第5話
[終わった終わった終わった終わった終わった——!]
[吐き出して! 今すぐ吐いてえええ!!]
[……見てられない……フグ毒の死に方って、めちゃくちゃ苦しいって聞いたことある……しかもダンジョン産とか……]
[ダンジョンのフグ毒は解毒不能! しかも発症が早すぎる! もう吐いても間に合わない!]
「やめて——!」
慌てたような足音が、少し離れた場所からこちらへ近づいてくる。
けれど——彼女が駆け寄ってくるより先に、私は魚の身を飲み込んでしまった。
私が魚を飲み込むのを見た瞬間、彼女は絶望したようにぴたりと足を止めた。
目は虚ろで、全身の力を根こそぎ抜かれたみたいに、その場で私の前に崩れ落ちる。
「……間に合わなかった……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
彼女はずっと謝り続けていた。
両目の端から、涙が二筋、ぽろぽろと頬を伝って落ちていく。
あまりにも激しく泣くものだから、私は少し、どうしていいのか分からなくなった。
でも——私のほうも、かなり泣いていた。
私は両手で魚を抱えたまま、泣きながら、かじる。
「うぅぅ……なんでこんなに美味しいのぉ……!」
「うぅぅ……ごめんなさい……遅くなって……!」
「うぅぅ……めちゃくちゃ美味しいんだけど……!」
「うぅ——」
「わあああああ——!!」
私たちはそのまま、向かい合って大号泣した。
私は泣いて、ひとくちかじって、また泣いて、またひとくちかじる。
泣いてはかじって、また泣いてはかじって。
そんなことを繰り返しているうちに——
彼女が、ふと目を開けた。
そして、私がまだ魚をかじっていることに気づく。
泣きぐしゃぐしゃの顔のまま、泣き声まじりに震える声で言った。
「……なんで……まだ食べてるの……!」
「だって、お腹すいてるし」
「お腹すいてるなら普通のものを食べなさいよ!!」
「……お金ないし」
「だからって、そんな危ないものを食べた理由が、“お腹すいたから”だけなの!?」
「うん」
私はぱちぱちと瞬きをする。
……そんなにおかしいこと?
「……」
なぜか、彼女の顔には、どうしようもない絶望みたいな、力の抜けた表情が浮かんでいた。
「えっと、その……心配してくれて本当にありがとうございます。ほんとに。でも、これからちょっとタレを用意するので……一緒に食べます?」
「……?」
「あっ、ごめんなさい! 食べられないですよね……!」
私は慌てて謝ってから立ち上がり、リュックを開ける。
「たしか醤油持ってきてたはず……どこだっけ……」
「……あっ、あった!」
不思議なことに、さっきフグが放った魔法は、自分の体の半分だけを焼いていた。
もう半分は、生のまま。
つまり——調理方法を自由に選べるってこと。
ということは……
「刺身……できるかも」
いわゆる——伝説の料理。
フグの刺身は、かなり高級な食材として知られていて、独特な食感があるらしい。
ただ、専門の調理師が扱わないといけないから、普通はなかなか食べられない。
しかも、高い。
私みたいなのには、まず縁のない食べ物だ。
というか……
「刺身なんて、一度も食べたことないけど……」
生まれてこのかた、一度も。
フグ刺しどころか、刺身そのものを食べたことがない。
「えっと……どこを切ればいいんだろ……?」
当然、作り方なんて分からない。
私の中の“刺身”のイメージは——
食べられそうなところを切って、薄くして、醤油とわさびで食べるもの。
たぶん、そんな感じ。
「このあたり、なんか良さそう……」
透明で、きらきらしていて、水晶みたい。
ダンジョン産のフグは、見た目がやたら綺麗だ。
正直、生の魚を食べるなんてちょっと抵抗があると思っていたけど……
これはもう、肉っていうより半透明のグミみたいで、全然抵抗感がない。
コリッ。
弾力のある皮の内側で、透き通った身がぷるっと揺れる。
私はそこを、そっと切り取った。
「……あれ、ちょっと厚いかも?」
「刺身って、どのくらいの薄さなんだろ……これで大丈夫かな?」
私は魚をカメラの前に掲げる。
コメントが一気に流れる。
[幽霊が喋ってる……?]
[スマホが呪われた……助けて……]
[来ないで来ないで来ないで]
[退散!!退散!!]
[ごめんごめんごめんごめん!! そんなつもりじゃなかった!!]
[許して許して許して]
[南無……]
[成仏して……]
「……」
「勝手に成仏させないでよ!」
私は呆れ半分にため息をついた。
どうやら、コメント欄からまともなアドバイスはもらえそうにない。
「……もういいや。とりあえず食べてみよう。刺身って美味しいんだよね……たぶん」
私は魚をつまみ上げ、そのままカメラに見せながら口に運ぶ。
[刺身???]
[ダンジョン産フグの刺身???]
[OMG]
[さっきの毒よりやばくないそれ!?]
[なんでこの人、死に急いでるの!?]
「いっただきまーす!」
コリッ。
その瞬間——
私は、完全に固まった。
驚いたのは、味じゃない。
口の中に広がった——
その、食感。
「……え、なにこの食感」
いや、違う。
コリコリしてるのに、ちゃんと弾力もある。
こんな魚、あり得るの?
まるで……大根みたいにシャキッとしているのに、噛むとちゃんと“肉”の感触がある。
噛んだ瞬間、じんわりと甘さが広がる。
しかも。
全然、生臭くない。
一切。
本当に、一切ない。
魚っぽい生臭さが、まるでない。
ただ、澄んだ甘さと、軽やかな後味だけ。
強烈なインパクトはないけど、じんわり心地いい。
まるで、春の風みたいな味。
私はしばらく言葉を失っていた。
魚なのに、こんな食感があるなんて、思ってもみなかった。
コメント欄も、静まり返る。
[……死んだ?]
[三分間、黙祷しよう]
[……]
[……]
「……コリコリしてる」
[うわあああああ生きてる!!]
[退散!!退散!!]
コメントが一気に戻ってくる。
「すごい……魚なのに、コリコリしてる……!」
私はゆっくり目を開けて、少しだけ考え込む。
どう言えばいいんだろう。
美味しいって言いすぎるのは、ちょっと危ない。
下手に煽ったら、真似する人が出るかもしれない。
でも——私はこういう“食べてみた”配信をやってる以上、味についてはちゃんと正直に伝えるべきだと思う。
「こんなにコリコリした魚、初めて食べたかも……全然魚っぽくないし、生臭さもまったくないし……」
「でも、ネットで言われてるほど“とんでもない美味しさ”って感じでも……ない、かな……」
「美味しいけど……“命をかけてまで食べる価値があるか”って言われると……そこまでは、ないかも」
[“命をかけるほどの価値はない”って分かってるんだ!?]
[終わった! これで配信者の怨念はもっと強くなるんじゃない!?]
[「命がけで食べた料理なのに、死ぬ直前になって別にそこまででもないって気づいた」……終わった、お願いだからスマホから這い出てこないで、お願い……!]
「地球にあるちゃんとしたフグ料理店なら、試してみてもいいと思う」
「でも、ダンジョン産のは絶対ダメ。毒あるから。ほんとに」
[???]
[知ってたの!?]
「うーん……食感的には、クラゲっぽいかも。でも、もっと弾力ある感じ」
「そう考えると……カツオノエボシってどんな味なんだろ」
[???]
[???]




