28,友達との休日
五月の初め、暖かな日差しが雲の影を緑の山に落とし、静寂の中をゆっくりと動いていく。柔かな風が吹きすさび、立派な樹木に吊された布の鯉のぼりが立派に泳いでいた。
花宮村から中心都を挟んだ向かい側にある〈三畳村〉。鈴音と成子、それに昇太と仁は、近隣の学生がよく遊びに来ると有名なこの村へと遊びに来ていた。
鈴音がこの村へ馬車でやって来た時に、最初に思い付いた言葉は「立派だ」という一言だった。中心都の冷たさと、十年前の赤坂村の温かさを半分ずつにしたかのようである。つまり、文化の繁栄と自然が上手く釣り合ってる状態だ。
「何キョロキョロしてんの? す〜ずね」
昇太が鈴音をからかうように言った。すると仁が真面目な顔をして、昇太を指差しながら注意する。
「おい昇太。いくら何でも呼び捨てはまずいだろ」
「なんでだよ。今鈴音は先生としてじゃなくて、友達として来てるんだぜ」
「じゃあ、私も先生の事を名前で呼んでいい?」
鈴音はそんな事に本人の許可がいるのだろうかと、心の奥で不思議に思っていた。彼等の中には、彼等も知らない間に、先生への敬意と言うものが捻込められているらしい。鈴音は何だか虚しく思ったが、成子の問いかけに微笑んで頷いた。
「どこ行く? 何か欲しい物とかあるか?」
昇太が皆に問いかける。鈴音は三畳村の事を全く知らないので、「どんな物が売ってるの?」と誰彼問わずに尋ねた。すると仁が丁寧に答えてくれる。ただ、彼もいつの間にか呼び捨てになっていた。
「なんでも。食べ物でも遊戯屋台でも玩具でも店に行けば大抵の物は揃ってる。あ、鈴音は本とかかな」
「本なら図書館にでもたくさんあるだろ」
昇太の指摘を仁は無視する。すると、成子は鈴音の手をギュッと両手で包んで、相変わらずの綺麗な瞳を鈴音に向けながら尋ねた。
「私達は何度も来てるから、鈴音の好きな所についてくよ!」
「ううん。わたしは特に予定もないし、三畳村がどんな所かも分かってないから、みんなに教えて貰いながら、色々な所に行ってみたいな」
鈴音が笑顔で答えると、成子も笑顔になった。女子二人がそうやってニコニコしていると、仁が欠伸を噛み殺しながら昇太に話した。
「じゃあ、昇太の得意分野に行くか」
「おう、腕が鳴る」
鈴音は二人の会話を聞いて、何の事だろう? と首を傾げた。成子はそんな鈴音の様子を見て、手を取ったまま教えてくれた。
「遊戯屋台っていってね、お祭りの屋台みたいに遊戯をして、それが成功したら商品が貰えるの」
「へぇ……」
正直なところ、鈴音は遊戯等の勝負事が嫌いであり、苦手でもある。しかし、みんなですれば楽しめるだろうと思い直して、三人に連れられ、遊戯屋台へと歩いていった。
遊戯屋台への道のりを、鈴音は興味津々に周りを眺める事に費やした。三畳村はどうやら民家は少ないが、市場の屋台がたくさん出されており、商人達の客を呼び寄せる大きな声が響いていた。
その道中、鈴音は異様に背の高い影を見たように思った。まるで鬼人だ。しかし、まばたきをしてもう一度影のあった場所を見直して見ても誰もいない。ただの勘違いだったのか……日の光の角度によるものだったのだろうか。
「おお〜中々の商品だね、おっちゃん」
昇太の声で鈴音はハッとする。いつの間にか四人は遊戯屋台の前に立っており、捻り鉢巻きをしている坊主頭の中年男性に、昇太が親友の如く話し掛けていた。
「相変わらず良い眼だな坊主。だが、この一等の〈煙り玉〉だけはやれねぇなぁ」
屋台のおじさんがどこからか取り出した袋を見せながら言った。〈一等 煙り玉〉と書かれたその袋の中には、掌に収まる程の黒い球体が入っているらしい。
「何だよそれゃ」
昇太が訝しげな顔をして尋ねると、おじさんはフッフッフッと意味ありげに笑って言った。
「先端のピンを抜いて爆発させると、濃い煙を吐き出し始める。煙っていってもただの水蒸気だから身体に害はないがね」
四人は同時に「へ〜」と感心したように言った。鈴音がチラッと横を見ると、昇太がいかにも悪人のような笑みを浮かべている。何か悪いことを考えているな……と呆れた。
「さて、的当て遊戯だ。誰からやる?」
おじさんは言って、その場から左に数歩ずれた。屋台は随分と奥行きがあり、近くに五等と掛かれた厚紙が台座に乗せられ、四等……三等と横並びに段々遠くへ置かれた紙が後方に置かれている。一等と書かれた紙は、目を凝らして何とか視認出来る様な位置に置かれていた。
「あんなの見えねぇよ」
仁が半ば呆れたように話した。悪い商売だ。昇太はおじさんにお金を渡して護謨弓を受け取り、試しに射ってみた。護謨弓の玉に使われた小石は三等と書かれた厚紙を掠って無様に床に転げ落ちた。
「擦っただけじゃあやれないよ」
おじさんはニヤニヤしながら昇太をあざ笑った。昇太はそれに噴化され、お金を払って何度も玉を射ったが、一等どころか三等……四等……五等も外れた。
肩の力を抜くべき場面である。しかし昇太はイライラから単調になってきていた。お金を払っては射ち、お金を払っては射ち、気が付けば十回以上挑戦しているのに、一等どころか五等の厚紙にも掠りもしない。
仁も成子も試してみたが、同じように外してばかりだった。おじさんの笑みは益々大きくなっていく。
「鈴音もやってみたら?」
仁が不機嫌な様子で護謨弓を鈴音に渡しながら言った。みんな腹が立ってきているようで、一人儲かっているおじさん以外は険悪な空気が漂っている。
鈴音は護謨弓を受け取り「苦手なんだけどなぁ」……と呟きながら、護謨弓を構えた。
そして、ハッと思い出す。あれは確か、ずっと昔、鬼人の義兄妹であるリアンが、護謨弓を使って〈烏眼の実〉を高い木から射ち落とそうとしていた時だ。
『あんな高い所にあるのに、射てるの? わたしにはほとんど見えない……』
『見るのも大切だけど、オレは感覚かな。森の中で過ごしている時、たまに凄く集中できる時があるだろ? 生き物の原始的な力だよ。それを引き出す』
勘……感覚……鈴音は護謨弓を構えて、神経を研ぎ澄ました。周りの音が消えて行き、自分と的にしか存在を感じられなくなる。鈴音はそうしてためらう事無く小石を放った。
「あのおっさんの顔を見たか? 悔しそうによ」
昇太が三畳村を離れる際、嬉しそうに言った。
「しかし鈴音が的当て得意だとはなぁ」
「本当に凄かったよ、格好良かったぁ〜」
仁と成子が愉快そうに話した。鈴音は少し照れ臭くなりながら、景品の〈煙り玉〉を五つ、懐に仕舞った。自分には必要ないと三人にあげようともしたが、「私達が持ってたら悪用する」と言う成子の言葉に鈴音は納得し、自分の物にした。しかし使うべき時は来ないだろうとも考えていた。
「鈴音は一緒の馬車に乗らねぇの?」
仁が尋ねると、鈴音は頷いて答える。
「混んでるみたいだし、次ので帰るよ。大丈夫、気にしないで。三人共、今日は有難う」
鈴音がペコリとお辞儀をすると、男子二人は照れ臭がって「おう……」と小さな声で返事をして、成子は「じゃあね〜」と大きく手を振った。
三人を見送った後、鈴音は次の馬車が出るまでまだ時間がある事を確認し、馬車の駅から市場に行こうとして、道に迷った。
暗がりで汚い裏道のような所だ。困ったなぁ〜とウロウロしていると、いつの間にか背の高い、深く笠を被った男が前方を遮っている。
鈴音はその男に近付き、道を尋ねる為に声を掛けた。すると男はニヤリと口を歪ませ、鬼人の言葉を話しながら薄ら笑った。
『残念、本当に運が無いな娘』
鈴音は目を見開き、この男が鬼人だと悟った。嫌な汗が体を伝う。後退り、逃げようと振り返って走り去ろうとしたが、背後にも鬼人が立っていた。笠で隠された冷たい赤い瞳を見上げた瞬間、鈴音は直感で気付いた……ああ、彼等は……。
鈴音は悲鳴を上げる暇もなく、後頭部に強い衝撃を受けた。体に力を失って崩れ落ちる瞬間、何故かレインおじさんの姿が頭をよぎった。