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墨華宮の昼寝猫  作者: naomikoryo


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第九話:眠れぬ夜の鈴音

「大傅様、か。なるほどな」


李 雪蘭の恐るべき推理を聞いた皇帝・暁 飛燕は、玉座の上で、楽しそうに頷いた。


隣に立つ王 麗華は、まだ、その衝撃から立ち直れていない。


まだ起きてもいない犯罪の被害者を、ただの論理の積み重ねだけで特定するなど、常人には、いや、神仙にさえ、不可能な芸当と思えた。


「だが、雪蘭」


飛燕は、愉悦の光を宿したまま、続けた。


「いかに見事な推理であろうと、それは、まだ仮説に過ぎぬ。

宰相が大傅様を殺そうとしているという、お前の頭の中にだけ存在する物語だ。

その物語を、証拠もなしに朕が信じるわけにはいかぬ。

宰相を捕らえることは、できぬ」


それは正論であった。


だが、同時にあまりに酷な要求でもあった。


「では、どうしろと仰せに…」


麗華が呻くように問う。


飛燕は、にやりと笑った。


「決まっておろう。

暗殺が実行される前に、宰相がその首謀者であるという動かぬ証拠を掴んでみせよ」


それは、新たな、そしてこれまでで最も難解な謎かけだった。


未来を、証明せよ。


と、龍は猫に、そう命じたのだ。


◆◇◆


「……無理だ」


書庫室に戻るなり、麗華は頭を抱えて床に座り込んだ。


「まだ起きてもいない犯罪の証拠を、どうやって掴むというのだ!

大傅様に警告することもできぬ。

すれば、犯人たちが計画を変えてしまうだけだ。

宰相の屋敷を家宅捜索することも、もちろん不可能。……八方塞がりだ」


麗華が、珍しく弱音を吐く。


だが、雪蘭はそんな麗華には目もくれなかった。


彼女は部屋に戻るなり、新しい寝椅子の最も心地よい場所を探し当てると、早速、うたた寝を始めていた。


「おい、雪蘭!

貴様、聞いているのか!

さすがに今回は、昼寝をしている場合では…!」


「……聞いている」


雪蘭は目をつぶったまま、気のない声で答えた。


「……二日、待て。話は、それからだ」


「はあ!?

二日も、何を……まさか、寝て待つとでも、いうのか!」


「そうだ」


きっぱりとした返事に、麗華は言葉を失った。


この女の頭の中は、一体どうなっているのだ。


麗華は、苛立ちと不安と、そしてほんのわずかな期待を胸に、雪蘭がただ眠り続けるのを見守るしかなかった。


そして、二日が過ぎた。


雪蘭は約束通り、ゆっくりとその瞼を開いた。


その瞳には、いつもの眠気と共に、確かな思考の光が宿っていた。


「……麗華」


「な、なんだ!」


「我々は、証拠を見つける必要はない」


「はあ?」


「……証拠の方から、我々の元へやってくるように仕向ければいい」


そう言うと、雪蘭は麗華に、いくつかの奇妙で、そして全く脈絡のない指示を与え始めた。


「一つ。後宮内に噂を流せ。

『大傅様の病状が、奇跡的に快方に向かっている。

近々、催される帝国の詩の朗読会にも出席されるらしい』と」


「二つ。王室薬局に公式に発表させろ。

『南方より、極めて希少な不老長寿の霊薬を大量に輸入した。

その霊薬は、我々が追い求めている毒の唯一の解毒薬でもある』と」


「……そして、三つ目だ」


雪蘭はそこで一度、言葉を切り、真剣な顔で言った。


「……都で、一番うまい杏仁餅を手に入れてこい」


「……はあ!?」


麗華は、今度こそ素っ頓狂な声を上げた。


最初の二つは、敵にこちらの動きを知らせるような自殺行為にしか思えない。


そして三つ目に至っては、意味不明を通り越して、狂気の沙汰だ。


「貴様、正気か!?

それに、最後の杏仁餅は、一体なんだ!」


「敵は今、我々の動きを警戒し、神経質になっている。

ならば、さらに揺さぶりをかけ、恐慌に陥らせるのだ。

パニックは、必ず過ちを生む」


雪蘭はそう言うと、ふぁあ、とまた一つ、大きな欠伸をした。


「……それに、腹が減った」


あまりにふざけた答え。


だが、麗華はもはや、雪蘭の常軌を逸した論理を信じるしかなかった。


彼女は、すぐさまその奇妙な三つの指示を実行に移した。


◆◇◆


雪蘭の策略は、想像以上の効果を発揮した。


大傅様が回復し、公式の場に出てくるという噂。


そして、計画の切り札である毒に解毒薬が存在したという知らせ。


それは、暗殺計画の完全な破綻を意味していた。


追い詰められた宰相の一派。


彼らが取るべき道は、二つに一つ。


計画を完全に放棄するか。


あるいは、全てが手遅れになる前に計画を前倒しで実行するか。


そして、権力に目が眩んだ人間は、常に後者を選ぶ。


詩の朗読会の前夜。


王室薬局の裏口で、一人の男が衛兵に賄賂を渡そうとしているところを取り押さえられた。


男は、宰相の腹心の一人であった。


彼は、新しく輸入されたという解毒薬の情報を、金で買おうとしていたのだ。


捕らえられた男は狼狽し、宰相の名を口走りながら必死に命乞いをしたという。


それは、宰相本人を罪に問うにはまだ弱い。


だが、宰相の派閥と暗殺計画を結びつける、初めての、そして決定的な物証となった。


麗華は、その報告を飛燕に行い、急いで雪蘭の元へと戻った。


書庫室では、雪蘭が机に向かい、麗華が持ってきた杏仁餅を静かに頬張っていた。


その姿は、まるで全てがこうなることをわかっていたかのようだった。


「……なぜ、わかったのだ。

敵が、あの薬局に現れると」


麗華の問いに、雪蘭は口元の餅の粉を指で拭いながら、こともなげに答えた。


「……心理戦の基本だ。

追い詰められた鼠は、目の前に置かれた毒入りの餌にでも、必ず飛びつく」


それは、まるで複雑な宮廷の陰謀を、ただの兵法の定石の一つであるかのように語る口調だった。


麗華は、その時、改めて悟った。


この女は、ただ事件を解決しているのではない。


宮廷の全ての人間を駒として動かし、遥か先を読んでいる。


自分さえも、皇帝さえも、彼女の描く巨大な盤上の、駒の一つに過ぎないのかもしれない。


その事実に、麗華は深い畏敬の念と共に、ほんの少しの恐怖を感じていた。


雪蘭は、そんな麗華の心の内など知る由もなく、ただ、二つ目の杏仁餅に手を伸ばした。


(……うむ。これは、なかなかの美味だ)


彼女の興味は、もはや宮廷の陰謀よりも、目の前の菓子の味に移っていた。

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