第七話:裏門の密会
李 雪蘭と、王 麗華。
無気力な頭脳と、実直な手足。
その奇妙な共闘関係は、意外なほど順調に機能した。
麗華が、後宮内で見つけ出した不正や怠慢の報告書を、山のように雪蘭の書庫室へ運び込む。
雪蘭は、寝椅子に寝そべったまま、その報告書に気のない様子で目を通し、問題の本質と最も効率的な解決策をぼそりと一言二言、呟くだけ。
「……その部署の、三代前の長官の金の流れを洗え。不正の根は、そこにある」
「……その女官は、ただの怠慢ではない。故郷からの文が一月前から途絶えている。家族に何かあったのかもしれぬ。そちらを調べろ」
麗華はその度に、半信半疑ながらも、雪蘭の言葉に従って調査を進める。
そして、その的確すぎる指摘が、常に寸分の狂いもなく真実を射抜いていることに驚愕し、そして、いつしか畏敬の念を抱くようになっていた。
雪蘭は、後宮の事件を、昼寝の合間に、パズルのように解いていく。
その功績は、全て、表に立つ麗華のものとなった。
麗華は、皇帝からの覚えもめでたく、後宮内での地位を確かなものにしていく。
そして、その麗華が、誰よりも、雪蘭のことを庇護するようになった。
(……これは、これで、悪くない)
雪蘭は、麗華という、完璧な「面倒事の盾」を手に入れたことで、以前よりもさらに質の高い昼寝ライフを満喫していた。
だが、そんなささやかな平穏が、いつまでも続くはずがないことを雪蘭は、本当は知っていた。
◆◇◆
ある日、麗華が、いつになく深刻な顔で、雪蘭の元へやってきた。
「雪蘭、新たな事件だ。今度は、少し、厄介かもしれぬ」
事件の舞台は、宮廷の薬や香を管理する、『王室薬局』。
そこに保管されていた、貴重な薬草が、ここ数週間のうちに、少しずつ、姿を消しているのだという。
それも、ただの薬草ではない。
中には、使い方を誤れば、ごく微量で、人を死に至らしめる、毒草も含まれている、と。
「……陛下も、この件には、ことのほか、ご関心が高い」
麗華の声が、硬くなる。
「消えた薬草の中には、陛下の御母堂、皇太后様の、延命のための霊薬の材料も、含まれていたのだ。陛下は、皇太后様を毒殺しようと企む、不届き者がいるのではないかと、お考えだ」
その言葉に、雪蘭は、ついに、寝椅子から、ゆっくりと身体を起こした。
(……面倒の、桁が違う)
毒殺。
皇太后。
そして、皇帝の、個人的な関心。
それは、雪蘭が、最も避けたかった種類の厄介事だった。
案の定、その日の午後には、雪蘭と麗華は麒麟堂へと召し出された。
玉座に座る暁 飛燕の瞳は、いつものような遊戯の色を消し、氷のように冷たい光を宿していた。
「麗華、そして、雪蘭。朕が、何を望んでいるか、わかるな」
「はっ!
必ずや、犯人を見つけ出し、陛下の御前に!」
麗華が、力強く応える。
飛燕は、満足げに頷くと、その視線を雪蘭へと移した。
ねっとりと、絡みつくような、期待に満ちた視線。
「……朕の、面白い猫が、この難問を、どう解いてみせるか。楽しみにしているぞ」
(……本当に、性格の悪い、龍だ)
雪蘭は、心の内で、最大限の悪態をついた。
◆◇◆
麗華は早速、王室薬局の徹底的な調査を開始した。
厳重に警備され、鍵がかけられた薬草庫。
扉にも、窓にも、こじ開けられたような痕跡は一切ない。
薬草は、まるで煙のように、少しずつ消えていた。
それは、あまりに巧妙で、在庫管理の計算ミスだと言われれば、誰もが信じてしまうほどだった。
「……どう思う、雪蘭」
夜、書庫室に戻った麗華が、憔悴した顔で雪蘭に報告する。
雪蘭は、いつものように、窓辺でうたた寝をしていたがその問いに、薄目を開けて答えた。
「……いくつか、聞きたいことがある」
「なんだ」
「一つ。使い終わった薬草の“出がらし”は、どこで、どのように、処分されている?」
「はあ?
出がらしだと?」
「二つ。皇太后様の居室に出入りできる宦官と、侍女の名は?」
「……それは、機密事項だが…」
「三つ。最近、皇太后様の部屋で焚かれている香の種類に、変化はあったか?」
あまりに脈絡のない、奇妙な質問の数々。
麗華は戸惑いながらも、雪蘭の言葉には、常に的確な根拠があることを経験から学んでいた。
彼女はすぐに部下に命じて、その三つの点を徹底的に調査させた。
そして、翌日。
全ての答えが出揃った。
使い終わった薬草の出がらしは、毎日、特定の若い宦官が、後宮の外れにある焼却炉まで運んで処分している。
そして、その若い宦官の遠い親戚にあたる娘が、最近、皇太后付きの見習い侍女として働き始めていた。
さらに皇太后の部屋では、ここ一月ほど、以前よりもずっと香りの強い異国の珍しい香が焚かれるようになっていた。
三つの点が線で結ばれる。
麗華は、その意味するところに気づき愕然とした。
「……そういう、ことか」
書庫室で、雪蘭は静かに、事の全貌を語り始めた。
「犯人は、薬草そのものを盗んではいない。
盗んでいたのは、霊薬を作った後の薬草の“出がらし”だ」
熟練の薬剤師の手にかかれば、出がらしからでもかなりの量の有効成分を再抽出することができる。
若い宦官は、毎日、処分するふりをして、その出がらしをこっそり抜き取り、見習い侍女である親戚の娘に渡していた。
侍女は、皇太后の部屋にそれを隠し、機会を窺って外へと持ち出していたのだ。
皇太后の部屋で、急に香りの強い香が焚かれるようになったのは、薬草の出がらしの独特の匂いを、誤魔化すため。
それは、皇太后の毒殺などという、大それた陰謀ではなかった。
ただ、貴重な薬草を、闇市場で売りさばき私腹を肥やそうとした、矮小な、しかしあまりに巧妙な、ただの窃盗事件だったのである。
「……そうか!全て、繋がった!」
麗華は、膝を打った。
これで、事件は解決だ。
しかし、雪蘭は、静かに首を横に振った。
「……いや。まだ、終わってはいない。
むしろ、ここからが始まりだ」
雪蘭の瞳から、いつもの眠気が完全に消えていた。
そこにあるのは、かつて、戦場を支配した軍師『月影』の冷徹な光。
「考えてみろ、麗華。
闇市場でこれほど多くの、しかも、特殊な薬草の出がらしを買い集めている人間がいる。
そいつは一体何のために?」
「な……。
それは、もちろん、薬を作るためだろう?」
「違う」
雪蘭は、断言した。
「その薬草の組み合わせ……。
調合の仕方を変えれば、それは全く別のものになる。
人の体に、ゆっくりと、しかし確実に作用し、まるで老衰による自然死であるかのように見せかけて命を奪う、遅効性の毒薬に、な」
「……っ!」
麗華は、言葉を失った。
ただの窃盗事件だと思っていた、その裏側。
そこには、宮廷の位の高い誰かを病死に見せかけて暗殺しようとする、あまりに巨大な、そして邪悪な陰謀が隠されていたのだ。
飛燕が、この事件に個人的な関心を寄せた理由。
それは、毒殺の可能性に気づいていたからではない。
彼の、龍としての本能が、この事件の奥に潜む、より大きくより面白い「遊戯」の匂いを嗅ぎつけていたからに他ならない。
雪蘭は、静かに天を仰いだ。
自分はまたしても、足元の水たまりに足を踏み入れたつもりが、気づけば底なしの暗い海へと、誘い込まれてしまっていた。
平穏な昼寝は、もはや、遥か遠い夢のまた夢だ。
物語は、後宮という名の小さな箱庭から、帝国全体を揺るがす、巨大な陰謀劇へとその舞台を移そうとしていた。




