第十四話:廃園に咲く真実
王 麗華は皇帝の勅命を携え、南方の軍事駐屯地へと馬を走らせた。
彼女は帝国でも数少ない女性の武官である。
歴戦の古強者たちが揃う駐屯地で、彼女は最初、侮りと懐疑の視線に晒された。
女の指揮官に何ができると。
だが麗華は動じなかった。
馬上から兵士たちを見下ろし、その凛とした声で皇帝の勅命を読み上げた。
そして誰よりも厳しく自らを律し、誰よりも早く馬に乗り、誰よりも鋭く剣を振るった。
その揺るぎない覚悟と圧倒的な武威の前に、兵士たちの侮りはやがて畏敬へと変わっていった。
雪蘭が描いた壮大な計画。
古き道の再生と、新たな兵站線の確保。
その前代未聞の大事業は、こうして始まったのだ。
◆◇◆
一方、都の後宮。
李 雪蘭の書庫室は、今やこの大事業の非公式な司令塔と化していた。
壁には帝国全土の詳細な地図が張り巡らされ、床には南方から送られてくる膨大な報告書が山となっている。
ひっきりなしに伝令の宦官が出入りし、雪蘭の貴重な昼寝の時間を無慈悲に奪っていく。
(……面倒だ。実に面倒だ)
雪蘭は寝椅子に寝そべったまま、次々と届けられる報告書に目を通す。
そして驚異的な速度でその情報を処理し、麗華にしか理解できぬ暗号のような簡潔な指示を記しては伝令に渡す。
彼女はこの国家規模の複雑な物流事業を、まるで詰将棋でも解くかのように、この書庫室から一歩も動かずに完璧に掌握していた。
そのあまりに鮮やかな手際に、宮廷の権力者たちは震撼した。
宰相は混乱していた。
食糧不足で都がパニックに陥り、皇帝の権威が失墜すると踏んでいたのだ。
だが若き皇帝は逆にこの国難を利用し、軍を動員した大規模な公共事業を打ち立て、民衆の支持を集めつつある。
(……誰だ。陛下の背後で糸を引いている軍師は……)
宰相はその得体の知れない策士の存在を危険視し、南方へと密偵を放った。
そして、もう一人。
皇太后もまた、この前代未聞の計画に深い感銘と、そして底知れぬ興味を抱いていた。
危機を好機に転換する、その大胆な発想。
それはまさしく、かつてこの国を苦しめた、あの憎き軍師『月影』の戦術そのものであった。
(……あの昼寝猫。やはりただ者ではない)
皇太后はこの謎めいた少女について、もっと詳しく知る必要があると判断した。
その日の午後、雪蘭の書庫室に一人の老女が訪れた。
皇太后付きの筆頭侍女だ。
「雪蘭様。皇太后様よりお見舞いの品でございます。
お疲れの心身を癒す、特別な薬茶でございます」
柔和な笑みを浮かべたその老女は、しかしその瞳の奥に年季の入った探るような光を宿していた。
皇太后が放った、最も老獪な密偵であった。
◆◇◆
老侍女は雪蘭に茶を淹れながら、世間話のように巧みに探りを入れてきた。
帝国の様々な土地の文化や歴史、名産品、人々の気質。
まるで孫娘に昔話を語り聞かせるように穏やかに、しかし雪蘭の表情の僅かな変化も見逃すまいと、その神経を研ぎ澄ませていた。
「……そういえば、昔滅びました『月』の国の絹織物は天下一品でございましたな。
戦でその技術も失われてしまったとは、実に嘆かわしい。
雪蘭様はご覧になったことがおありですかな?」
それは、あまりにあからさまな罠だった。
雪蘭は表情を変えずに答える。
「……わたくしは、ただの田舎者でございますゆえ。
そのような高級な品物は見たこともございません」
だがその手に持った湯呑が、かすかに震えたのを老侍女の鋭い目は見逃さなかった。
まさにその時だった。
「朕の猫に、何か用かな?」
部屋の入り口に、いつの間にか皇帝・暁 飛燕が立っていた。
彼は楽しそうに、この静かな〝お茶会〟を眺めていたのだ。
二つの派閥が、自分の〝玩具〟を巡って牽制し合う。
その光景は、彼にとって何よりの娯楽であった。
「これは陛下。皇太后様からのお見舞いを……」
「うむ。母上の心遣いには感謝する。
だが、雪蘭は今、朕の重要な務めの最中だ。
下がってよい」
飛燕のその穏やかで、しかし有無を言わさぬ言葉に、老侍女は一礼し、静かに部屋を辞した。
一人残された飛燕は、ゆっくりと雪蘭に歩み寄る。
そしてその独占欲に満ちた瞳で、彼女を見下ろした。
「……母上も、お前のことが心配でならぬらしい。
だが、忘れるな雪蘭。お前は〝朕の〟相談役だ」
それは宮廷のすべてのプレイヤーに対する、皇帝からの明確な宣言だった。
この猫は、朕のものである──と。
雪蘭は、ただ黙って湯呑を見つめていた。
宰相が影から自分を監視している。
皇太后が自分の過去を探っている。
そして皇帝が、自分を所有物だと主張している。
唯一の味方である麗華は、遠く南の地にいる。
雪蘭は、壁に貼られた巨大な地図を見上げた。
それは、もはやただの地図ではない。
物流と、そして政治の戦場図だ。
静かな昼寝は、もはや遠い昔の夢物語。
自分は望まぬままに、この巨大な嵐の中心になってしまっていた。
その、あまりに面倒で、そして逃げ場のない現実を、雪蘭はただ静かに受け止めていた。




