3,赤鬼の悪意
鬼人は身体形質の特徴によって二つの種類に分類する事が出来る。
一方は青鬼。瞳の色が青く、頭には二本の角が生えている。もう一方は赤鬼。瞳は赤く、頭には一本の角が生えており、青鬼に比べて身体能力も高く、性格は粗暴である。
二種類の鬼人達は常に互いを尊重し合い、争う事なく平和に過ごしている。しかし、種族間での問題が全く起こらないという訳では無い。それがどんな事柄かというと、人間の事である。
赤鬼は、人間を皆滅ぼすべきだと考えている。これは赤鬼が元来好戦的な性格である事と、戦争の最前線で戦っていた為、人間との戦いを眼前で目視した結果生まれた思想だと思われる。一部では、人間との再戦を望む者までいるらしい。一方、青鬼は人間と関わる事それ自体を拒んでいる。
この意見の相違が、二つの鬼人達に小さなわだかまりを生んでいるのであった。
鈴音はアンおばさんに別れを告げた後も、雪の道を歩き続けていた。土の上に降り積もった新雪は柔らかく、一歩進む毎に足が膝まで沈み込む。酷く歩き辛い道である為、彼女は体力を著しく消耗させて、呼吸を荒くしていた。
しばらく歩くと、里を取り囲む密林へと続く、林道の入り口に辿り着いた。重量のある積雪をギシリと乗せた長身の樹木が何本も立ち並んでいる。その樹木達から落雪と共に落ちた実は、冷たい雪の上に無造作に転がっていた。鈴音はそれ等の木の実を採りに来たのである。
雪が吹き荒ぶ中、鈴音は落雪の塊が堆積した樹下へ向かい、そこに屈み込むと、積もった雪を素手で掻き出した。それ程深く掘らなくとも、直ぐにたくさんの木の実が出てくる。黄色い小さな硬い実で、烏眼の実という胃腸薬の材料になる実だ。
鈴音は烏眼の実を、事前に用意していた青い布の袋に入るだけ入れた。その後袋の口をしっかり紐で締め、自分の懐に仕舞う。作業を済ませ、もと来た道を帰ろうと立ち上がると、突然 大きな笑い声が林道に響き渡り、何事かと慌てて辺りを見渡す。そして、自分の十歩程前方に、三人の男の赤鬼が笠も被らずに佇んでいる姿を確認した。鈴音と共に学舎に通い、その中でも特に人間を毛嫌いしている連中である。
『やぁ、人間。僕等の縄張りで何をしているのかな?』
三人の中でも一番背が低く、しかし一番傲慢な赤鬼のロダンが気取った調子で尋ねた。
『縄張りって……いつから森に繋がる道があなた達の物になったの?』
鈴音が不快気に言い捨てると、彼女から向かって右側に立つ、酷く太った角の短い赤鬼がどもりながら叫んだ。
『ロ……ロダン様にえ……偉そうな……口き……聞くな!』
鈴音は相手のどもった声を何とか聞き取り、溜め息を漏らしてから、呆れたように答えた。
『分かったわ、ドリー。いつから森に繋がる道は、貴方様方の物になったのですか?』
ドリーと呼ばれた赤鬼は、それを聞いて満足したらしく、フフンと鼻で笑った。彼の隣に立つロダンも、偉そうに腕を前に組んで、ニヤニヤと顔を歪ませている。ただ、まだ言葉を発していない長身の赤鬼は、何故かずっと顔を顰めていた。
『いつからここが僕達の縄張りになったかだって? 言ってやれレイピア』
ロダンが威張り口調で問い掛けると、三人目の赤鬼・レイピアが、突然 大きな声で叫んだ。
『いつからだと!? ここは鬼人の島だ! お前は人間だろうが! 最初からこの島は俺達の物だ!』
鈴音はあまりにも大きなその声に思わず耳を塞いで目を瞑った。そしてしばらく、立ち直れなかった。赤鬼に何を言われても大抵の事なら気に掛けないが、人間と鬼人との間にある深い亀裂を抉られる事だけは、どうしても耐えられないのである。
『お、長には、許して貰ったもの……』
鈴音は心の負傷を赤鬼等に悟られぬ様 出来るだけ余裕を見せて言った。しかし三人は鈴音の動揺を容易く察知し、ニヤリと笑う。そして追撃を駆けるべく、ロダンは言い放った。
『人間は敵だよ。僕達の同胞を殺し、故郷を奪って、今ある状態を当然だと言い張る。これ以上何を奪う気だい? 人間!』
鈴音は益々傷付いて肩を窄めた。自分が罵倒される事より、永遠に修復出来そうにない種族の間柄をはっきりと示される事の方が辛かった。
『それにーー』
『女子相手に三人がかり! 笑止千万!』
ロダンが罵倒を続けようとした瞬間、それを遮って、鈴音にとっては聞き覚えのある声が唐突に響いた。その声は鈴音にしか聞き取れない鬼動物の言語である。
『お……鬼猪だ!』
ドリーが鈴音の後ろをずんぐりとした指で差しながら酷く恐れた調子で言うと、鈴音の背後から、雪の上をノシノシとゆっくり歩く巨大な鬼猪が現れた。鬼猪は巨大な牙を持つ鬼動物で、頭の二本の角をたくまし気に立たせた気高い種族である。
『お久し振りです、鈴音さん。凄い雪ですね』
鬼猪は巨大な牙を揺らしながら、鈴音の身を庇うように半歩前に出て丁寧に言った。鈴音が『うん……久し振り』と返事をするや否やに、レイピアがまた大きな声で叫んだ。鈴音はとっさに耳を塞いで、口をつぐんだ。
『汚らわしい獣が! さっさと森に帰れ!』
ロダンもドリーもそれに勇気付けられたのか、若干の躊躇いを見せながらも鬼猪を罵倒し始めた。
『黙らっしゃい!!』
鬼猪の一声で、三人の罵倒は掻き消された。鈴音以外には、鬼猪の言葉は巨大な獣が激しく鳴いているように聞こえる。相当に恐ろしいものだったのだろう。三人の赤鬼は顔色を蒼白にして、『ヒィ』と情けない声を出すと、一斉に逃げ出した。
『馬鹿な子供達だ』
鬼猪が溜め息混じりに呟く。鈴音は雪が積もった笠を頭から取り、頭を下げて礼をした。
『有難う、カイナ。暫く会わない間に大きくなったね』
鈴音のその言葉を聞いて、カイナという名の鬼猪は慌てて言葉を返した。
『頭など下げないで下さい。あの時私の命を救って下さった恩。悪ガキ共を懲らしめたぐらい、何という事もございません』
あの時というのは、五年前の事である。鈴音が森の中で薬草を探していると、森の中腹で、強い毒に当たったらしい鬼猪が倒れ、苦しんでいた。鈴音は既に大抵の解毒薬を作る技術を持っていたので、鬼猪の命を即席で作った薬で救ったのである。その鬼猪がカイナであり、それから、恩を大切にしている鬼猪達種族は、鈴音を良く慕っているのだ。
『ううん、でもお礼は言わせてね』
まだ、赤鬼三人組に言われた事を気にしつつも、鈴音は無理矢理に作った笑顔で丁寧に言った。
『恩人には、悲しい思いをしてほしくないのです。あの者共に何を言われたのか存じませぬが、気にしないで下され』
『恩人には、悲しい思いをしてほしくない……』
鈴音はカイナの言葉を繰り返した。不意に、頭には自分の夢をレインおじさんに告げた時の、おじさんの失望が想像された。
『どうか、なさいましたか……?』
カイナが大きな顔を鈴音に向けながら不安気に尋ねた。鈴音はハッとして、顔に微笑を作って答えた。
『大丈夫、わたし帰るね。有難う、また会おうね』
枝に積もった大きな雪の塊が、音を立てて地面に落ちる。鈴音は、カイナの疑念を含んだ視線を背中に感じながら、笠を被り直して雪が舞う中を再び歩きだした。