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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
15/58

15,太陽国中心都

 中心都へと近付くに連れて、周囲の景色はゆっくりと姿を変えていった。


 赤坂村から花宮村まで流れていた長く清らかな川は途中でその姿を消し、連なっていた山々は徐々に遠くへと消え去った。自然に彩られた風景の変わりに、人間の文明が築かれた世界が広がっている。鈴音はそんな見慣れぬ景色に、強い違和感を覚えた。




 中心都は本来、中流階級から上流階級の者でなければ立ち入ることが出来ない。下流階級の者や、太陽国に住むことが許可されていない流れ者は、一部の例外を除き、中心都の周りに深く掘られた堀から近付くことを禁止され、それを破れば死罪の宣告を受ける。


 そんな哀れな民達に、太陽国の真の繁栄を見せて上げようと訴え始めたのは、この国の〈初代生け贄〉に自ら志願したことで有名な少女、月夜姫である。


 才色兼備な貴族の娘・月夜姫は、大変に優しい心根を持つ娘だったそうだ。自ら生け贄に志願する見返りに、自分の命日を太陽国の為の祝い日にして欲しいと国王に告げたそうである。それ故、この〈生け贄祭〉が開かれる今日だけは、中心都唯一の出入り口である〈世渡り橋〉の警備が解かれ、身分関係なく中心都に出入りする事が許される。


 例え、それが〈人喰らい〉に付け込まれる隙になろうとも、その文化は六百年間途切れる事無く続いている。




「すっごーーーい!」


 視界を埋め尽くす洪水のような群衆に、鈴音は瞳を輝かせながら大声で叫んだ。しかし、その叫び声すら人々が無意識のうちに発する騒音に掻き消され、群衆の誰一人としてその声に反応する者はいなかった。


「さぁ鈴音さん、あの橋を渡ったら中心都だ」


 椎名が優しい瞳で鈴音を見詰めながら、何百人もの人々が列をなして渡っている大きな架け橋を指差して言った。鈴音は頷き、人々の列に紛れて歩き出そうとしたところ、椎名が肩を掴んだので足を止めた。


「どうかなさったのですか?」


 鈴音が尋ねると、椎名は自分の声を周りの騒音に掻き消されないように、鈴音のすぐ耳元で言った。


「これだけの人の中で離れずに歩くのはまず無理だよ。ここは別行動にしよう。それに、僕は用事を済ませてこないといけないし……それまでは、鈴音さんの好きなように行動してくれていいよ」


(そうだ、椎名さんには用事があったんだ……鬼熊を診るという大変な用事が……)


 鈴音は頷いてから背伸びして、椎名の耳元で「気を付けて下さいね」と労いの言葉を掛けた。椎名はニコッとしてから、鈴音の頭に優しく手を置いて答える。


「大丈夫さ。用事が済むのは多分お昼頃、その時間帯には太陽城の城下にある〈神住み広場〉という広い土地で王様の代理人が祝辞を述べている筈だ。祝辞が終わり次第に例の物が晒される予定だから、待ち合わせはその時にしよう」


「昼過ぎ……太陽城の近く……王様の祝辞……ですね。分かりました」


 鈴音は椎名の言葉を復唱して微笑むと、彼に一時の別れを告げて、人々が歩いている列の中に紛れ込んだ。列に並んで歩いている人達は老若男女、纏っている衣も皆それぞれ違った文化が感じられて、国中の人々が集まっているのだろうと鈴音は推測した。


 周りを人に埋め尽くされて、何度も転びそうになりながら、鈴音は知らぬ間に世渡り橋を通過していた。巨大な街--自然を煉瓦で埋め立てた中心都……固い地面に石のような家……人々に阻まれてその姿が見えなくとも、雰囲気で分かる。煉瓦の赤・茶・白の色彩によって埋め尽くされた街の姿が。あまりにも数多く連なる家々の黒い影が、太陽の暖かな光の代わりに、冷たく地に差している。


(変わってない……やっぱり、ここは何処か寂しい)


 鈴音は人々が行き交う通りから僅かに反れ、あまり人のいない道を選んで歩くことに決めた。慣れていない為なのか、群衆の中で歩いていると、呼吸が苦しくなるように感じた故である。


 鈴音が見かけた人の群れは大抵の場合、家族か友達連れだった。鈴音はそういった人々の様子を眺めていると、微笑ましくもあり、僅かに空しくも感じた。屋台に売られている物は子供が遊ぶような玩具が多く、彼女はチラッと売り物を眺めて何も買わずにそこから立ち去るといった事を繰り返した。


 どのぐらい彷徨していたのか、正確な時間は分からない。そう長い時間ではなかった筈だが、鈴音はもう祭りに飽きてしまっていた。と言うのも、中心都は全てが煉瓦に埋め尽くされており、どこに行っても同じような景色が広がっているのである。樹木や草花や動物が好きな鈴音にとって、中心都は心惹かれる場所では無かったようだ。


 鈴音は、玩具売りの屋台から十歩程離れた場所にある木製の長椅子に座り、顎に手を当て、通りを行き交う人々を眺め始めた。


 親に玩具を買って貰い喜ぶ子供、そんな我が子を愛しそうに見つめる両親。逆に、欲しい玩具を買って貰えず、不貞腐れた様子の子供もいる。祖父母を連れた一家。兄妹で楽しそうに走る幼児。四,五人の仲間達と愉快そうに話している少年・少女。恋人同士で手を繋ぐ男女。大笑いしながら歩く青年達。淑やかに歩く少女達……皆それぞれ階級も住む場所も違うのだろう。それでも全ての人々が、この日を精一杯に祝おうと、歩いて、話して、進んで行く。


 鈴音は思う。今生きている皆は、それぞれ辛い出来事を経験して、それでも生きて、笑っているんだろう。やっぱり、鬼人と人間に大きいな違いなんて無い。神住み島の神木を取り囲んで行われる年に一度のお祭りでも、鬼人の仲間達皆がこんな風に、お互い笑い合って生きていける事を祝っていたのだから。




 長い間人々を眺めていると、鈴音の隣に、何時の間にか男が座っていた。男は雨が降っている訳でもないのに笠を深く被っていて、暗い色をした衣を身に纏い、気配をほとんど感じさせず、長椅子に腰掛けている。


「凄い人ですね……わたし、こんな光景は初めてです。アナタは、毎年この祭りにいらっしゃるのですか?」


 鈴音は姿勢を正してから、隣に座る男に話し掛けた。男は何故か一瞬驚いたような素振りを見せたが、直ぐに平静を取り戻し、随分と低い声で答えた。


「毎年……ああ、そうだな」


 男の顔は笠でよく見えないので、年がどれ程なのかすら分からない。ただ声から、まだ若いように思われた。しかし、鈴音はどうにも違和感を覚える。この男が隣に座っていても、会話をしても、まるで気配を感じられない。何も無い場所に話し掛けているような錯覚に陥る。


「それじゃあ、これだけ人がいても驚かないですよね……」


 鈴音が笑顔で言っても、男は微動だにしない。おそらくずっと無表情のままである。しばらく沈黙が流れ、鈴音がまた行き交う人々に目を向けた時、男が静かな声で言った。


「問題は、この中の何人が犠牲の真なる意味を理解しているか……だ」


 鈴音は男の言葉に驚いて、男を再び目視した。犠牲とは……生け贄のことだろうか? 真なる意味とはどういう事だろう? 鈴音が疑問を投げ掛ける前に、男は音を出さずに立ち上がり、人混みの中へ去ろうと動いた。


「ま、待って……」


 鈴音も急いで立ち上がり、男の腕を掴んで男を止めた。男は手甲をはめており、手甲には仕込み刀が付けられている。鈴音は驚いたが手を離さず、何も言わずにその格好のまま止まった。そうしていると、男が僅かに笑って、慣れた動作で鈴音の手からスルリと自分の腕を抜いた。


「安心しろ……俺は賊などでは無い」


 男の言葉に、鈴音は納得することなく頷いた。この男はいったい何者なのだろう。何か尋ねようにも、何から尋ねれば良いのか分からない。黙っていると、直ぐにでも男は去ってしまいそうだ。


 鈴音は瞬間、頭に思い浮かんだ質問を、無意識の内に尋ねていた。


「アナタは……えっと……お名前は?」


 鈴音の問いに、男は口元をニヤッとさせてから、答えた。


「九百六十七番……だ」


 鈴音が首を傾げて、次に瞬きをした時には、九百六十七番と名乗った男の姿はどこにも無く、楽しそうに行き交う人々の姿だけが、鈴音の視界に写っていた。



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