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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第三章
24/58

24,優しさのカタチ

 赤坂村を取り囲む緑の山々に、〈鬼風響き〉が鳴り渡る。この廃村で唯一その音が耳に届く獣を呼ぶ為に。一々笛を鳴らさなくても、薬を与える日は決まっているのだから、自分から来てくれても良いのに……と鈴音は内心思った。特に今日は、わたしがこの村を離れる日なのだから……そう言った所で、グルルはまず間違いなく、『関係ない』と冷たく言い放つだろう。


 もう準備は出来た。みやさわに持って行く日常の道具や、学び舎で必要な最低限のもの(と言っても生徒として入る訳ではないので、大した物は買っていない)は袋に仕舞ったし、グルルの為の解毒薬も既に二か月分用意しておいた。


〈鬼狂いの実〉の解毒薬には〈赤色蝮の血液〉以外にも、珍しい材料がたくさん必要なのだが、驚いた事に、赤坂村にはそれ等の動植物が全て揃っていた。ある有名な学者さん曰く〈歴史の宝庫〉であるこの廃村は、鈴音にとって〈医療の宝庫〉であった。


 鈴音がいつもの様に、一太郎の家の前の長椅子に腰を下ろしていると、グルルが思いっ切り不機嫌な顔をして山からおりて来た。グルルは溜め息を吐きながら、その赤い目で鈴音をジロッと見てから尋ねた。


『気のせいか? 何時もより笛の音がでかかった気がするんだが……』


『え……本当? ごめん……』


 鈴音自身そんなつもりは全くなかったのだけれど、もしかしたら無意識の内に、いつもよりも強く、鬼風響きを吹いていたのかもしれない。まぁ、別れの日に自分から山を下りて来なかったんだ、それぐらいの意地悪は許されるだろう……と、鈴音は心の片隅で思った。


 何時もの様にグルルに解毒薬を与え、酷い苦味に苦しんでいる彼を応援した後、鈴音はゆっくりと話を切り出した。心配で仕方がないと言った口調である。


『覚えてるのかどうか分かんないけど、わたし、今日この里から出ます』


『ふ~ん』


 グルルは、『そんな事どうだって良い』という様子を、隠そうとしないどころか態度の前面に表して返事をした。鈴音は怒りや寂しさよりも「やっぱりね」といった感情の方が大きかった為に、大して傷付きもしなかった……心の奥底では少し傷付いたかもしれない。持ち直して鈴音は言った。


『それで、再三確認。絶対に……』


『ジジィを傷付けるな。仲良くしろ。再三じゃねぇ……再十だ』


『……本当に分かってる?』


 鈴音が怪しいと言いたげな瞳でグルルを見て首を傾げると、グルルは『フン』と面倒臭そうに言った後に、胸を張って話を始めた。


『俺様は鬼熊……世界で一番強く・偉く・義理堅い生物だ。例え人間の小娘相手でも、約束は守る』


『じゃあ、お願いね。おじいちゃん、最近身体の調子が優れないみたいなの』


 それは事実だった。一太郎はどうやら、鈴音には隠そうとしているが、最近妙に激しく咳をしている。風邪でも引いたのか、年が年なのだし鈴音は心配なのだ。グルルは表情を変えずにもう一度『約束は守る』と言った。


 その後、本当に小さな声で、『気を付けて行って来い』と言うグルルの言葉が、鈴音の耳に届いた。それから数秒も経たないうちに、グルルは猛烈な速さで山の奥に消え去ったので、鈴音が言葉を返す事はできなかったが、鈴音は呆気にとられた表情をしてから、ニッコリと微笑んだ。




 昼時、鈴音は用意された自分の分の昼食を食べ切れなかった。何だか喉に食べたものが引っかかる様で、上手く飲み込むことが出来なかったのである。そんな様子の鈴音を見かねて、一太郎はまだ自分のご飯も食べていないのに立ち上がって、鈴音に呼びかけた。


「綾乃、わしについておいで」


「え……でも、もう出発しないと……」


「そうじゃの……それでは、荷物を持っておいで。わしは外で待っておる」


 急にどうしたのだろう……と鈴音は思った。もう、出発しなければならないのに、最後の時間はゆっくりとこの家で過ごそうと思っていたのに……しかし、一太郎は有無を言わせぬ雰囲気であった。


 鈴音は荷物を持って風呂敷に包んで持ち、名残惜しそうに外へと出た。外で長椅子に座って待っていた一太郎は「ついておいで」と鈴音に言って、今や草臥れた無人の里へと続く林道を歩き始めた。鈴音は頷いてから、半歩遅れて一太郎と共に歩く。


 林道の薄暗い道は肌寒い。鈴音は両端に生えている何本もの杉の木を眺めながら、一太郎に話し掛けようとした。しかし、一太郎はズンズンと前へ前へ進んでいくので、話し掛けるきっかけが掴めず、とうとう傾斜に立てられた赤坂村の家々が見え始めた。このままあっさりとお別れになるのだろうか……そんなのは嫌だった。


 一太郎は馬小屋には進まず、傾斜を辛そうに登って、ゆっくりと歩いている。鈴音は、この方向には何があっただろうかと考えながら彼の後ろについて歩き、思い出した頃には目的地に着いていた。蜘蛛の巣だらけの汚らしい小さな家。十年前には家族四人で仲良く過ごしていたというのに……最早、その面影は消えている。音無家--鈴音の昔の家・一ヶ月前、一太郎と再開した地だ。


「おじいちゃん……どうして、ここへ?」


 鈴音が尋ねると、一太郎はこちらを向いて微笑み、しかし、鈴音の問いには答えずに、玄関を開けた。カビの嫌な臭いが鼻をつんざく。腐った畳や柱・蜘蛛や御器噛が視界にチラッと入った。腐食した物しか存在しないこの家に、一太郎は何の用があるのだろうか……そう鈴音が考えていると、一太郎は漸く沈黙を破り、話を始めた。


「十年前……わしはここから聞こえる楽しそうな家族の声が……何よりも好きじゃった。同時に、羨ましくもあった。言ったかの? わしの息子は高等学舎に入って直ぐに死んだから……」


 鈴音は、重々しくゆっくりと頷いた。一太郎の息子・古瀬銀太は、鈴音が生まれる遥か昔、戦時中になくなった。原因は勿論、鬼人の攻撃によるものである。いつか一太郎が言っていた。「わしも鬼に偏見を持っている」と。それは息子を奪われた事による、恨みでもあるのだ。一太郎は昔を懐かしむ様に目を細めて続ける。


「お主が生け贄に選ばれた時、わしは大いに反対した。同時に、お主の両親を強く攻めた。最低な親だと罵った」


 それは、初耳だった。鈴音は自分が生け贄に選ばれた時、「これは村の総意見でもあり、国の命令であるから、お前は逃げられない」と、父に告げられていたからだ。


「お主は、それでも両親を、恨んでおらんのだろう?」


 鈴音は突然尋ねられて、少し驚いた。そして顔を俯かせて少し考えてから、一太郎に向かって、出来るだけ明るい声で答えた。


「恨みは持っていないよ。気付いていないだけだと……ある人に言われた事もあるけれど。でも、やっぱり違うと思う。わたしは、もう過去に捕われて苦しむのは、止めたの」


 一太郎は頷き、手を招いて、鈴音を近くに呼んだ。そして鈴音に、「手を出すのじゃ」と告げたので、鈴音が手を出すと、その上に髪止めを置いた。花柄の、可愛らしい作りだった。


「おじいちゃん……これ」


「おたつの片身じゃ。何も言わず、受け取るがよい。それには、ちっぽけじゃが、古瀬家の愛が詰まっておる。何故わしがそれをお主に託すのか……それを、出来れば探してほしい」


 鈴音は震える手でそれを大切そうにギュッと持った。おたつおばあちゃんと、一太郎おじいちゃんの優しさが形となって現れた……そう感じた。




 〈鬼風響き〉を一太郎に渡し、鈴音は白馬に乗った。一太郎が「気を付けて行くのじゃよ」と手を振ると、鈴音は微笑み、一太郎に向かって心の底から溢れ出た言葉を告げた。


「お元気で……本当に……有り難う」


 一太郎は優しく笑んで、深く頷いた。鈴音は別れを惜しみながらも、手綱で白馬を前へと進ました。


 村を出る直前に物凄く大きな声で、『約束は守る!!』という獣の声が山から響いた。鈴音は大声でそんな事を、村を出る直前になって言うグルルが可笑しくて、愛しく思った。


 鈴音は赤坂村を出て、一太郎のもとを離れ、夢に向かって進み始める。



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