27,学舎での生活
鈴音は学び舎の図書館にしばらく勤めている間に、ここの教師や生徒達の変わった考え方を少しずつ理解していった。教師は一般的な学舎(鈴音が認知しているのは鬼人の学舎だが)に比べて生徒に厳しく、一部の例外を除き、自らが教師であるという事に、大きな誇りを抱いているようだ。一方、生徒はそんな教師を嫌悪してはいるが、尊敬もしているらしい。
放課後、鈴音は貸し出した小説や教材をもとの棚へと返す作業を行っていた。まだどこが何の棚なのかを把握していないので、十六ある棚を全て確認しながら、それぞれに見合う所へと本を戻さなければならない。鈴音は広い図書館の中を何度も行ったり来たりしながら、本を一冊一冊確認して戻し、棚から棚へと移動する。
「世界歴史辞典……はここ。百年戦争の真実……はここ。鬼人の考え方……はここ」
ブツブツと呟きながら、鈴音は本を棚に戻して行く。人の言葉を読むのにはまだ少し時間が掛かるが、近頃は本を読んではまた次の本を読む事を繰り返しているので、段々と人間の文字に慣れてきた。
「鬼人の不思議……アレ?」
気が付けば、先程から鈴音はある本棚から離れずにいる。〈歴史教材棚〉の、とりわけ、鬼人の本ばかりを片付けているのだ。確か、これ等の本を借りていた人は、鈴音がこの学び舎へ勤めに来た初日、昇太と成子と仁が鈴音とカウンターで話していた時に「図書館ではお静かに」と微笑んで注意していった少年だ。
「あの人……」
鬼人に興味があるのだろうか? あの聡明そうな学生が、人間にしてみれば敵であり、昔からほとんど関わりを持たない種族に何を思っているのだろう。
話してみたい……と鈴音は強く思った。鬼人の土地でも人間に、人間の土地でも鬼人に興味を深く持っている者は少なかった。特に人間からの意見・考えは鈴音にとって宝と言ってもいいだろう。是非どのような考えを持って鬼人に興味を抱いているのか、尋ねてみたかった。
そのまま本を胸に抱えてしばらく立ち尽くしていると、「先生、どうかしたのですか?」と言う青年の声が聞こえてきた。鈴音はハッとして声のした方向に振り向き、今まさに自分が話し掛けるきっかけを掴もうと考えていた青年の姿を両目で捉えた。
背の高い青年は鈴音が胸に抱いている鬼人関連の本をチラッと確認し、成る程と納得したように頷いてから、軽く頭を下げて言った。
「休み時間に僕が返した本を片付けてくれていたのですか。有り難うございます」
鈴音も青年につられて軽く会釈した。礼儀正しい人だな〜と同年代ながら感心する。それから、話し始める機会は今だろう……と思い至った。
「あ……あの、鬼人に興味がお有りに?」
鈴音の言葉に、青年は少し驚いた様子を見せてから、真っ直ぐに鈴音を見詰めた。青年にジッと見られて鈴音は何だか気恥ずかしくなったが、青年から目を逸らさず、彼の返事に期待をもち、ワクワクして青年の言葉を待った。
青年はゆっくりと口を開く。鈴音は、この人は独特なリズムを持っている人だなと、心の片隅で思った。
「まぁ、あまり公には言えませんが……」
「ど……どうして?」
「彼等は嫌われているから……ですよ」
「で……でも、自分が興味を持って取り組む事ぐらい、自分で決めたって良いでしょう?」
青年はもう一度驚いたように目を開き、それから今度は目を細めて笑い、頷いてから鈴音の言葉に同意した。
「その通り。そしてそれが難しい。あ、そうだ。黒澤栄作」
突然に名前を出されて、鈴音は一瞬訳が分からず戸惑った。栄作はもう一度笑って、本棚から〈鬼の歴史〉を取り出して続けた。
「一年三組・黒澤栄作。僕の名前ですよ古瀬鈴音先生。着任式で貴女を見た時から、何となく面白い人だと思っていました。良い意味でね」
「面白い? わたしが?」
鈴音が尋ねると、栄作はコクリと頷いた。鈴音からすると、鬼と関わりの無い生活を送ってきた若者が、鬼に興味を持っているという事の方がよっぽど面白いと思っているのだが。
「あなたは、鬼を悪い種族だと思っていないのですか?」
気が付いたら、鈴音は低い声音で真剣に話していた。栄作は本を閉じて、「難しい問いをはっきりおっしゃる」と肩を竦めて困った様に呟いてから続けた。
「僕は現実を知らないだけかも知れません。でもまぁ、鬼に興味を持っていないと答えれば、嘘になります」
鈴音は、栄作が話した最初の言葉に小さな動揺を受けた。自分にも当てはまる内容だったからだ。現実を知らない子供。実際、鈴音が人間の土地で育った年数は幼い子供と全く変わらない。わたしの考えは幼稚なのだろうか……と今更のように考える。
「鈴音先生! あ、黒澤じゃん」
何時の間にか、成子が本を腕に抱えて図書館に来ていた。栄作は「どうも」と軽く返事をすると、鬼の歴史を本棚に返して、「それでは」と二人に挨拶をしてから、ガラガラと鳴る扉を開けて、校舎に戻っていった。
「遠藤さんは、黒澤さんがどんな人か知ってる?」
鈴音が尋ねると、成子は「成子って呼んでくれて良いのに」と呟いてから、鈴音の問いに答えてくれた。
「栄作は頭良いし、人柄も良いけど、何か苦労人らしいよ。何かの小説の主人公みたいでしょ」
頭が良い人は、考え方もわたしとは違うのだろうか。人は鬼人よりも色々な考え方を持っているのかもしれない……と鈴音は考えた。
何日かこの学舎に勤めていて、鈴音は段々と気が付き始めていた。図書館を利用している生徒は大体限られているのだ。時たまに学年単位で授業に利用される事もあるが、それも一ヵ月に数回の事である。
鈴音は放課後によくやって来る成子や栄作、「暇潰しだ」と言って稀に騒ぎにくる昇太と仁、教育学の試験を受けるらしい上級生等数人と頻繁に話した。話せば話す程、この世代の若者達は、それほど鬼に偏見を抱いていない事を学んだ。と言うよりは鬼に対して単に無関心なだけらしいのだが。
戦争を直接経験していない為なのか、鬼による暴力行為の被害者が周りにいない為なのか、理由は詳しくは分からないが、とにかく彼等に軽い調子で鬼の話題を振っても、特に興味が無いらしく、要領の得ない答えが返ってきた。少なくとも〈劣等種族〉とは考えていないだろう。
「人喰らいって、先生は知っていますか?」
鈴音が放課後、唯一鬼に関心を抱いている生徒の栄作と勉強机で本を読んでいる時に、栄作が突然、鈴音に尋ねた。
「知ってる……人を襲う鬼人の集団だよね」
「それで、暴力の果てに自分達の望む物を手に入れたとして、彼等は嬉しいんですかね? その組織の存在を知ってから、ずっと持ち続けている疑問です」
そう問われても、鈴音は答える事が出来なかった。人喰らいは人間から奪われた物(土地や文化)の奪還が目的らしいが、それにしては自分たち鬼人の存在を人間に受け入れて貰おうという考えが足らない。鈴音の夢は人と鬼の繋がりを作る事である。彼等と協力する……という考えが、鈴音の頭を一瞬過った。
そして、直ぐに有り得ないと考え直した。
「古瀬先生、明日は休校日ですので、教師も皆、お休みということで」
鈴音が成子と話していると、副校長先生がやってきてそう言った。鈴音は「分かりました」と返事をしながら、もっと早く言ってほしかったな……と内心では思っていた。
「先生、明日休みなら、私達と遊びに行かない?」
「私達?」
「そう。私と昇太と仁で」
鈴音は誘われた事自体は嬉しかったのだが、教師として、特定の生徒とそういった行動を取るべきではないと感じた。そうにも関わらず、眼鏡の奥でキラキラと期待に目を輝かせている成子を見ていると、結局、その誘いを断り切る事が出来なかった。