第6話
まだこんなに身が残ってるのに、食べないなんてもったいない。
ポチの配信カメラの前で、私はまな板の上に残っていたフグの身を、全部切り分けた。
両手を合わせる。
「いただきます!」
「あーんむ〜」
私は目を細めながら、口の中で弾けるような魚の旨味を、うっとりと味わっていた。
そのとき、耳元で重たい声が響く。
「あなた……何か、最後に言い残すことはある……?」
さっき地面に崩れ落ちて、大泣きしていたお姉さんだった。
「遺言ですか?」
私は真面目に考えてみる。
「うーん……来月の電気代……割引とか、できませんか?」
「……」
彼女は痛ましげに目を閉じた。
「ダンジョンフグの毒が回るまで……もう十分あるわ」
「んむ! んむ! こりっ……こりっ……」
私はもぐもぐ咀嚼しながら、こくこくと頷いて話を聞く。
「十分以内に、あなたの神経系は完全に麻痺する……その間も、意識だけははっきり残るの」
「自分の体が、少しずつ自分のものじゃなくなっていくのを……全部、見せつけられる……」
「最初に動かなくなるのは……体を動かすための筋肉」
「それから……呼吸をするための筋肉も……」
「ほおほふはぁ……こりっ……」
私は目を見開きながら、そのまま次のひと切れを口の中へ放り込んだ。
「フグ毒を食べた人間は、最後には毒そのもので死ぬんじゃない……神経系が壊されて、呼吸できなくなって、そのまま窒息して死ぬのよ! あの死に方は……」
彼女は見ていられないというように、苦しげに目を閉じる。
「おおぉ……」
私は衝撃のあまり、声を長く引っ張った。
……ラストひと切れ、無事に消えた!
そういえば、この魚を捌いた包丁とまな板って、危険物扱いにしたほうがいいのかな?
誰かがうっかり触ったら大変かも。
「だから……」
女剣士さんは、すっと姿勢を正した。
そのまま何もない空間へ手を伸ばし、何もないはずの場所を握る。
俯いた彼女の手の中で、眩い光が弾けた。
次の瞬間。
まるで虚空から引き抜かれるみたいに、透き通るような蒼の長剣が、彼女の手に現れる。
剣身からは冷気がじわりと滲み出していて、空気までも少し張りつめたように感じた。
「私が先に、あなたの苦しみを終わらせてあげる」
「……???」
私は目を丸くしたまま呆然として、手にしていた魚の骨をぽとりと落とした。
「ちょっ……待って!! え、ちょっと!!」
[毒効果反転が発動しました!]
[状態「神経過駆動」を獲得!(持続時間:1時間)]
[状態「極限適応」を獲得!(持続時間:24時間)]
「ごめんなさい。でも、せめて病院には連れていく。もうこれ以上、あなたを好き放題にはさせられないわ」
女剣士さんは高く腕を振り上げ、そのまま剣の柄を私の後頭部めがけて叩き下ろしてきた!
「だから毒は効かないって言ってるのに! って、うわああ危なっ——」
私は反射的に避けようとした。
……その瞬間だった。
剣の柄が振り下ろされる、その一秒が。
突然、信じられないほど長く、ゆっくりに感じられた。
彼女の動きは、まるでカタツムリが這っているみたいに遅い。
え、なにこれ……。
ちょ、ちょっと、そっち大丈夫!?
一瞬、女剣士さんのほうに何か異常が起きたのかと思った。
けれど周囲を見回して、私は気づく。
遅くなっていたのは、彼女だけじゃない。
世界そのものが、まるごとスローモーションになっていた。
まるでこの世界全体に、減速ボタンでも押されたみたいに。
……でも、私にそんなスキルはないはず。
待って。
まさかこれ、フグ毒の効果……?
フグ毒って、本来は神経系を抑制して、完全に麻痺させる毒だよね。
それが反転したなら、つまり——暴走!?
世界が遅くなったんじゃない。
私が、速くなったんだ!
「ふぅ、よかったぁ……」
発動のタイミング、完璧すぎる……!
これが間に合ってなかったら、ほんとに気絶させられてたかもしれない。
病院に運ばれたら、それはそれで大問題だよ。
保険で大半がカバーされるとしても、今の私の財布事情だと普通に致命傷だし……。
私は世界がゆっくりになっているその隙に、慌てて女剣士さんの柄での一撃をひょいっとかわし、そのまま指を一本ずつ外して、剣をするりと奪い取った。
……というか、この剣すごく綺麗!
こんなの、壊したら絶対弁償できないよね。
だから私は、その剣を大事に胸に抱え込んだ。
全部終わった瞬間。
世界は急に加速して、元通りの速さへと戻る。
「……なっ!?」
女剣士さんが、信じられないという顔で目の前を見る。
つい今しがたまで、間違いなく自分の真正面にいたはずの私が——
消えてる!?
彼女は咄嗟に剣を握り直そうとして、
……待って。
剣は!?
手の中にあった剣は、どこに行ったの!?
「あり得ない……!?」
「だから大丈夫だってば。はい……これ、返します」
声は、彼女の背後からした。
女剣士さんが勢いよく振り向く。
私は抱えていた剣を両手で捧げ持つようにして、彼女の前へ差し出した。
「そんな……一瞬で……」
一瞬。
たった一瞬で、回避と剣を奪うことを両方やったっていうの……!?
ぞわり、と背筋が冷える。
女剣士さんの全身から、一気に冷や汗が噴き出した。
視界の端には、かろうじて残像だけが映っていた。
でも、脳がまるで追いついていない。
もし今、相手に自分を害する気があったなら——
自分には、抵抗する資格すらなかった。
「心配してくれたのは、本当にありがとうございます。私の命を気にかけてくれたこと、すごく嬉しかったです。でも……剣は返しますから、もう頭を叩くのはやめてくださいね!」
私は後頭部を押さえながら、しっかり警戒する。
女剣士さんは、まるで魂が半分抜けたみたいな顔のまま、ぼうっとしてその剣を受け取った。
——わけが分からない!
今、何が起きたの!?
速度系のスキル?
それとも、もっと厄介な……時間系?
「さっきも言いましたよね〜。私、毒関係のスキル持ちなんです。だから、こういう毒は効かないんです……
でも、みなさんに心配かけたのは、本当にごめんなさい」
私は配信カメラへ向かって、ぺこりと頭を下げた。
[礼儀正しい幽霊だ……]
[さっきこいつが背後に回った瞬間、こっちはちゃんと見たからな! 幽霊じゃないと無理だろ!]
[人間のフリはやめろ!!]
[退散!! 退散!!]
[もう除霊師に連絡した! こっちは今、スマホごと封印してもらってるからな! 這い出てくるんじゃねえぞ!!]
「……」
私の説明、まるで意味がなかった。
「お腹いっぱいになったので、今日の配信はこのへんで終わりにしますね〜
次回の配信では、別のものを試してみたいです。もう少し、普通寄りの食べ物とか。
たとえば、えーと……ブルーリングオクトパスとか、カツオノエボシとか……あとはダンジョン特産の正体不明キノコ、とか……それか、ゾンビ?」
[???]
[ゾンビ??????]
「とにかく、みなさんが“味は気になるけど自分では絶対に試せないもの”があれば、コメント欄でもDMでも送ってください。できるだけ頑張って、食べてみます」
[視聴者12442からギフトを獲得しました(6000円相当)
メッセージ:どうか安心して成仏してください]
[視聴者198811からギフトを獲得しました(6000円相当)
メッセージ:金ならやる! スマホも燃やして送る! だから頼む、俺に取り憑かないでくれ!!]
[視聴者100059からギフトを獲得しました(12000円相当)
メッセージ:南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……]
配信ギフトの集まり方が、想像してたのとだいぶ違う気はするけど……
でも、少なくとも来月のポチのサブスク代はこれで確保できそうだ。
「それじゃ、私はもう寝ますね。みなさん、また明日〜」
私は配信に向かって、ひらひらと手を振った。
[は!? 明日も来る気かよ!!]
[取り憑くな取り憑くな取り憑くなぁぁ!!]
[ネット中で唯一、更新催促する気になれない配信者なんだけど……]
[もう配信しないでくれ! 頼むからそのまま成仏してくれ!!]
[……]
配信欄の悲鳴を完全に無視して、私は配信終了ボタンを押した。
ふぅ——なんだか、ほっとした気分。
配信の裏には、かなりたくさんのDMが届いている。
みんな、そんなに気になる食べ物があるんだね。
……って、なんで全部お経なの!?




