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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第四章
39/58

39,断ち切れぬ絆

 鈴音は林道を抜け、そこでピタリと立ち止まった。幸い月の光と雪のおかげで辺りは明るく、林道の入り口からでも、傾斜に建てられた赤坂村の家々を見渡す事が出来る。しかし暗影兵の姿はどこにも見えない。


 鈴音は耳を澄まして必死に周りの音を聞き取った。すると、風の音に交じる足を引き摺って歩くような奇妙な音が、村の入り口方向から聞こえてきた。やっぱり怪我をしているんだ……彼女は焦り、右足を踏ん張って歩き続けた。


 月の灯りに照らされて、村の中央に向かう何人分かの足跡を見付けた。積雪の地面にはその汚れた足跡と血痕が残されている。鈴音はその後を追って歩き、村の傾斜に差し掛かった辺りでようやく前方に五つの人影を確認した。


 鈴音が声を掛けようと口を開けた途端に、暗影兵は一斉に振り返って剣や槍などの武器を構えた。彼等は青い防具を身に纏い、身体の至るところを包帯で粗末にグルグル巻いている。五人のうちの一人は最早歩く事も出来ない有り様で、剣を構えた仲間の肩を借りて朦朧とした瞳を鈴音に向けていた。


 警戒されても仕方がない。まずはこちらから様子を伺わなければ……鈴音がそう考えていると、その一団の隊長らしき人物が剣を腰の鞘に納めた。周りの暗影兵は隊長のその様子に訝しげな表情を浮かべながら、同じように剣を納める。


「……助けてやってくれ」


 隊長が息絶え絶えに言う。鈴音は彼の顔に見覚えがあった。九百六十七番……偶然に二度出会った事のある若い青年だ。自分の命さえ下らないものだと考えている彼が動揺している。鈴音は左足を引き摺りながら急いで彼等に近寄った。


「君は……」


 九百六十七番が驚きの声を上げたが、鈴音は軽く会釈を返しただけで、既に酷い傷を負った暗影兵を見ていた。重傷だ。鈴音は一団の先頭を歩き、一太郎の家へと向かった。近くにある廃墟では、治療するには不潔過ぎる。


 道中、鈴音は背後にいる筈の暗影兵の気配が消えた為に、彼等がどこか別の場所に向かってしまったのではないかと焦燥したが、振り返って見てみると、五人は気配を消しているだけで、後方に着いて来ていた。


 全員に一太郎の家に上がってもらい、特に酷い傷を負った者から順に診ていく。鈴音は薬術を学ぶにあたって、医学をある程度学んでいたのだ。深いキズを負った者には血止めを行い、化膿止めの薬を与える。後は消毒をした上で包帯をきちんと巻き直し、暖かい部屋でゆっくりと休んでもらう。鈴音に出来る事はこれだけだった。


 四人の治療が終わり、鈴音は五人目……九百六十七番を診ようと部屋を見渡したが、彼の姿はどこにも見当たらない。仲間をおいてこの村から去るとも思えないが、彼自身も傷を負っているのだ。鈴音は立ち上がり、急いで戸口から外に出た。しかし、玄関の前に置かれてある長椅子に彼は平然と座っていたのだ。


「驚いた……あなたも怪我をしているのでしょう?」


 鈴音が尋ねると、九百六十七番は「怪我のうちに入らない」と答えてから、月の光でぼんやりと見える林道の奥の方を見詰めた。それから溜め息をついて、目線はそのままに話しを続ける。


「この家には一人の老人が住んでいた筈だが、俺の思い違いだったか?」


 薬の準備をしていた鈴音は少し驚いて手を止め、何故おじいちゃんの事を知っているのだろうと疑問に思いながら、「去年、亡くなりました」と簡潔に答えた。


 九百六十七番は一瞬表情を強張らせたが、直ぐに平静を取り戻し、「そうか」と短く返事をした。鈴音は彼のその様子を見て、心がチクリと痛んだ。この人は直ぐに感情を押し殺す。それもほとんど反射的に行っているようだ。鈴音は包帯を手に持ち、「左腕を出して下さいませんか?」と伺った。


「必要ない」という彼を無視して、鈴音は九百六十七番の雑に巻かれた包帯を解き、傷に消毒をした後新しい包帯を巻き始めた。彼に刻まれた傷は鋭く切り裂かれた痕のようだ。他の暗影兵達も同じような傷痕だった。どこかで誰かと争ってきたのだろうか……。


 包帯を巻いている間、九百六十七番は困惑の表情を浮かべ、目を細めた。鈴音にはその様子が、何かを思い出している様子に見える。しかし真意は定かではない。静かな冷たい夜の林に囲まれながら、鈴音は何気ない調子で尋ねた。


「わたしのことを、あなた達は組織から何も報告されていないのですか?」


「実のところ、暗影兵全員に君を捕らえろという命を下されている」


 鈴音はガックリと気落ちした。やはり自分は軽率な行動をとってしまったのだ。足を捻ってまで逃げた相手に自分から会いに行ってしまった。九百六十七番が「……だが」と続ける。


「俺と行動していたあいつらが、君を捕らえる事を拒むだろう。まだあいつ等は若い……といっても名を捨ててからの年齢だが。まだ冷酷に撤しきれない。自分達を救った娘を、捕える事など出来ないだろうな」


 鈴音は九百六十七番の言葉の意味を理解するのに数秒時間をかけた。そしてようやく彼の真意を悟ると、有り難いやら意外やらで困惑し、戸惑いながらもう一度尋ねた。


「あなたは暗影兵に入隊してどれぐらい経つのですか?」


「名を捨ててから、七年になる。これでも一小隊を任される程度の古株だ。死が蔓延する暗影兵ではな」


 鈴音は暗い気持ちで話を聞いていた。死が身近に存在し続けるなんて、耐え難い苦痛に違いない。そんな場所に身を落としてまで、なぜ彼等は暗影兵として存在し続けるのだろう。すると、九百六十七番は一人事のような口調で続けた。


「任務で部下を負傷し、辺りに隠れる場所が必要だったんだ。付近にこの村があり、約十年ぶりに帰ってきた。ここは俺の故郷だったんだ」


 九百六十七番は顔を伏せる。その行為を鈴音は悲しく感じると共に、彼の故郷がこの村だという事実に驚嘆した。


「思い出すよ。名があった頃、両親……友達……」


 鈴音はその口調から懐かしい感覚を味わった。この村に住んでいた頃、彼とは知り合いだったのだろうか。九百六十七番は林道から鈴音に視線を移し、続けて話した。


「不思議だな。俺は感情を押し殺す訓練を何度も受けてきた。だというのに、この村に帰って来て、随分感傷的になってしまったようだ」


 鈴音は九百六十七番を見つめ返した。初めて会ったあの日から、この人に近付いてはならないと直感的に悟っていた。後に椎名から彼は暗影兵だと聞かされて、だからそう感じたのだろうと納得したが、今ならはっきり分かる。そうではないのだ。鈴音は、尋ねてはならないと心の奥で叫ぶ自分の声を必死に無視し、そっと言った。


「あなたは……幼い頃に大切なものを奪われたとおっしゃった。それは……」


 九百六十七番は自嘲するようにフッと笑い、過去を振り返るような遠い眼差しをして答えた。


「妹だ……俺の」


 世界がグラグラと揺れる。赤坂村……家族……父によって奪われた妹。鈴音は動揺を隠すことが出来ず、身体の震えを抑える気にもなれなかった。目の前がぼやけ、自分がこの世に存在していることが不確かな感覚に陥る。鈴音の奇妙な様子に九百六十七番は訝しげな表情を浮かべた。鈴音は視線を真っ直ぐに、ほとんど何も考えずに再び尋ねた。


「あなたの……お名前を。冷たい数字ではなく、本当の名前を……教えて下さい」


 九百六十七番は答える事を躊躇っていた。しかし、おそらく本人も無意識のうちに、口が勝手に開いたかのように、ごく自然に答えた。


「音無龍一」


 鈴音は掌を開いて、腕を前に突き出した。自分でも何をしているのか半分分かっていなかっただろう。しかし、その行為が自分の宿命だというように、何の疑いもなく身体が動いていた。……また綾乃に俺が会った時……何時になるか分からないけど……こうやって絆が切れていないかを確認しよう。ーー大丈夫。人の絆は見えないからこそ強いんだーー


 九百六十七番も同じように手を開いて突き出し、鈴音の掌と自分の掌を重ねた。九百六十七番は自分でもその不可思議な行動をとった事に驚いているようだ。


「……お兄ちゃん」


 鈴音の呟きに、兄は目を見開いた。




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