37,国王との対談
太陽国第四十二代目国王・黄君。四十年前に国王として即位し、現在七十二歳。百年戦争を経験し、その天才的な頭脳で様々な戦略を企てた。鬼人との戦乱において人間側を勝利に導いた一人と言われ、世界でも注目されている男である。
鈴音は座り心地の良い椅子に腰を掛け、机に並べられた御馳走には見向きもせず、向かい側に座る国王を静かに見詰めていた。腹が減っている事も、強烈な睡魔の襲撃も気にしない。自分が何故この城に呼ばれたのかを見極めなければならない為だ。すると、その様子を観察していた国王が勘違いして丁寧な口調で話した。
「古瀬殿……いや、偽名だったか。鈴音殿、あなたが他国出身だという事実は我々も承知している。余が王だからといっても言葉に気を遣う必要はない。気を楽にして話すがよい」
鈴音は一瞬何の事だろうかと首を傾げたが、国王と話すには許可がいるものなのだろうと納得した。そして黙っていても話は進まないだろうと判断し、緊張して顔を強張らせながらも率直に尋ねる。
「わたしは何故貴方様に呼ばれたのでしょうか。中心都に入る事すら禁じられている筈なのに……」
「その問いにはワタクシがお答えしましょう」
それまで静かに様子を伺っていた国王の代理人が、奇妙な笑みを湛えながら突然口を挟んできた。張りのある聞き取りやすい声ではあるが、どこか芝居がかっているので、鈴音は無意識的に嫌悪感を抱いた。
「古瀬鈴音殿。あなたは去年の春、生け贄祭鬼熊脱走事件において、凶暴な鬼熊を操り制御しましたね」
それだけの言葉で、鈴音は全てを理解した。グルルを檻から救ったあの日、心の片隅で思い描いた最悪の可能性。鬼を操れると誤解し、私欲の為にその力を扱おうと考える人間の存在。そんな利己的な思想を抱いた男が、遂に現れてしまったのだ。国王の代理人はその喜びを押し隠そうとしながらも、他にない新たな武器を手に入れた欣快で醜く顔を歪ませて続けた。
「……あなたが鬼熊を、延いては鬼の種族達を、我が国の武力として育て、操るのです。そうすれば、あなたが関与したであろう数件の事件も水に流しましょう。いいえ、それどころかあなたは太陽国兵隊の大将軍として歴史に名を残す事となるでしょう」
鈴音は胸がズキズキと痛んだ。鬼と人との絆を再び繋ぎ合わせる為に、長い経験を積んできたのだ。そうだというのに、このままでは真反対の結果を作り出してしまう。争いの形は変わるが、鬼と人とが新たな戦いをするという未来を。
結論を出す為の時間も必要ない。鈴音は自分を必死に落ち着かせて、真っ直ぐに国王を見詰める。そして出来るだけ冷静に「そのお話、断らせて頂きます」と述べた。
国王とその代理人は、鈴音の言葉に酷く驚いたようだった。その表情には、この娘は何を言っているのだろうという困惑さえ浮かんでいる。幾許の沈黙が流れた後、国王の代理人は笑みの仮面を脱ぎ捨て、顔を赤く染めながら厳しい口調で話し始めた。
「理解していないのか? その言葉は王への反逆・国家への反逆だ。罪一等、その処罰は罪人の鋸引きと家族の絞殺だ」
「わ……わたしに家族はいません」
「外国にいるという意味か? 安全だと? 我々の国が指示を出せばどこの国でも……」
「いいえ、わたしは孤独の身の上でございます」
鈴音は身の竦む思いであった。恐ろしい。自分の命が懸かっているのだから。それでも自分で始めたのだから、自分が全ての責任をとらなければならない。この旅が始まる前から覚悟していた。それが僅かばかりの勇気を生み出したのか、冷静に返答する事が出来た。
すると国王がフフンと笑った。鈴音は恐怖で震える身体を抑えて、チラリとその様子を伺う。笑みには悪意が含まれていないと、根拠はなくとも感じられた。
「古瀬殿、残虐な刑を前にして臆せぬその心意気や良し。しかし、そこまでして断るような話かね? 我々は単純に武力が欲しいだけなのだ。この世界が今どれだけ不安定か知っておるだろう。国と国どうしのいがみ合いが絶えぬ時代だ。貴方がこの国に手を貸してくれさえすれば、後の平和に繋がるのだよ」
鈴音は唾をゴクリと飲み込み、小さく頷いた。そうなのだろうか。これは平和へと繋がる道なのだろうか。何かが違うような気がする。自分の考えを思うままに伝えてみようと決意した。
「お、お言葉ですが国王。わたしは鬼が人に利用される事が、耐えられないのです。それに、お二人は大きな勘違いをしておられます。わたしは鬼を操れる訳ではありません。鬼と会話が出来るだけなのです」
「それがどうにも分からん。何故お前はそんな面妖な力を持っている。あんな劣等種族の……」
代理人の冷たい言葉に、鈴音は顔を俯かせた。劣等種族。人は鬼を対等に見ようとしない。
鈴音は悲しげな瞳で国王を見詰めた。太陽国国王、彼は鬼をどのように思っているのだろう。劣等種族、戦争の敵、人間の敵、単純な武力。憎悪の対象とは思えない。鬼を恨んでいる人間は、もっと凄まじい威圧感を抱いている筈だ。
「過去など全くどうでもよい」と国王が遊戯を楽しむように言った。「問題は今この時である。古瀬殿、今日は一度帰るがよい。しかし余が諦めたとは思わぬ事だ。貴方には必ずこの国の武力となってもらう。貴方を説得する事こそ、天が我に与えたもうた試練だ」
国王の言葉に、彼の代理人は不満足そうだった。それほど国同士の関係には深い亀裂が入っているのだろうか。鬼人との戦争が決着を迎えた時、世界は勝利に酔い痴れたと云う。それから三十年、平和とはこんなにも脆いものなのだろうか。
鈴音は机に用意された茶に映る自分を見詰めながら、ボンヤリと考えていた。二つの種族は最早、道を交わしてはいけないのだろうか。この世界はもう、過去を振り返らずには進んで行けないのだろうか。
鈴音は行きと全く同じ手順で花宮村に返された。太陽城を出る直前、国王の代理人に呼び止められて耳元で告げられた言葉が頭から離れない。
「お前を暗影兵に見張らせておく。余計な事をすれば、腕一本ぐらいは貰っても仕方あるまい」
日が昇り始めた早朝、鈴音はみやさわに帰ってフラフラと畳に座り込んだ。身体に力が入らない。自分の起こした行為が鬼の歩む道を歪めてしまった。瞼を閉じて、闇に逃げ込む。
たった一晩で全ての希望が塗り潰された。自分が命を絶てば全てが解決するのだろうか。そうは思えない。自分が命を失えば、神住み島の鬼達は更に人間を憎むだろう。そして新たな人喰らいを生み出し、種族間の争いは激化する。
鬼の為に、人の為に、今できる事……それは時間稼ぎだ。ちっぽけな小さな足掻きだ。
鈴音は首にぶら下げてある鬼風響きを胸元から取り出し、思いっきり息を吸い込んで吹いた。暗影兵の見張りから逃げ出す為にはグルルの協力が必要だ。一度人喰らいに誘拐されてから、そういった危険な状況に陥った時分にグルルが救出してくれると約束してくれた。その為に計画した作戦を使う。
鈴音は必要な荷物を用意すると、みやさわに別れを告げた。そして暗影兵の監視から逃げ出す為に、グルルとの待ち合わせ場所に向かい始めた。