策である。国王は書物を長い時間を掛けて読了し、真剣な面持ちで鈴音に告げた。
「さて、法は後に議決するとして、鈴音殿。お主のやるべき作業がまだ残っている」
「はい、国民を納得させる。……国王様、貴方様のお力でわたしに、太陽国の国民全てに演説をする機会を設けて下さいませんか?」
鈴音の頼みを聞いて、国王は目付きを鋭く変えた。何も口に出さなくとも、その瞳が彼の思いを告げている。まさかお前の策は、演説をして国民に納得させるという浅ましい行動なのか。どう考えても無謀なその計画が、お前の策略なのかと。
鈴音は何も言わずに、怒りを湛えている国王の表情を静かに見詰めていた。一瞬で険悪な雰囲気に様変わりした空気の中、日々間が丁寧な口調で鈴音に物申した。
「鈴音殿、お言葉ですが、演説を行うのであれば、少なくとも世間に影響力のある人物・見地されている人物が行った方が得策かと。私達も協力を惜しみません。貴方様は、お言葉に少々の訛りが御座いますし、未来の大将軍では御座いますが、外国の御方で有ります」
「すみません、有り難いお言葉ですが、わたしはわたしの言葉で、国民に思いを伝えたいのです」
鈴音は国王を見詰めたまま強い意志で言った。日々間は顔を僅かに引き攣らせたが何も言わない。鈴音は、身分の高い人間が演説をして得られた見せ掛けの納得など望んでいないのだ。国王は溜め息を吐いて、飽きれたような口調で面倒臭そうに話した。
「国民はお主がどのような立場の人物かを理解していない。見地していない人物の言葉など意味をなさないであろう」
鈴音は素知らぬ顔で「そうでしょうね」と答えた。国王と日々間は全く不愉快だという表情を浮かべる。その二人の様子を見て、鈴音は申し訳なさそうな口調で謝った。
「すみません、何を言っているのだとお思いでしょう。ですが、せめて一度だけでもわたしに演説をさせて下さい。今は事情をお伝えする事は出来ませんが、必ず契約は果たします」
国王は表情を緩め「相変わらずだな」と呟き、鈴音に演説をする許可を与えた。今年の生け贄祭は鈴音が太陽国に向かっている最中に過ぎ去っていたので、新たな場を設けてくれるという。中心都・神住み広場に国民を集め、演説を始めるのだ。その為に中心都は初めて、生け贄祭を除いた日に下流階級の人間を受け入れる事となった。
鈴音は国王との会議を終えた後、グルルと再会を果たした。太陽城から離れた太陽国中心都隔離施設の地下五階、随分と入念に清掃された綺麗な檻の中に、グルルは退屈そうに眠っている。グルルのお世話係を任されていた鎧兵が言うには、檻の中をしっかり掃除して、豪華な食料を与えなければ、凶暴な鬼熊は態度が悪くなるらしい。
鈴音が蝋燭に照らされた薄暗い地下の一室に入ると、グルルは暗がりの中で『何だその怪我?』と半笑いで尋ねてきた。鈴音が事情を全て話すと、傲慢な鬼熊は笑みを浮かべたまま『へぇ、いろいろあったんだな』と返事をし、大きな欠伸をしてから眠り始めた。しかし、眠っている筈のグルルは何度か瞼を開けて、鈴音の身体をチラチラと心配そうに覗いていた。
鈴音は演説で話すべき事柄を考える作業に一週間を費やした。ある日、日々間が演説の内容を考えると言い始めた時分にはどうなる事かと不安になったが、自分の言葉で伝えたいと主張し続け、ようやく念願叶った日には既に与えられた期限の半分を切っていた。
時間を望めば望むほど、「今」は素早く過ぎ去っていく。鈴音はレインが椎名に託したものを利用しようと決めていた。その手を使わなければ自分の言葉に意味を持たすことは出来なくなる。鈴音は決意し、覚悟した。自分の思いも、鬼の思いも、人の思いも、是非はともかく、これで全てが決する。復讐と怨恨の連鎖は続くのか、終わるのか。日は風のように過ぎ去り、時は来た。
その日、中心都唯一の出入り口である世渡り橋の警備はとかれ、年齢・階級問わず太陽国中の人々が集まった。「国を変える演説」と銘を打たれているのだから当然だ。鈴音は中心都の借家から松葉杖をついて歩き、人の群れを掻き分けて進んだ。そして、演説舞台である神住み広場を通り過ぎ、やっとの事で僅かに開かれた太陽城城門の内側に入り、息をついた。
「凄い人ですな。鈴音殿、大丈夫ですか?」
黒い高価な衣装を纏った日々間の言葉に、赤い質素な着物を着込んだ鈴音は真剣な面持ちで頷いた。衣装は演説をする上でも大きな意味を持つ。纏う衣によって話す者の立場を明確に示す事が出来る為だ。しかし鈴音は敢えて価値の低い着物を選んだ。民衆の真意を望んだからだ。
「それでは参りましょう。鈴音殿、貴方が話す際は台に設置されているあの道具を通して下さい。仕組みは申しませんが貴方の声を増幅させてくれます。私は地声で充分ですが」
神住み広場に置かれた、鈴音の背の高さ程の木製の台座。日々間はそこに設置された紙製の円錐型の筒を指差して説明した。鈴音は頷き、「行きましょう」と告げる。
日々間が左腕を振り上げる合図で太陽城城門が開かれ、鈴音と日々間は神住み広場に置かれた台座の上に早歩きで向かった。二人が歩く道は警備兵によって確保されていたが、周囲は民衆の洪水で溢れている。鈴音が松葉杖で必死に歩いていると、「あの娘は誰だ?」という声が幾つも聞こえて来た。
鈴音と日々間は三段の階段で台座に上がり、見渡す限りの民衆を見下ろした。ここでもまた「あの娘は誰だ?」という戸惑いの声が響いたが、その声も日々間の大声に掻き消された。鈴音は彼の大声から耳を守る為、とっさに右手で耳を防ごうとして、失礼な行為だと思い至り直ぐに腕を下げた。
「さて、太陽国の同胞達よ。この日この場所から国は変わり、世界は変わる。刮目せよ!」
民衆の喚起の叫び声。日々間は小声で鈴音に「どうぞ」と囁くと半歩下がった。鈴音は頷き、大きく深呼をした。心臓が騒がしく高鳴り、汗が身体を伝う。自分を落ち着かせて、目の前に設置された機械に近寄り話し始めた。
「みなさんは、いつを見詰めて生きていますか?」