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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
12/58

12,目的の土地へ

 鈴音は中心都に一度だけ訪れた事がある。それは生け贄の日の当日、母に赤い高価な衣を着させられ、家族と友人とに別れを告げた翌日の事である。


 鈴音は、生け贄に選ばれた娘を中心都に運ぶ為に用意された豪華な馬車に乗せられて、同乗した国王の直属護衛兵達に取り囲まれながら、赤坂村から中心都へと一日掛けてやって来た。馬車の中では静かにするように促されて、護衛兵達の哀れみを含んだ同情の視線を何時間も受けながら、鈴音は自分の運命を一人で悲しんでいた。ただ、家の誇りを守る為にと、涙は流さなかった。 


 侵入者を拒む巨大な堀から大きな木の橋で中心都に入り、見えてきたその大きな町並みと人間の数に圧倒された。立ち並ぶ家々も地面も壁も、全て石のような物で出来ている。鈴音と唯一口を聞いてくれた護衛兵の話によると(基本的に護衛兵は生け贄と話す事を禁じられていた)、これ等は粘土と砂と石灰を窯に入れて焼き固めた煉瓦と言う物らしい。鈴音は固い地面に違和感を覚えながら、木々が一本も生えていない、全く自然の無いこの街を、寂しい所だと思った。




「準備は出来たかの?」


 一太郎が鈴音の様子を見に客間までやって来て言った。鈴音は小さな青い袋に人間の世界のお金(交易島で薬草を売って得た物)と数種類の薬を入れて立ち上がり、頷いた。 


「何かあったら文瀬に尋ねるといい。ああ見えて優秀で頼りになる男じゃ」


 鈴音はもう一度頷いて袋を懐に仕舞うと、一太郎を真っ直ぐに見詰め、思いを込めて言った。


「おじいちゃん、もう一度会えて、わたし本当に嬉しかった。ううん……何て言ったら、この気持ちを伝えられるのか分からないけど……とにかく、本当に有難う……」


 鈴音の言葉に一太郎は微笑んで頷き、十年前、初めて出会った時のように鈴音の頭を優しく撫でた。そしてどこか遠くを眺めるような目をして、深い声音で言った。


「もう、しっかり伝わっておるとも」


 鈴音もニッコリと微笑んだ。とても暖かな空気が流れている、そんな感覚に心を洗われた。




 鈴音と椎名、そして一太郎は三人で林道を抜け、草臥れた馬小屋まで歩いた。鈴音が借りた馬と椎名が乗ってきた馬が、二匹並んで仲良さそうに水を飲んでいる。鈴音は馬に乗り、これから一日この子に頑張って貰わなければならないので、応援と感謝の意を込めて頭を優しく撫でた。


 椎名は一度馬に乗るのに失敗して頭から転げ落ちていたが、ずれた眼鏡を直して自分で大笑いしていた。先までは心配していた鈴音も、一人で笑っている椎名の様子が可笑しくてつい笑ってしまった。


「さて、二人とも気をつけるのじゃよ」


 一太郎が特に椎名を見て言うと、椎名は「大丈夫ですって」と誤魔化しの笑いを作って言った。しかし、鈴音の様子を見て直ぐにその笑いを引っ込めた。先程まで一緒に笑っていた鈴音が、無表情に一太郎を見詰めていたからだ。一太郎が困ったように首を傾げると、鈴音は表情を変えずに震える声で尋ねた。


「おじいさん……また……来ても……いいでしょうか?」


 鈴音の言葉を聞き、一太郎は優しい笑みを浮かべてから答えた。


「勿論じゃ。何時でもおいで」


 一太郎に別れを告げて、二人は中心都へと馬を走らせる。




 数時間走っては休憩を取り、それを繰り返して少しずつ中心都へと近付いていく。季節は春で温かな陽気が二人を包む……とはいかなかった。途中で雨が降ったり雷が鳴ったりと天候は最悪だったのだ。ただでさえ滅多に馬に乗らない二人は体力を相当奪われ、くたくたになりながらも本日五度目の休憩を取る。辺りは薄暗くなり、もう今晩泊まる宿を探さねばならなくなった。


「いや〜しかし疲れるね〜歳をとると体が直ぐに疲れてしまうよ」


 椎名が河原の芝生地帯で寝っ転がって言った。鈴音は澄んだ河に泳ぐ魚を眺めて、雨に濡れた髪を掻き上げながらふと疑問に思った事を尋ねた。


「そういえば、椎名さんってお幾つなんですか?」


「もう三十さ。百年戦争が終わった歳に生まれたって事だね」


 三十!? と鈴音は叫びそうになり慌てて自分で口に手を当てて制した。まだ二十台前半もいいところだろうと考えていたので、些か衝撃だったのだ。随分と若く見えるなぁ……と感心した。


「鈴音さんは?」


 椎名に尋ねられて、鈴音は「十六です」と答えた。椎名は「若いってのはいいねぇ」と言った後に、「あっ、女性に年齢を聞くのは失礼だったかな」と小さな声で呟いた。鈴音は何故失礼に当たるのかさっぱり分からなかったが、人間の世界では常識なのだろうと自分で了解して、何も尋ねなかった。


「さて、次の里まで行こうか。花宮村……中心都の近くで旅館があるし、今日はそこに泊まるとしよう」


 椎名の言葉に鈴音は頷き、立ち上がって再び馬に乗った。




 花宮村に辿り着いた頃には辺りはすっかり暗くなり、鈴音の体も限界に来ていた。首と腰とお尻が強張っていて痛い……。それは椎名も同じらしく、馬を小屋に置いた後は痛みに呻きながら旅館を探した。


 花宮村は一軒一軒が遠く離れた箇所に建てられており、かなり広い土地である。それ故、今の二人には地獄の旅館探しとなってしまった。残念ながら努力の甲斐もなく、三軒ある内の二軒は客室いっぱいであり、残るは馬小屋から一番離れた場所にある旅館だけとなった。


「ごめんくださ〜い」


 椎名が疲れ切った声音で挨拶した。旅館〈みやさわ〉はかなり豪華な外装をしており、部屋が空いているとは考えられなかった。それでも春の寒空に寝るわけにもいかず(そもそもそんな体力も残っておらず)、僅かな希望を胸にやって来たのだ。


「お客さんかい? ヒッヒッヒッ。いらっしゃ〜い」


 出迎えてくれたのは六十歳台ぐらいのおばあさんだ。もの凄く甲高い声をしていて、笑い声も不気味である。そこで鈴音は気付いた。恐らく椎名もほとんど同時に気付いたのだろう。旅館〈みやさわ〉は外装や玄関までは立派だが、内装は廃旅館のように草臥れている。


「すみません……二人……空いてま……」


 椎名が言い掛けたところで、おばさんが目にも止まらぬ素早さで新聞紙を丸めて、床を叩いた。見事な技である。床には御器噛二匹が、おばさんの手に持つ新聞紙によって絶命していた。


「え? 二人? お二人さんかぁい? 空いてるよ……空いてるよ。ヒッヒッヒッ」


 鈴音は呆気に取られておばさんを見ていた。今までこんなに変わった人を、例え鬼人を含めても見た事が無い。金縛りにあったかのように動かない二人を見て、おばあさんが頭を滅茶苦茶に掻きながら甲高い声で続けた。


「わては……そう、旅館……〈みや〉……何だったけかな? まぁいいや。それの女将……お千代だよ。ヒッヒッヒッ……ヒッヒッヒッ」


 椎名はお千代の笑いに顔を引き攣らしている。鈴音は会話をしなくとも椎名の気持ちが分かった。今晩ここに泊まるのは止めにした方が良さそうだ。鈴音は出来るだけ自然に振る舞って言おうとしたが、僅かに声が上ずってしまった。しかし、それでも構わずに話した。


「すみません、お千代さん。わたし達やっぱり別の……」


 その時、強く眩しい光と共に大きな雷鳴が轟いた。しばらくしてから激しい雨が降り出し、パラパラという大きな雨音と、土の匂いが旅館の中に漂ってきた。


「外に泊まるのは……よした方がいいよぉ……。黒焦げになりたくなけりゃねぇ……ヒッヒッヒッ」


 鈴音と椎名は雷の光で怪しく光り、妖怪の様になってしまっているお千代から眼を背けられなかった。


「さぁ……さぁ……お二人とも……こちらへ……ヒッヒッヒッ」


 床の軋む音が、妙に大きく旅館内に響き渡る。


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