10,鬼人と人間
鈴音はそれから十年間の出来事を全て一太郎に話した。鬼人に救われ、鬼達と共に育った事、そして自分の夢の事も……一太郎は複雑な表情をしていたが、最後まで口を一切挟まずに、黙って話しを聞いてくれた。鈴音は話し終えてから、辺りがすっかり暗くなっている事に気が付いた。
「綾乃……いや、鈴音。この事は誰にも告げてはならん。わしに話すべきでもなかった」
一太郎が厳しい声音で鈴音に告げた。鈴音はこくりと頷いたが、後悔はしていなかった。話す必要があると強く感じたのだ。一太郎も鈴音の気持ちを理解してくれたようだし、だからこその警告なのだろう。
二人共が暫く口を開かないでいると、一太郎が急に力なく崩れた。鈴音は驚き、急いで一太郎に駆け寄って彼の細い身体を支えたが、その必要は無かったようだ。一太郎は瞼を押さえて頻りに、
「良かった……良かった」
と涙声で呟いていた。鈴音は、そんな一太郎の様子を見て心が温かくなり、笑顔で「はい」と元気よく答えた。
「うむ……しかし、喜んでばかりもおられぬ。どうしてお主は、其れ程までにその夢を望む? お主にとっては、そのまま鬼人と共に過ごしていた方が、幸せであったじゃろう」
一太郎は最後に優しく「そのお蔭でわしは生きる希望を持ち直せたがの」と付け加えて言った。鈴音はううんと首を振って、鈴音としてではなく昔の自分、音無綾乃として明るく話した。
「わたし、たくさんの経験をしました。それで気が付いたの。人も鬼人も大きな違いは無いって。お互い歩み寄れない状態が続いているけれど、少し流れが変われば、直ぐに仲良くなれる筈だって」
一太郎は納得出来ないようだった。というより、鈴音の夢は到底誰にも理解することは出来ないのかも知れない。何故ならば、今生きている人間も鬼人も、お互いが敵であるという事は、口を挟む必要すら無い程に常識的な事なのだから。
一太郎は言い泥んでいる様で、口をモゴモゴさせていた。鈴音が首を傾げると、彼は話す決心が付いたらしく、鈴音を真っ直ぐに見詰めて言った。
「綾乃。お主、人間と鬼人の関係をどれぐらい知っておる?」
鈴音は綾乃と呼ばれて少し困惑しつつも、顔には一切戸惑いは出さずに、一太郎の質問に答えた。鬼人と人間の関係についての知識はたくさん持っている。学び舎での歴史の試験は常に満点だったし、昔はよくレインおじさんや村長の書物庫に勝手に入り込んでは歴史書を読み漁ったりしたものだ(勿論、後でこっぴどく叱られた)。
「二百年前から鬼人と人間の交流は始まり、両者は良い関係を築いていました。お互いの知識を交換したり、物質の輸出入も頻繁に行われました。今では数多くの国々が立てられたオルドビスと呼ばれる巨大大陸に鬼の種族達は暮らしていましたが、人間はオルドビス大陸にあるたくさんの資源が欲しくなり、鬼人を追い出そうとしました。当然、それから二つの種族は関係を悪くします」
「結局、種族間の諍いは増大して行き、最後には百年にも及ぶ戦乱が起こりました。つい三十年前まで行われていた、大きな戦争です。戦争には人間が勝利し、鬼の種族は大規模な引越しを行いました。この大きな争いの事を〈百年戦争〉と言います。鬼人・人間の犠牲者を合わせると、計二億人……」
鈴音は暗記していた事柄をスラスラと述べた。一太郎は、鈴音が話し終えた途端に、これまたスラスラと話し出した。
「しかし、鬼人の一部には戦争の敗北を認めたくない者達がいました。彼等は人間の世界でひっそりとくらしており時折、世界の各地で組織的暴力を引き起こします。彼等は〈人喰らい〉と呼ばれ、世界中の人々から恐れられています。彼らが引き起こした組織的暴力による犠牲者は、延べ数百万人にも上ります」
一太郎が話し終えた頃には、鈴音の顔色は真っ青になっていた。鬼人が人間を今でも殺し続けている……そんな話しは初耳だ。争い合っていたのは、昔の話ではなかったのか……? 信じられない気持ちだった。
「信じられぬか? しかし事実じゃ。そう、事実じゃよ綾乃。お主の夢は、非常に難しい。百年戦争後、共通の敵を無くした世界中の国々はバラバラになった。その上〈人喰らい〉じゃ。組織的暴力の狙いはお主と同じかも知れぬが、やり方に問題がある。人間達は……わしもじゃが、鬼人に偏見を持っておる」
鈴音は俯いて言い淀んだ。世界は思っていたよりもややこしくて難しい。自分の見聞の狭さに歯痒さを感じた。そして同時に、心の底で悔しく思った。仲良くする事は……こんなにも難しい事なのだろか?
「それでも、わたしは……」
鈴音が呟いたところで、一太郎が頷きながら、自分の細い腕を上げて制した。
「綾乃、人を学ぶのじゃ。鬼人については誰よりもよく知っておるじゃろうが、人間は非常に複雑じゃ。丁度、人を学ぶには良い機会がある」
鈴音が、一太郎の言葉を上手く飲み込めないでいると、誰かがこの家を訪ねて来たらしく、戸をコンコンと叩く音が聞こえた。こんな時間に、この廃村の外れに誰が来たのだろうか?
一太郎は「来たかの」と言って玄関に向かった。鈴音は、一太郎に泊まるよう勧められた際に「今日は客人が来る予定だ」と言っていたのを思い出した。
「遅かったの」
「そう言わないで下さい。これでも急いで来たのですから」
鈴音は思った。あれ? この声には聞き覚えがある。客人は一太郎に案内されて、鈴音のいる客間まで足早にやって来た。客人は鈴音を・鈴音は客人を見かけると、同時に「あっ!」と叫んだ。
「鈴音さん!?」
「椎名さん!?」
お互いに顔を見合わせてから一瞬間を置いて、同時に笑った。一太郎が「何じゃ? 知り合いか?」と惚けたように尋ねたが、鈴音はこんな偶然があるものなのかと可笑しくて、一太郎の問いに答える事が出来ずに、笑い続けた。
椎名がようやく笑い止んで、それから言った。
「いやぁ、直ぐに会えるとは言ったけれど、その日のうちにまた会うとはねぇ」
鈴音も笑い止んで、目に浮かんだ涙を拭ってから言葉を返した。
「本当に、凄い偶然ですね」
一太郎は一人だけ置いていかれたような気分を味わっていたらしいが、椎名が帆船で出会ったのだと説明すると、これはむしろ好都合だと言って笑った。
「各々不思議がっているじゃろうが、まぁ綾……鈴音、わしと文瀬は親戚なのじゃよ。文瀬、わしとこの子は昔からの知り合いじゃ」
「成る程。いやね、鈴音さんと初めて会ったときに、どうもこの子には見覚えがあると思ったんですよ。昔この村で、面識はなくとも会っていたのかもね」
鈴音は少しドキッとしてから頷いた。椎名は愉快そうに未だ笑顔のままだ。一太郎は「ふむ」と呟いてから、年長者らしく中心となって話し始めた。
「今日は全く良き日じゃ。もう夜は遅いが、三人で楽しく飲もうかの」
とは言っても、椎名は酒をほとんど飲めず、鈴音は人間の酒と言うものを始めて飲んだが、どうにも舌に合わなかった。なので結局一太郎が、一人で酒を寂しそうに飲んでいた。
鈴音は楽しい夜を久しぶりに経験して、とても愉快な気分になった。
眠る直前、鈴音は湯浴みをした後、一太郎から与えられた六畳ほどの一室に寝転がっていた。今日はたくさんの出来事があったなぁ……と思い返す。
(悲しい事実も知ったけれど、楽しい事もたくさんあった。でも、〈人喰らい〉とはこの先、何かがありそうな予感がする……)
静寂な廃村の古ぼけた家で、鈴音は静かに眠りに着いた。
第十話です。いやぁ~何事にも飽き易い自分が二ヶ月間小説を書き続けているのは、何だかんだで進歩と言ってもいいですかねぇ。
いや、作者はアクセス数一でも喜ぶような奴ですので、やはり皆様のおかげです。皆様がチラッと覗くだけでも作者はモチベーションが上がる上がる。
これからも宜しくお願いします。