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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
20/58

20,穢れた牢獄

「アンタ等、無茶苦茶やわ。ちっとは反省せい!」


 中心都獣医医療専門所で、富沢清丸が強持ての顔を一層恐ろしく歪めさせて、厳つい声を響かせていた。清丸の視線の先には、眼鏡を掛けて白衣を纏う医者の男と、紺色の着物を着た少女が俯いて座っている。


「そんな怒らんでも宜しいやん」


 清丸の助手であり妻の富沢日比子が、湯呑みを御盆に乗せて、夫を宥める様に言った。しかし、清丸の怒りは収まらず、正座をしている二人に向かって再び怒鳴り上げた。


「こんな状況の中心都に入るなんて、馬鹿者のすることじゃ! もしわしが兵隊に事情を説明しなければ、お前はともかく嬢ちゃんは牢屋の中じゃぞ、分かっとんのか!」


 鈴音は顔を俯けたまま、小さな声で「はい……」と返事をした。内心では、人間に怒られるのは何時振りだろう……と、少しワクワクしていたのだが、そんな様子は微塵も表情には出さない。


 怒りを顕にする清丸と、俯いて反省している(ように見せている)椎名と鈴音、それに日比子と動物達しかいない暗い施設の中、もう一度清丸が怒鳴り上げようとした、その時である。雷が落ちた……ように鈴音は思った。それ程突然に勢い良く、日比子の声が響いたのである。


「いい加減にしときや、アンタ! 其れ程の危険を冒してまでここに来たのには理由があるんじゃろうが! 怒るんやったら其れ聞いた後でも構わんやろ! 馬鹿もんが」


「すんません……」


 鈴音が呆気に取られていると、椎名が横で俯きながら小さく笑っていた。椎名は先程からずっと俯いて全く返事をしていなかったのだが、その理由は、この夫婦のやり取りを、鈴音に見せようとしていた為らしい。鈴音は、花宮村から中心都に向かう途中に、椎名が言っていた事を思い出した。


「あの夫婦は良いよ、とても愉快だ。会えば分かると思うけどね」




 清丸は日比子に一喝された後から随分と低姿勢になり、「ほな、事情を聞かせてくれるか?」と隣に座る妻の様子を気にしながら尋ねた。それがまた可笑しいのか、椎名は面白そうに笑いを堪えながら、重要な話しを始めた。


 椎名が話している最中、清丸は何度も話の腰を折って質問を浴びせてきたのだが、それに業を煮やした日々子の一喝により、また大人しくなった。


「難しい話は分からんが……ようは鬼熊に会いたいんじゃろ?」


「それも僕じゃなくて、鈴音さんがしなければならないんだ」


「簡単じゃ、わしに任せろ」


 清丸はフフンと笑って、驚く程気軽に言ってみせた。鈴音はつい「え?」と驚きの声を上げたが、三人の大人達は落ち着いている。鈴音が椎名の顔を困ったように見上げると、椎名は微笑んでから言った。


「大丈夫だよ。コイツが任せろって言ったら、大抵の事は上手くいくんだ」




 神住み広場から東の長い工場後を抜けると、〈太陽国中心都隔離施設〉と呼ばれる建物がある。一般庶民の気配も住宅も全く無い場所で、兵隊達が最も多く集まり、警備を厳しくしている地区である。隔離施設とは、ようは刑務所のような物だ。檻を幾つも設備し、重罪を犯した犯罪者達を一生閉じ込める。犯罪者達の中には稀に鬼人も含まれる為、施設内の物は全て強固で頑丈に作られている。清丸の情報に寄ると、ここに鬼熊は閉じ込められているらしい。


 そこに鈴音と椎名、血だらけの白衣を着た清丸がやって来た。まだ闇が深まり始めたばかりなので、時間の心配はしていないが、鈴音の心臓は大きく躍動していた。


 幾つもの警備を、清丸が兵隊達に事情を説明するだけで突破していく。清丸が言った通り、驚く程簡単だった。何故こんなに簡単に、兵隊達は自分達を通してくれるのだろう?おおよそ二十もの確認を経て、漸く施設を外から視認出来る位置まで辿り着いた。


 施設は大きかった。半球状の構造で、窓が何処にも付けられていない。しかし、白く塗られた壁は汚らしく不衛生で、外観を見ただけでも気分が悪くなる。中心都一古い建物であり、罪を犯した人間達が生涯を閉ざす場所としては、正にピッタリと当てはまる、印象通りの建物であった。


「わしは富沢清丸じゃ。鬼熊の様子を確認しに来た」


「お連れはどちら様で?」


「医者で親友の椎名文瀬。こっちは助手の……」


「鈴音です」


 もう何度繰り返したか分からない遣り取りを終えて、漸く太陽国中心都隔離施設の堅い扉が開かれる。扉は巨大な建物に似つかわしくない、人間が一人やっと通れる程度の大きさだった。鬼熊はどうやってこの中に入れられたのだろうか……と鈴音は不思議に思った。


 施設の中は寒々しく静かだった。外観と同じように本来は白く塗られた壁が、今では黒ずんでいたり、赤茶色の染みが大きく広がっている。鼻に突くこの錆の臭いは、この建物の本質を表しているかのように感じられた。


「こちらです」


 鎧を被った護衛兵のくぐもった声に案内されながら、鈴音達は汚らしい石造りの階段で、下へ下へと進んで行く。一歩足を踏み出す毎に、建物の中に足音が五月蝿く響き渡った。その時、鈴音はどうしても気になったので、椎名・清丸・護衛兵の誰とも構わずに尋ねた。


「入り口、こんなに高い所から入りましたっけ?」


 その問いには、清丸が可笑しそうに答えた。


「そんな訳ないじゃろ、地下じゃよ地下。何百年も前に奴隷が掘って作った地下じゃ」


 鈴音は、表情には出さなかったが心底驚いていた。何故ならば、さっきから太陽城の階段並みに下り続けているのに、まだ下があるのだ。ここまで深く掘るのには、百年以上掛かるのではないだろうか?


 〈地下五〉と書かれた扉の前に、護衛兵が立ち止まり、鍵を使って扉を開けた。護衛兵が兜の下から聞き取りにくい声で警告する。


「ここは鬼熊の機嫌を損ねぬように、この部屋の囚人を全て追い出して作った鬼熊の部屋です。これより先に、います」


「他の囚人は何処に行ったのですか?」


 鈴音が特に何も考えずに口にすると、護衛兵は声の調子を変えずに答えた。


「皆、行方不明となりました」


 鈴音が訝しげな表情を浮かべるや否やに、「さぁ、行こう!」と椎名が大きな声で叫んだ。清丸も妙に陽気な声で、「アンタはここで待っといてくれるかの〜」と護衛兵に頼んだ。護衛兵は頷いて、部屋の前の扉の壁に凭れ掛かり、石造のように動かなくなった。


 蝋燭の灯火で照らされた薄暗い地下の部屋は、護衛兵が言っていた通り、人の姿は全く無かった。両脇に並ぶ幾つもの牢屋から推測するに、捕われていた囚人はおおよそ二十人はいただろう。しかし、柵の向こう側で生活をしている筈の囚人達は何処にもいない。「追い出した」と言っていたが、一体何処に消えてしまったのだろうか? 鈴音はその事をずっと考えていたが、結局結論は出せなかった。


 部屋の奥に進むに連れて、この建物中を支配している錆の臭いと共に、獣の臭いが鼻をついた。そして、一番奥に造られた、周りの牢屋の十倍の広さはある牢獄に、鬼熊は閉じ込められていた。足を畳んで、その黒い巨体で、苦しそうに呼吸をしつつ、体を丸めて眠っている。


「鈴音さん、後は頼んだよ」


 椎名が檻から五歩ほどの距離で、立ち止まって言った。鈴音は頷いて、臆する事無く、巨大な怪物の眠る檻へと近付き、膝を折って鬼熊の耳元で語り掛ける。


『鬼熊さん、起きて下さい』


 すると、鬼熊は立派な角の隣にある耳をパタパタさせ、目蓋を上げてその赤い眼で鈴音を見た。暫く反応を見せずにそうして鈴音を眺めた後、苦しそうに微笑して、小さな声で言った。


『約束を守る奴は……嫌いじゃない』




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