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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第一章
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4,未来への葛藤

「……わたしは、これからどうやって生きていけばいいのでしょうか……?」


 幼い少女が、森に舞い落ちた青い葉や細い木の枝の上を歩きながら弱音を吐いた。辺りは既に薄暗くなり、一緒に並んで歩いている背の高い鬼が、少女を一瞥もせずに、ただ前を真っ直ぐに見詰めて低い声で答える。


『人間としてのお前は死んだ。今からお前は、鬼人として生きるのだ』


 森を抜けて、広い里が見えた。樹木のない景色を、少女は久し振りに眺めた。

 



 木造の建築物が立ち並ぶ島の集落に、二百人程の鬼人達が暮らしている。皆それぞれの職に見合った生活をしていて、裕福とは言えないまでも、それなりに安定した生活をしていた。建てられた鬼人の家々はどれも天井が高く造られていて、一軒一軒が非常に大きい。全ての家が三十年程の建築なのだが、それよりも遥か昔から、そこに在り続けていたかのような趣きを出している。自然と共に生きる鬼人達は、自分達の家の庭に多用な植物を育てる事も忘れない。


 鈴音は漸く自分の住む里に着き、叔父さんとリアンと共に、三人で暮らしている我が家へと帰ってきた。家は二階建てで、部屋は全てを合わせると十もある、鬼人にしても大変に広い家屋だ。


 鈴音は鬼人の為に造られた、人間にしてみると大き過ぎる玄関の戸を開けて言った。


『ただいま!』


 すると、いつも通りの気だるそうな低い声で、居間の方から返事が返ってくる。


『お帰り〜』


 あの声はリアンのものだ。昼寝でもしていたらしく、声がはっきりとしていない。鈴音は笠と長靴を脱いで、雪に濡れた髪と衣を布で拭きながら、声のした居間へと向かった。


『リアン、おじさんは何処にいるの?』


 鈴音は、居間で寝っ転がって読書をしているリアンに向かって尋ねた。リアンは、おじさんにそっくりな顔を鈴音に向けて、眠たそうな青い目を手で擦りながら答えた。


『薬草をアンおばさんに届けに行った。おばさん、犬を追っかけてて転んだらしいぜ』


 リアンは言いながら笑っている。


『笑っちゃ駄目でしょう……』


『親父に何か用でもあんのか?』


 リアンがゴロゴロと寝返りを打ちながら、別段興味も無さそうに尋ねる。


『烏眼の実を採ってきたのと……後……』


 鈴音は言いながら口籠もった。すると、リアンは鋭く瞳を光らせ、突然厳しい声で言い放った。


『ロダンに何かされたか』


 リアンは勘が鋭く、嘘が通用しない。鈴音は焦り、慌てて言葉を返した。


『別に、大した事はされてないよ。それに、おじさんと話したい事は、もっと重要な話……』


『やっぱり、何かされたんだな? あいつ……今度会ったら……』


『争わないでね、リアン。わたし達、もう直ぐ大人になるんだから……』


 学校を卒業したら、成人になる。成人の鬼人が守る法には、争いを起こした者を厳しく罰するように定められているのだ。あの三人のせいでリアンが傷付く必要はない。


『わたしは全然大丈夫。お昼ご飯作ってあげるね。何がいい?』


 鈴音はパッと笑顔になって明るく言った。その言葉に、リアンは渋々といった様子で返事をして、それ以上赤鬼達については追及しなかった。




『ねぇ、リアン。もし……もしもだよ。薬調合師以外になりたい夢があって、それがとても難しい事だったら、どうする?』


 鈴音が唐突に、リアンに頼まれて作った鬼魚の照り焼きと米を二人で食べながら尋ねた。リアンは腹が減っているらしく(大方朝食でも抜いたのだろう)、凄い勢いで昼食を食べながら尋ね返した。


『どうするって?』


『叔父さんに言うか……諦めるか……』


 リアンは食べるのを止めて暫く真剣に考えた。それから少し時間を置いて、彼にしては珍しく真面目な声の調子で言った。


『そうだな……俺はそんな事考えた事もないが、よっぽどそれが大切な夢なら、親父に言うだろうな。今直ぐにでも……』


 鈴音は俯き、『今直ぐにでも……』とリアンの言葉を繰り返した。


『鈴音、お前がどんな事を考えているのかは知らねぇ。だがな、お前が何かに悩んでいるのは、俺も親父も知っている』


 その言葉に鈴音は驚いて、リアンの顔を真っ直ぐに見た。リアンは微笑んでいる。


『悩み事ってのは、俺はてっきり赤鬼絡みだと思ってたんだが、成る程な、職の事で悩んでたのか』


 鈴音はその言葉に、『例え話だってば……』と小さな声で呟いたが、リアンはそれを無視して続けた。


『親父は別に薬調合師になれって命令した訳じゃないだろ? 他に考えがあるなら、遠慮無く言ってみたらどうだ?』


 鈴音は僅かに首を縦に振った。しかし、リアンは知らない。鈴音の夢が、鬼人と人間との関係を深める事だという事を。その為には、この鬼人の島を出て、人間の土地に行く必要があるという事も。言おうとしたが、躊躇してしまい、機会を逃して結局話せなかった。



 

 その日の夜。おじさんはアンおばさんから貰ってきた大量の果物を鈴音に渡して、低いしわ枯れた声で

『リアンにも分けてやれ』と言うと、さっさと薬草調合部屋へ行ってしまった。鈴音は自分の夢を言い出すどころか、烏眼の実を渡す暇さえ無かった。


(このまま言い出す事も出来ずに、夢を忘れて年老いていくのだろうか……)


 鈴音は晩ご飯の時も、隣に座るおじさんに話しを切り出す事もせず、暗い気持ちのまま、自分の意気地のなさと心の弱さにひたすら嫌悪感を抱いた。




 鈴音は眠る直前、自分に与えられた十畳程の部屋で布団に包まって、おじさんと出会った日の事を思い出していた。深緑の森の中、おじさんは今も変わらない古傷だらけの顔で、鈴音に何度も繰り返して言っていた。


『人間の事は忘れるのだ』


 おじさんは幼い頃に人間の手によって、自分の住んでいた村を破壊された。その時、家族も友達も皆殺されたらしい。常人以上に、人間を恨んでいるはずだ。だと言うのに、人間である鈴音の命を助けた理由は、誰も知らない。勿論そんな事を本人に聞けるはずもないので、鈴音は心の中で時々疑問に思う事しか出来なかった。


『おじさんは人を嫌ってる……』


 鈴音は布団の中で、小さな声で呟いた。人の世界に行きたいなどと言ったら、絶縁されるかもしれない。しょせんお前は人間だったのか……と暗い声で言うおじさんを想像した。頭の中から、黒い空想が止めることも出来ずに湧いてくる。


『どうしよう……』


 卒業まで後一ヶ月。時間は止まる事無く、流れるように進んで行く。


 鬼人と人間が仲良く過ごせる未来を、思い続けて何年経つだろう。歴史を学べば学ぶ程、叶わぬ願いだと感じてきた。それでもこの夢は消える事無く、心の中に有り続ける。


 その日に鈴音が見た夢は、不思議なものだった。とうに忘れ去った筈の、家族の夢だったのだ。豪華な船に乗せられる直前、見たこともないような上等な衣を、母が着させてくれている。


「あなたは、これから天国に行くのよ……」


 母は泣きながら、鈴音の着物を帯で結んだ。鈴音は涙で濡れる母の顔を、寂しそうな眼で見詰めている。隣には、厳格そうな顔をした父がいた。悔しそうな表情をした四つ年上の兄もいる。たとえ夢であろうと、人を見たのは……家族を見たのは久しぶりだった。


 鈴音は夢の中で家族の顔を見渡して、考え直した。


(わたしは、何と言われても人間なんだ。鬼人に育てられた、人間だ。決して鬼人になりきる事も、人を忘れ去る事も出来ないんだ。でも、だからこそ、出来ることがある筈だ……)



 

 次の日の朝、鈴音は寝巻きのまま自分の部屋を出ると、おじさんの部屋に小走りで行った。戸を二度叩くと『いいぞ』という低いしわがれた声が返ってきた。鈴音は戸を急いで開けて、部屋の片付けをしているおじさんの後ろ姿を見つめて言った。


『全部、お話します』


 たったこれだけの言葉に、おじさんは片付けをしていた手を止め、鈴音のほうを見て滅多に見せない笑顔を作った。


『待っていたぞ。さぁ、話せ』


 二人は向かい合って座り、話し始めた。



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