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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
14/58

14,仏間にて偲ぶ

 丑三つ時の仏間は、不思議な寒々しさを感じさせる。


 お千代は座布団の上に座って、ずっと黙ったまま微動だにせず、仏壇を眺め続けている。鈴音は汚れた畳の上に座って、一言も発さず、お千代の後ろ姿を物憂げな瞳で見詰めていた。数分前までは厠に行こうと旅館内を彷徨していた事など、とうに忘れている。


 暫くすると、眩しい光と共に大きな轟音が天空から響き渡った。それを合図としたかのように、お千代がゆっくりと鈴音に話しを切り出す。


「ヒッヒッヒッ……お嬢ちゃん……わてのことが、気になり出しているんだろ?」


 鈴音にとってこの言葉は、正しく「ズバリ」だった。鈴音はつい先程から、お千代の過去について考え込んでいたのである。何故ならば、自分とお千代に、何処か近いところを感じたからだ。


 今まで出会った人間達には感じなかった、不思議な感覚。鈴音は自分とお千代の何処が似ているのかを考量していたが、中々見付けることが出来ず、相違点ばかりが目立って探し出されるのである。そうして思案している間に、自分が特筆して常人と異なる点と言えば過去の出来事であり、もしかするとお千代は、自分と同じような経験をしてきたのではないかと、鈴音は結論付けたのだった。


 しかし、今日出会ったばかりの他人に、「アナタは過去に辛い経験をしましたか?」などと尋ねられても、失礼だと感じて答える事はないだろう。だからこそ鈴音は、ずっと黙っていたのだ。


「遠慮する事はないよ……ヒッヒッヒッ……わても、ここにお嬢ちゃんが来た時からずっと、お嬢ちゃんのことが気になっててね……ヒッヒッヒッ……」


 お千代が相変わらず仏壇を眺めたまま言った。笑う度にその貧相な肩が揺れている。鈴音はお千代の言葉に暫く黙って俯いていたが、直ぐに耐えられなくなり、顔を上げ、思い切って尋ねてみた。


「お千代さん、アナタは昔……」


 鈴音が話し始めたところで、お千代が絶叫に近い大きな笑い声を上げた。その瞬間に雷が鳴ったが、その轟音すら掻き消すほどの大きな笑い声だった。鈴音が呆気にとられて口を開けたままポカンとしていると、お千代がまた突然に笑うのを止めたので、再び仏間に静寂が訪れた。


 二度目の静寂はそう長くも続かず、その短い沈黙を破ったのもまた、お千代だった。


「やっぱりねぇ、ヒッヒッヒッ……お嬢ちゃん、アンタ捨て子だろ」


 お千代の言葉に、鈴音は驚いて押し黙った。何故ならば、あまりにも正直で直線的に、失礼な言葉を受けたからである。おまけに、お千代のその失礼な推測は外れていない。鈴音は過去に、捨て子と呼ばれても仕方の無い様な境遇を送ってきているのだから。


 鈴音が黙っていると、お千代が仏壇から目を離して上半身だけを鈴音に向け、追い立てる様に言った。


「そうだろう? そうなんだろう? わてもそうさ! 簡単に捨てられた」


 鈴音が何か言葉を返す前に、お千代は自らの過去を話し始めた。


「わては戦争中に捨てられて、孤児となった。それでも良かったよ……あんな親なんて必要ないね。だけれど、若かったわてには食い繋ぐ方法が無かった。当然、飢餓に陥ったよ」


 百年戦争中に孤児が急増し、餓死者が増えたという話しは、鈴音も鬼人の学び舎で習っていた。だが、鈴音はその被害者当人が目の前にいるという状況に、同情したくもあり、申し訳ない気持ちにもなった。お千代が自分の過去を嘲るかのような口調で続ける。


「そこで、わては出会った。今は亡き旦那にね。助けて貰ったんだ。身も心もボロボロの、拾ったところで得る物が何もないような女に、救いの手を差し伸べてくれた……」


「月日が経ち、わて等は夫婦となった。戦争が終わって、痩せ細った土地を耕し、お互いに協力しながら、息子も生まれて、幸せだったよ……。そんなある日、息子が十歳になった祝いを兼ねて、家族三人で〈生け贄祭〉に行った」


 お千代の声音が、今まで以上に暗くなっている事に、鈴音は気が付いた。


「生け贄祭……毎年のように王様の詔を代理人が話し終えた時に、奴等がやって来た」


「奴等……?」


 鈴音が尋ねると、お千代は「ヒッヒッヒッ」と笑ってから、名前を出すのも汚らわしいかのように、顔を目一杯に顰めて、「〈人喰らい〉さ」と答えた。


「奴等が何処から中心都に侵入してきたのかも分からないけれど、とにかく暴れた。国王の直属部隊も種族が違う相手には敵わなかった。わてに救いの手を差し伸べてくれたあの人は、大混乱の中で奴等の剣に貫かれて、あっさりと殺された」


 簡単に言ってのけるお千代に、鈴音は動揺を隠せなかった。自分の命を救ってくれた恩人--鈴音にとってはレインおじさんが、突然に命を奪われる……想像しただけでも涙が滲んで、目の前がグラグラと揺れた。


「わては息子の手を引いて逃げた。ああ……多くの人が殺されて……わてと息子の番になった……奴等の鞭がわてを打とうとして、息子がわてを庇った。そこで兵士の援軍がやって来て、奴等を漸く追い出し始めた。けど、息子はもう駄目だったよ。当たり前さ……あれだけ……血が出ていたんだから」


 鈴音はお千代の話を聞き終えて、鬼人と人間の亀裂を今までで一番はっきりと見たように思った。同時に、自分が何故お千代に何処か近いところを感じたのかを理解した。捨て子であったというばかりでは無い。鬼人に人生を変えられた。それがどんな方向であるかは別だが、二人の共通点だ。


「ヒッヒッヒッ……わてはもう、正気でなどでいられなくなったのさ。今わての中にあるのは、わてを捨てた家族への恨みだけだよ。わてが捨てられることが無ければ、旦那も別の場所で幸せになっていただろうし、息子も最初から苦しまずに済んだだろう?」


 お千代が最後にそう付け加えると、鈴音は耐えられず、自分の思いを口にした。


「わたしは、お千代さんのように強くないから、現実から目を背けているだけかもしれません。それでも、言わせて下さい」


 お千代は再び仏壇の方に向き直った。しかし、鈴音は構わず続ける。


「お千代さんがおっしゃたように、わたしは捨て子です。それでも、家族を恨んでいません。人が誰かを恨んでしまえば、それが何時の間にか膨れ上がって、自分自身でも手が付けられなくなるようになると、思うんです」


「それはお嬢ちゃんの本心かえ? 恨まないと? それすらなければ幸せに生きることが出来たかも知れないのに? 誰かの理不尽で人生を捻じ曲げられる事を、認めるのかえ?」


 鈴音の言葉に、お千代は振り返って取り乱したように言った。鈴音は首を振って、慎重に選んだ言葉で返事をする。


「認めはしません。わたしも、許せないことがたくさん有ります。でも、恨みたくないんです。恨みは病原体みたいに、感染していきます。許せなんて……とても言えません。でも、自分を救う為には、自分が幸せになるしか……ないと思います」


 鈴音の言葉が、お千代に届いたのかどうかは分からない。ただ、お千代は一言、「良い子だね」と呟くと、再び黙って仏壇を眺め始めた。




 翌朝には雨は止み、暖かな快晴となった。しかし、鈴音と椎名が旅館を出る頃になっても、お千代の姿が何処にも見当たらないのである。お千代が何処に行ってしまったのか、二人には知る由もない。ただ、玄関に置いていた鈴音の足袋の上に、何時の間にか手紙が置かれていて、達筆な字でこう書かれていた。


「わてが帰ってくるまで、この旅館はお嬢ちゃんの物にしておくれ」


 椎名は心配そうに旅館内を探し回っていたが、鈴音はその手紙を読んで、不思議とお千代の心配をする必要は無いように思えた。



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