41,覚悟の取引
グルルの手を借りれば移動は楽に済んだ。赤坂村から中心都の出入口である世渡り橋まで半日もかからずに到着したのだ。
鈴音はグルルを見送った後、辺りの様子を見渡した。世渡り橋は武装した兵隊達に抜け目なく守護されている。鈴音は覚悟を決めて、橋の前を堂々と往来した。兵隊達は指名手配犯である娘の姿を見掛けると、我が目を疑いながらも大慌てで彼女を捕えた。兵隊達は何の抵抗もせず組み伏せられた娘を見て拍子抜けした様子である。きっと国王の代理人あたりに、この娘は危険な犯罪者だから気を付けろとでも報告されていたのだろう。
鈴音は腕を後ろに組み、膝を地につくように指示されて、その格好のまま、次の対応を待った。視界には無人の世渡り橋が入り、直ぐ背後には二人の鎧兵が警戒している。しばらくすると冷たい雨がポツポツと降り始めたが、彼女は微動だにせず、体温を奪う水滴を感じながらひたすらに耐えた。
着物が濡れ、髪から水滴が滴り落ちてくる。膝をついている地面が湿り、着物は泥に汚された。雨は背後にいる兵隊の鎧に音をたてて降り落ちながら、次第に激しくなっていく。その時ようやく兵隊に動きがあった。三人の人影が橋の向こう側から現れたのだ。
「運も尽きたな。愚かな娘」
国王の代理人は不気味に笑みながら言った。右隣にいる兵に傘を差させて、芝居がかった大きな挙動で鈴音を馬鹿にしている。左側に佇むもう一人の兵隊は、鈴音の手首を掴んで強い力で引っ張り、そのまま無表情で太陽城へと歩み始めた。
道中、国王の代理人は頻りに鈴音を侮辱した。どうやら幾ら暴言を吐いても怒りが治まらないらしい。鈴音はただ無表情のまま、罵りの言葉に耐え続けた。
鈴音は手首を掴まれ、びっしょりと雨に濡れながら、中心都の道を進んでいく。祭りの際は人の群れが洪水のように流れていた偉大な都の地は、現在誰一人歩いていなかった。
太陽城の城壁が開かれ、太陽城内部に足を踏み入れても、代理人は口を閉じる事はなかった。鈴音は滑らかな段差の階段を登る際、更に左足を痛めたが、敵にこれ以上喜びを与えないように表情を崩さぬ努力を続けた。
「そのような身なりの者を二度も国王の城に入れるなんて……」
「いったいあの娘はなんなんだ」
城のなかで何人もの人々がそう口にした。確かに鈴音の着物は只でさえ質の良いものではない上、それが泥で汚れている。果てには全身が雨で濡れているのにも関わらず、拭くことも許されていない為、鈴音の歩いた後には水滴の跡がついていた。しかし、だから何だというのか。鈴音はこの城に価値など感じないのだから。
「私だ。国王に」
城の最上階で兵士二人が守護している襖を代理人が強引に開けながら言った。兵士二人は咎人のような身なりの鈴音を見て驚いていたが、代理人の顔を見て何も言わずに配置に戻った。鈴音を引っ張っていた兵士は部屋に入れないらしく、手首から腕を話して城下に去って行く。鈴音は痺れる手首を擦りながら部屋を見渡した。
「国王。例の娘です」
例の大きな机で孤独に食事を取っていた国王に、代理人が耳打ちした。国王は随分と鈍い動作で動き、布を手にとって口を拭いた後、鈴音を見てニヤッと若々しい笑顔を見せる。
「逃亡は楽しかったかね? 聞くところによると、自ら捕まりに来たらしいが……それは……」
鈴音は国王の言葉にかぶりを振り遮った。国王もその代理人も、その余りに不敬な態度に、怒りよりも驚きの方が大きい様子である。
しかし当然、鈴音自身も一国の王に対して不敬な態度をとりたくはない。それでも自らの計画、取り引きをする為には弱腰ではならない。例え偽りでも余裕が必要なのだ。国王が黙ると、鈴音は胸に手を当てて礼をしてから話し始めた。
「国王様。わたしの力が誰かの為に役に立てるのならば、わたしは喜んであなた達の手足となりますが……鬼の力を欲するのならば、他に簡単な術がございます」
「馬鹿な……今更お前の戯言などに誰が耳を貸すか。お前が我々の監視から逃げ出した時点で、我々の命令に従う意外に生きている価値はなくなっ……」
代理人の嫌味を国王は一睨みで黙らせた。鈴音はその国王の表情を見て、この人が世界でも有数の権力を握る人物であるということに今更ながら納得した。彼の瞳にも、額に刻まれた皺にも、白く長い髭にも、様変わりした表情の国王には威厳が満ちているのである。
「確か監視しているという報告は受けなかった筈だが。日々間……少し黙っておれ」
国王の言葉に、代理人の日々間は軽くお辞儀をしてから半歩後ろに下がった。鈴音の位置からその表情は伺えなかったが、相当国王を恐れているようだ。間を開けず、彼は続けた。
「さて、鈴音殿。お主の考えを訊こうか。言っておくが、偽りは許さぬ」
鈴音は戸惑いながらも頷き、深呼吸をしてから話を始めた。
「まずあなた方の望む鬼の軍隊ですが、実現は不可能です。鬼は決して従わない。誇り高い生物ですから、仲間の為だけに戦います」
国王は頷きもせずに聞いている。しかし鈴音も気にせずに続けた。
「次に、鬼の言葉を話せる者を複数人つくることも出来ません。鬼の言葉は教われるものではないのです。彼等と接していくうちでしか、身に付けることは出来ません」
「まて、なら何故お前は話すことが出来る?」
日々間が耐え切れず、口を開いた。国王も同様の問いを抱いていたようで、日々間が口を挟んでも何も言わなかった。鈴音は「わたしの場合は偶然が重なっただけです」と前おいた。
「お二人とも、おそらく気が付いておられるのでしょう? わたしは鬼に育てられました。しかし、鬼の言葉を習得したのは只の毒の後遺症……それがなければあんなにも複雑な言語を理解することはできなかったでしょう」
国王にとっては「鬼の言葉」よりも「鬼に育てられた」ことの方がよっぽど大きな衝撃だったらしい。おそらく頭の中では無限の疑問が泉のように湧いて出てきている筈だ。しかし、国王が口に出した言葉は「それで?」だけだった。
「はい。わたしの意見は、鬼の力を欲っするのならば、人間と鬼を相互に理解させ、この国を……太陽国を、戦後初めての両種共同国とすることです」
「馬鹿な!」
日々間が絶叫に近い大きな声を上げた。国王は戸惑いながらも、威厳のある表情を鈴音に向けている。鈴音はその威圧感をはねのけ、高鳴る鼓動を抑えようと必死に言った。
「鬼の方はわたしがなんとか出来ます。後はあなた達次第です」
沈黙が部屋の空気を埋め尽くす。誰も何も言わない。鈴音は唾を飲み込み平成を装ったが、上手く呼吸が出来ない程に焦燥していた。すると国王が突然短く答えた。
「よかろう」
国王の即答を、鈴音は直ぐ様に理解出来なかった。叶うかどうかも分からない。最低でも長い時間は必要だと考えていたのに、国王は簡単に決断してみせたのだ。日々間は口をパクパクあけて物もいえない様子である。
「鬼を受け入れよう。だが、それを国民が納得するかね? 今度は内乱が起こるかもしれぬぞ」
「く、国の人々への対処はわたしに考えがあります。しかし、いいんですか? みんなを……鬼を……本当に?」
「余に出来ることはしよう。我が国の為ならば、何だって利用する。国民を納得させ、鬼を連れてくる手筈は作れるのは、世界で貴女一人だけであろう。我々にとっても、これは善き機会だ」
鈴音は、まだ現状を理解できないまま、夢見心地でゆっくりと頷いた。鬼と人とを繋げる許しを得ただけだが、鈴音にとっては大きな一歩だ。こんなにも簡単に全てが決まっていくのなのだろうか。
そうではない事を、鈴音は後に知る。




