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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第四章
35/58

35,特別な誕生日

 冬が訪れ、年が明けた。太陽国の中でも北に位置する北側海岸や赤坂村には雪が降り積もり始めていたが、中心都の隣村である花宮村や月影村は時たまに雪が舞うだけで、山の頂が白く染まる以外に風景に大きな変化はなかった。太陽国最南下の注連縄村に関しては暑いぐらいだと噂で耳にする。


 鈴音は図書館の小窓から月影村の山々を眺め、大きな違和感を覚えていた。この時期に雪が降らないというのはどうにも落ち着かない。毎年この季節の神住み島は、白銀色の世界だった。あまりにも変化が大きすぎて、中々慣れる事が出来ないのである。


 二ヶ月前、グルルの鬼狂いの毒は完治した。しかし未だにグルルは赤坂村の山奥に隠れ、ひっそりと生活している。巨大な体躯の鬼熊を神住み島に連れて行く手段が思いつかないのだ。小舟程度では直ぐに沈んでしまうし、客船に荷物として預けようにも、まず間違いなく確認されてしまうだろう。鈴音が会いに行く度に「約束は守れ」と仕切りに言ってくるグルルをなだめるのは大変な作業だった。




 睦月の五日。太陽国月影高等学舎は冬休みが明け、学生達は不満を口々に呟きながら学舎に戻って来た。鈴音は久しぶりに会う生徒達を見て、自然と笑顔がこぼれた。休みの間は皆それぞれ寮を出て故郷に帰っていたので、会うことが出来なかったのだ。


「先生久しぶり。これ俺の故郷の土産」


 朝早くに図書館にやって来た昇太が、狐の妖怪を模した面を持ってきて、贈り物だと言って渡してくれた。憤怒の形相で面妖な表情をした面は、暗がりで会えば恐ろしくて飛び退いてしまうような迫力がある。


「これつけてたらイタズラが上手くいきやすくなるんだ」


 目を輝かせてそう話す昇太に、鈴音は困りながら曖昧に笑って礼を言った。この面をつけていたら、イタズラをしなくとも叱られそうだ。少なくとも祭りの日でもない限り、この面は物置にしまい込む事になるだろう。しかし、満面の笑みを浮かべる昇太にそんな事は言えなかった。


 朝の内にもう一人生徒が図書館にやって来た。栄作である。休みの間に借りた本を返しにきたのだと言っていたが、彼の本の返却期限にはまだ余裕があった。鈴音が「こんなに早く、朝から返しに来なくても大丈夫だよ」と微笑みながら話すと、栄作は「そういう性分なんです」と照れくさそうに笑った。それから続けて「そういえば先生の誕生日は冬でしたよね。いつですか?」と尋ねてきた。


 鈴音は誕生日と聞いて、なんだかその言葉から妙な違和感を覚えた。人間の大陸に足を踏み入れてから、自分の誕生日の事など一片も考えた事がなかった為である。誕生日自体は生徒をよく祝っていたので(特に昇太が頻りに誇示してきたので)よく図書館で小さな祝宴を開いたのだが、それが自分となると話が違った。全く別物のように感じる。


「あ……今日だ。睦月の五日」


 鈴音がぼそりと呟くと、黒澤は呆気にとられたらしい表情を浮かべて話した。


「自分の誕生日をお忘れに? まるでうちの祖母のようだ」


 鈴音は流石に、今日十七になった自分と黒澤家の七十過ぎのご婦人とを比べられるのは心外だったが「まぁ、そういう事もあるでしょう」と笑って誤魔化した。しかし黒澤はどうにも真剣な表情で黙っているので、鈴音はまた何か難しいことを考えているのだろうかと疑問に思い「どうかしたの?」と尋ねた。すると黒澤は随分と気落ちした声で返事をする。


「大変ですよ。僕はあなたに贈り物も何もない。祝宴すら開けません」


 なんだそんな事か……と鈴音は言いかけて口をつぐんだ。事あるごとに「自分を大切にしろ」と様々な人に言われてきた為である。しかし、鈴音にとって「そんな事」であるのに変わりはない。鈴音は微笑んで「気持ちだけで充分、有り難う黒澤くん」と語りかけたが、栄作はそれから図書館を去るまでどこか暗い影を残したままだった。


 始まりの式と生徒達の清掃活動が終わった昼頃、鈴音は今年に学校でおこなう本の行事について考えていた。去年は九月の終わりに〈書物知識比べ〉と銘打ち、自由参加で集まった生徒達に本の題名と表紙を見せ、いかにその本を理解しているか討論してもらった。これは中々盛り上がり、今まで図書館に姿を見せた事がなかった生徒も、これを機会に図書館へと顔を出す事が多くなった。


 去年と同じ事を別の書物でしてもいいのだけれど、何か捻りが足りないように感じる。などと考えていると、ガラガラと騒音をたてて図書館の戸が開かれた。鈴音は誰が入ってきたのだろうかと企画を思案するのを止めて、机に置かれた模索案を書き留めている用紙から目を離し、戸の方を向いた。


 そこには栄作がいた。しかし彼だけではない。昇太や成子、仁に上級生の一団まで、全員が学舎の制服を着替え、一部には明るい色に染められた着物や縦にトンがった妙な帽子を被った者もいる。特に目立つ昇太は道化師のメイクをしていた。


 そんな奇妙な一団を見て、鈴音は呆気にとられながら「どうしたの?」と言葉を掛ける事しか出来なかった。教師の誰かに見付かったりしたら(自分も教師なのだが)、まず間違いなく大叱られするだろう。お堅いこの学舎にはあまりにも際立つ姿である。


 奇妙な一団は図書館に入り、鈴音の座っている机の側に来るなり突然大きな声で揃って「誕生日おめでとう!」と祝った。鈴音は、ああ、そういう事だったのかと理解した後も、表情を変える事が出来なかった。そんな鈴音の手をとり、両手で包み込むようにして握った成子が、満面の笑みを浮かべたまま、嬉しそうに話した。


「おめでとう……良かったぁ、先生の誕生日を祝いそこなうところだった。もう、先生ったら誕生日を尋ねても日にちまで答えてくれないもの。私達の誕生日は祝ってくれるのに、そんなのズルいよ」


 成子のキラキラの瞳を見ていると、鈴音は心が落ち着いた。昇太や仁が「よっしゃ騒ぐぜ!」と叫んでハチャメチャな事をしたり、栄作が静かな瞳でどこかを見詰めていたり、頭の良い上級生達が難しい談義を行っていたり、そんな様子が、鈴音にとっては何よりも嬉しいのである。そうしてはっきりと理解した。


 そうだ、わたしはズルいんだ。人を愛しておきながら、人に愛される事を拒むだなんて、なんだかとってもズルい。とても大切で、何よりも重要なこと。ただ与えるだけでは駄目なんだ。だってわたしは、弱くて強い人だもの。


 不思議な事にその後図書館内でどんなに騒いでも、教師達は誰も注意しに来なかった。たまたま誰も気が付かなかったのか、それとも事情を誰かが先に話していたのか、鈴音にはどれだけ考えても分からない。しかしとにもかくにも、この日は色々な意味を込めて、鈴音にとって本当に意味のある特別な日となった。




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