30,生きる喜び
『そうだな……余興だ。新人共、この娘をお前達の教育の為に使おうと思っていたのだが、ここには馬鹿の手違いとはいえ、たまたま太陽国一の殺し屋がいる。そこで、この二人を使って何か遊戯をしたいと思うのだが、良い案はないか?』
人喰らいの長は快活に元気良く、列を成して並んでいる赤鬼達に尋ねた。鈴音は、神住み島に住む鬼が人喰らいの団員になっていた事があまりにも衝撃で、まともに物を考えることが出来ないでいる。可能性としては充分有り得たのに、どうして自分はそこまで考え至らなかったのだろう。ロダン……ドリー……レイピア……おそらく彼等だけではない筈だ。あの島で人間を恨んでいた者はごまんといるのだから。
九百六十七番はこの状況に相変わらず興味関心を持たないでいる様子だったが、鈴音が鬼の言葉を話していた時は僅かに驚いていた。
その時、レイピアが突然に相変わらずの大声を発して長に提案した。
『バルド元帥! 二人で! 殺し合わせたら! 良いのではないでしょうか!』
その言葉に、鈴音はまたもや衝撃を受けた。殺す……? レイピアがそんな事を……確かに彼は幼い頃から残酷だった。だが生命の生き死にに関わるところまで冷酷だったなんて、考えた事もなかったのだ。
バルドと呼ばれた長は、ニタリと顔を綻ばせて言った。
『流石はソルビアの息子……素晴らしい名案だ。ガーナーとオウリの息子も同じ意見か?』
ガーナー……ロダンの父親だ。オウリはドリーの父親。と言う事は彼等も人喰らいだったのか。鈴音はその二人に会うたび冷たい眼で見られていた。それは彼等が人喰らいだったからなのか。バルドの問い掛け、つまりはレイピアの案に、二人は一瞬の躊躇いを見せた……が結局、同意した。
『ほら娘、全て聞いていただろう? 勝った方が地上に出られる。その旨をそこの戦士にも教えてやれ。……いや、教えずに奇襲でもいいぞ? お前が勝つにはそれぐらいのハンディが必要だろ』
バルドが、そして赤鬼達が一斉に笑い出した(一際レイピアの声が大きい)。鈴音はバルドを睨み付けてから立ち上がり、いつの間にか瞳に溜まっていた涙を袖で拭った。そうしてから、硬い石の床で足を崩して事の成り行きを眺めていた九百六十七番に向かって話した。
「わたしを殺せば、あなたは出られるみたいです」
「……君は随分と正直だな。君にとって、それは俺に告げるべき話ではないだろう……それに、どうせ奴等の嘘に決まっている」
「嘘でしょうね……多分」
九百六十七番は鈴音が鬼人の言葉を話していた時以上に反応を示し、鈴音が全てを正直に話した事に笑みを浮かべている。よくこの状況で笑えるなぁ……と鈴音は感心したような呆れたような気持ちになった。九百六十七番は薄っすらと笑みを浮かべたまま「俺も終わりか」と呟いた。鈴音は懐に入っている物で、この状況を打開する道具がないかを考え、直ぐに思い至った。
「九百六十……何番さんでしたっけ?」
「九百六十七番だ」
「この屋敷の出口……分かりますか?」
九百六十七番は一瞬キョトンとした後「そうか、お前は髪を引っ張られてたから見えなかったんだな」と小さく呟いた。鈴音が首を傾げると、九百六十七番は溜め息をついた後に答えた。
「地下牢からの階段を上がり続けた所にある粗末な扉から太陽の光が漏れてた。おそらくあそこが出入り口で、ここは屋敷ではなく、地下だろうな」
「仮に眼が見えてなくても、そこまで走る事が……あなたには出来たりしますか?」
九百六十七番は訝しげな表情を浮かべながらゆっくりと頷いた。そうした会話をしていると、バルドや人喰らいの団員達が『さっさと戦え!』と野次を飛ばし始める。鈴音はそれ以上話す事を断念して、九百六十七番にそっと近付いた。そして困惑している九百六十七番の手を取った瞬間「お願いします。扉を目指して下さい」と呟くや否やに、懐から遊戯屋台の景品である煙り玉を二つ取り出し、ピンを取って鬼人達が列を成している所と、バルドに向かって放り投げた。
煙り玉は誰もが予想していなかった大音量の爆発音を立てると、物凄い勢いで水蒸気を吐き出して部屋を白の世界に変えた。鈴音は『何だこれは!?』と言うバルドの叫び声を聞いた途端、腕をグングン引っ張られる感覚を味わった。いつの間にか広い部屋を脱出し、廊下でバッタリ出くわした赤鬼に、鈴音がもう一つの煙り玉を投げ捨てた後は、九百六十七番の進行を邪魔する者は誰もいなかった。
最後に、鈴音は九百六十七番に引っ張られて地下からの階段に何度も足をぶつけながら、出入り口の扉を九百六十七番と蹴り破って、地下からの脱出に成功した。外はどこか廃村の外れのようだ。もしそうなら花宮村までそう時間も掛からずに帰れるだろう。しかし周りを見渡す暇もなく、鈴音達は只管に走ってその場から離れて行った。
太陽の光が酷く懐かしく感じる。鈴音は汗を流しながら、絶叫に近い呼吸の荒れようを抑えようと、胸に手を当ててうずくまっていた。苦しい……こんなに走ったことは今までの人生においてなかっただろう。九百六十七番はというと川辺に転がる岩石の上に座って息一つ乱さず、自分の手甲に収められた隠しナイフを手入れしている。鈴音は激しく呼吸をしながら、周りの景色を見渡した。
ここが何処なのか今一分からないが、流れている小川には何となく見覚えがあるような気がしていた。おそらく赤坂村から中心都へ向かう時に通る道だ。それだけ分かれば安心だった。
鈴音は辺りを見渡しながらも、九百六十七番の様子が気になって仕方がなかった。自分はあれ程の距離で死を感じて、とてつもない恐怖を覚えた。しかし、彼は命の宿敵、死の恐怖すらも興味がない様子だ。鈴音は、これが暗影兵なのだろうかと思わずにはいられない。自分の感情をも殺す兵隊……暗殺者。
「何故……あなたは……あんなにも……冷静でいられるんですか?」
鈴音は気が付けば、息も絶え絶えのまま尋ねていた。勿論、返事の有無は期待していない。ただ、激しく不思議だったのだ。九百六十七番は一瞬手甲を弄る動きを止めたが、まだ数秒もしない間にガチャガチャと作業を続けた。
鈴音がガックリと肩を落とすと、また再び息を整え始めた。途端に、九百六十七番が語った。
「俺が国王専属の部隊に入隊した理由は、昔守れなかった者への罪滅ぼしだ。力が無ければ何も守れないと言う単純な理屈。世の理不尽さを幼い頃に思い知った」
鈴音は息を整えることに集中するのは止めて、九百六十七番の話を興味深そうな表情で聞いた。
「だが俺は守る事よりも殺すことの方に才能があった。〈暗影兵〉となり、この国のために危険な人物を排除していく。最初の標的は……父だった」
鈴音は眼を開いた。自分の父親を……国のために手に掛けたというのか。人の命を奪う任務、その始まりが父親。鈴音が何も言葉を返せないでいると、九百六十七番は感傷に浸らず、淡々と話を続けた。
「父は昔、俺が守るべきものを奪った張本人でもあった。私怨が含まれていなかったと言えば嘘になるだろう。しかし堕落した〈特権階級者〉という国の汚点である事にも変わりはない。俺は父の命を奪った。幼い頃から恨んでいた父は、驚くほどあっさりと死んだ」
九百六十七番は「その時、俺は一度死んだんだ」と最後に付け加えた。鈴音はこの時初めて彼の顔をはっきりと見た。どこからどう見ても普通の青年である。しかし、目の奥には暗い闇が潜んでいた。その中に、鈴音は不思議と懐かしさを感じる。遠い昔の記憶……
気が付くと、彼は去っていた。既に何処にも姿が見えない。その代わり、遠くに雨雲が見えた。今は何かに悩むよりも、生きている事の喜びを感じようと、鈴音は思った。




