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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第三章
25/58

25,夜陰の孤影

 雲が天空を覆い、月明かりを完全に遮断している。火の明かりも用意されていない花宮村は、一歩前すら見えない程の暗闇に包まれていた。


 鈴音は白馬を馬小屋に残して、何度か水の流れている溝にはまりながらも、旅館〈みやさわ〉に辿り着いた。馬に揺られている間に腰を再び痛めたので、強張った背中を気遣いながら、お千代に授けられた鍵で玄関の戸を開け、誰もいないのは承知の上だが「失礼します」と声を掛けてから家の中に上がった。


 相変わらず外装だけは立派な旅館である。つまりは酷く汚い室内だ。花宮村の土地の特徴として、家と家の間の距離が大きく離れており、その分だけそれぞれの所有地が広いという例が挙げられる。みやさわはその特徴を存分に利用した広い旅館なので、これは掃除をするのは大変だぞ……と鈴音は暗い気持ちで思った。想像するだけでも疲労が襲ってくる。


「さぁ……明日からは大変だ」


 独り言を呟いてみる。呟いてみて今更に思った。寂しい……覚悟をしていても、いざその場面に立ち会ってみると想像以上の虚しさがある。いつかはこの虚しさにも慣れてしまうのだろうか……それはそれで嫌な気持ちになった。八方ふさがりである。


 鈴音は三十分掛けて広い旅館内を探索した。お千代が使っていたらしい部屋四つと仏間を除けば、客間などの部屋は合わせて十五程ある。こんなにも広い旅館内に自分一人しかいないとは、余計に寂しさを募らせた。しかし、考えてみればお千代はずっとここに一人でいたのだ。今ならお千代の奇妙な言動も理解するのは難しくない。


 鈴音は取り敢えず、生け贄祭の時に椎名と共に借りた部屋へと向かった。そして、その部屋で思いっ切り背伸びをしてから、汚れた畳など気にもせずに、尻餅を着いた。その後、体を楽にする為に様々な姿勢を試してみたが、どの体勢をしても大して身体は楽にならなかった。埃っぽい空気の中で深呼吸をしてから落ち着く。


 しばらくボケーとして何も考えずにいたのだが、明日はいよいよ学び舎に行かねばならないので、体を清めておこうと思い至り、着替えを持って浴場に向かった。相変わらずの暗い廊下を通り、広いが清潔とは言えない風呂の湯船に浸かって、もう一度落ち着く。


 湯船に手をつけて、お湯を手で包み、水鉄砲のようにバシャッとお湯を飛ばしてみる。昔は神住み島の大浴場で、同年代の鬼人達とこうやってお湯を掛け合い遊んでいた。昔を懐かしみ、自然と顔が綻んだが、今は一人だという事を強く感じ、また寂しくなった。


 浴場から上がり、部屋に戻った後は、一ヵ月前に自分が畳んでそのままの布団を広げ、寝っ転がった。あまり寝心地は良くはないが、少しでも長い睡眠が必要だ。明日に備えて、直ぐにでも眠らなければならない。鈴音は目をつむって静かに眠りに着こうとした。


 しかし、眠れない。明日の学び舎の事を思い浮かべると、緊張してしまって中々寝付けなかった。何度も姿勢を変えて、布団を蹴っ飛ばす。そうして長い時間苦しみ、とうとう体の限界が来たのか、意識を失うように突然眠りについた。




 早朝、鈴音は鶏の大きな鳴き声で目が覚めた。重たい目蓋を開けると、見慣れない家屋の風景が視界に写り、一瞬ここが何処だか分からなくなる。段々と頭がはっきりするにつれて、(そうだぁ~ここはお千代さんの旅館の……)と思い至った。そして、壁に架けてある古時計を寝惚け眼で見上げると、途端に体中に電気が走ったような感覚に襲われ、目がはっきりと覚めた。長針は九を、短針は四を指している……寝過ごした。初日から仕事に遅れるなんて冗談じゃない。鈴音は急いで身支度を済まし、一太郎から貰った髪止めをつけて、急いで我が家となったみやさわを離れた。


 花宮村を離れ、地図を確認しながら早足で月影村を囲む林道をこえる。林道には見た事のない樹木や草植物が生えていたので、鈴音は足を一瞬止めたが、時間が無い事を思い出し、再び急ぎ足で進んで行った。


 林道を抜けると、広がる田園にポツポツと建てられている民家の家屋が見受けられた。中心都のすぐ側にある村にしては、とても田舎だという印象を受ける。田園の数よりも住民の方が少ないのではないだろうか。あまりにもひらけた土地なので、まだある程度距離がある筈の太陽国月影高等学舎が遠くに見えた。


 緊張する……胸が高鳴っている。月影村に入ってからこの学び舎の校門に来るまでの記憶が無かった。木の柵で遮られている校門には誰の姿も無い。鈴音は深呼吸をしてから、「あれ? どうやって入るんだろう」と今更ながらに独り言を呟いた。


「アンタ誰?」


 誰かに後ろから話し掛けられた。鈴音は少しビクッとしてから、恐る恐る後方を振り返る。そこには自分と同年代ぐらいで短髪の男の子が立っていた。なんとも新鮮である。考えてみると、鈴音が人間の土地へ来てから、同年代の人間に話し掛けられる事は経験してなかったのだ。


「転入生かと思ったけど、制服着てないしさぁ。校門前でウロウロしてたら、うちの怖い先生に追い払われるよ」


 制服……少年が着ている黒い着物の事だろうか。いや、それよりも少年は、とっくに閉まった校門前で何をしているのだろう? 取り敢えず何か話そうとした時に、校門の向こう側--鈴音にとっては再び背後から、激怒の声が飛んできた。鈴音は再びビクッとして後方を振り向いた。


「開経昇太! アンタは早速遅刻かい……アラ……?」


 三十代ぐらいの肥えた女性が、鈴音を見た途端声を荒げるのを止め、困惑した表情になった。


「こ……こんにちは……わたし、図書館の管理職になる予定の者で……す……が」


「え! アンタ先生!? 歳変わんねぇジャン」


 鈴音が挨拶をすると、少年が驚きの声を上げた。肥えた女性は校門を急いで開け、先程まで激怒していた人とは思えないほど優しい顔つきになり、鈴音の手をとって話した。


「あぁ~貴女が古瀬先生のお孫さんねぇ~ここの教職員は全員古瀬さんの生徒だったのよぉ。感謝してもしきれないわぁ~もう~。わたしは内藤……内藤茶子。歴史の教師よ。貴女は?」


「わたしは……古瀬鈴音です」


 世間的には、鈴音は一太郎の孫という事になっている。その方が色々と都合が良いのだそうだ。少し調べれば、それは嘘であるという事ぐらい直ぐ分かるのだが、そんな事を調べるようなもの物好きもいないだろうし、安全だろうと事前に一太郎からつげられていた。


「さぁ、二代目古瀬先生の職場は図書館よ。その前に、生徒の前で簡単な自己紹介をしてもらうわ」


 鈴音は茶子に手を上下に激しく揺られて痛かったが、どうやら歓迎されているようだと安心した。同時に、初日から遅れてきた事に対する謝罪を述べなければならないな……と思い至る。


「あの……」


「うん?」


「すみません……初日から遅刻してしまって……」


 茶子は一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐに元の笑顔に戻って、首を横にブンブンと振った。


「昨日、あの赤坂村から出たんでしょ? 疲れるはずだわ。仕方がないわよ」


「でも……」


 鈴音が言い掛けた時に、茶子が鈴音の口の前で自分の人差し指を立てて、一言「大丈夫」と言った。


 先程からずっと校門前でその様子を見ていた昇太と呼ばれた少年が、「赤坂村なんて聞いたことねぇよ」と軽い口調で言った。おそらく怒られ慣れているのだろう。あんな大声で怒鳴られたのに平然とした様子でいる。


「アンタみたいな授業をまるで聞いてない悪童が、赤坂村を知っている訳がないわ。まさに歴史の宝庫、素晴らしい土地だったというのに」


 何気なく茶子は、「土地だった」と過去形で言った。それが、鈴音にとっては少し悲しかった。


「さぁ、行きましょう」


 一茶が元気に声を張り上げた。鈴音は人間の学び舎に、初めて足を踏み入れた。



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