単純ですね、ロザリア様。
ヴィルヘルム殿下との会話が終わったあと、今度はお父様の方を向いた。
お父様もまた、驚きで固まったまま私を見つめている。エミリアの甘言を信じ、私を「家の恥」として見捨てた父。
「お父様、どうかされましたか? 私の姿に、何か不備でも?」
「……いや、そうではない。ただ、お前がこれほどまでに見事な淑女の振る舞いを見せるとは……思っていなかったのだ」
ふんっ、最高に良い気分だわ!
一周目の世界、私はお父様に愛されていると信じ切っていたのに…。お父様は、断罪された私を庇うどころか、家の名誉を守るために最後の最後で私を見捨てた。あの冷たい拒絶の表情は、今も胸に焼き付いている。
二周目の世界では、絶対にそんなミスはしない。今度は私が、すべてを支配してやるんだから!
ヴィルヘルム殿下が、陛下への挨拶のために少し席を外された直後だ。
逃げるようにバルコニーの隅へ移動し、熱くなった頬を冷やそうとした私の背後に、氷のような声が突き刺さった。
「……ロザリア様。今朝の貴女には、確かに『隙のない美しさ』があると言いましたが」
「な、何よユリウス。急に……」
「前言撤回、隙だらけにも程があります。 先ほどの一幕、心臓の音がこちらまで響いてくるかと思いましたよ。せっかく私が完璧に仕立て上げた美貌が、茹で上がった蛸のように赤くなっていては台無しです」
「なっ……!ゆ、茹で上がったタコって!」
「『復讐の舞台に舞い降りた』のではなかったのですか? あれでは、ただの間抜けな令嬢に逆戻りです。……あのように薄っぺらな甘い言葉一つで陥落するなど、私が執事としての教育を疑われてしまいます」
「うるさいわね」
ユリウスはわざとらしく私の乱れたリボンを整えながら、耳元で低く、けれど容赦なく追い打ちをかけてくる。
「殿下の美貌に当てられるのは勝手ですが、『本命』はエミリア様でしょう。鼻の下を伸ばしている暇があったら、呼吸を整えて『完璧な令嬢』の仮面を被り直すべきです」
「……うう、分かってるわよ!殿下がかっこよすぎるのが悪いのよぉ……!」
私が半泣きで抗議すると、ユリウスは今日一番の、冷たくも艶やかな微笑を浮かべた。
「では、殿下に見惚れぬよう、私の顔だけを見ていたらどうです。その方が、いくらかマシな表情が作れるでしょう?」
「はぁ!?」
ユリウスは冷徹な指先で私の顎をくい、と持ち上げ、その深い瞳で私を射抜いた。
いきなりどういうつもりなのか。
必死に睨み返したが、ユリウスは微動だにしない。
至近距離で見る彼の顔は、腹立たしいほどに整っていた。
長い睫毛が落とす影、冷ややかに弧を描く唇、そして、今この瞬間、私を支配下に置いていることを確信しているような、傲慢なまでの自信に満ちた眼差し。
「……ロザリア様、鼻血が出ておりますよ」
「嘘っ!?」
「嘘です」
―――完全にこの男の手のひらの上で踊らされている。
「……あなたって本当に意地悪ね!ユリウス、貴方の顔を見ていたら別の意味で心臓が保たないわ」
私は彼の指を振り払い、一歩後退した。
「ほう。私に見惚れていると受け取っても?」
「誰が!貴方のその性格の悪さが顔に透けて見えるから、腹立たしくて動悸がするだけよ!」
「左様ですか。ならば、貴女のその心拍数は、私への怒りですか?それとも――」
ユリウスがさらに顔を近づける。
彼のまとう、清潔な香料の香りが鼻腔をくすぐり、私の思考を真っ白に塗りつぶしていく。
「……っ、う、うるさいわね!近いわよバカ!」
言い返そうとした唇が、情けなく震える。
あんなに練習した不敵な笑みも、今はどこかへ消え去ってしまった。
ユリウスはふっと、皮肉めいた、けれどこの上なく艶やかな笑みを浮かべる。
「……ほう。顔がさらに赤くなりましたね。蛸どころか、熟れすぎた果実のようです」
とても執事とは思えない態度。本当に腹が立つヤツだ。
「誰が熟れすぎた果実よ!」
ユリウスは私のドレスの裾を極めて自然な動作で整えると、視線だけを会場の喧騒へと向けた。
「さて、お遊びはここまでです。ロザリア様、背筋を。扇で口元を隠し、視線は三歩先を見据えるように。……あちらをご覧ください。獲物が網にかかったようです」
彼の視線の先には、普段は完璧な笑みを浮かべているはずのエミリアが、こちらを苦々しく睨みつけている姿があった。
「……彼女は、貴女の変化に酷く動揺していますね。これほどまでに美しく磨き上げられた姉の姿など、計算に入れていなかったのでしょう」
ユリウスの声から先ほどの茶化すような響きが消え、研ぎ澄まされた刃のような鋭さが戻る。
「……さあ、行ってください。エミリア様が、貴女の失脚を今か今かと待ちわびておいでだ。磨き上げられた己の姿を、存分に彼女に見せつけ、絶望させてやるのです。……たとえ中身が、チョロすぎる令嬢のままだとしても」
「ふんっ、言われなくても分かってるわよ!」
私は吐き捨てるように言い、彼に背を向けた。
足取りが覚束ないのを悟られないよう、必死に背筋を伸ばす。
(バカ、私のバカ……!あの生意気な性悪執事に一瞬でも見とれるなんて…)
けれど、頬の熱は一向に引かない。
「……見てなさい、ユリウス。この夜が終わる頃には、"完璧な"私を認めさせてやるんだから……っ」
誰に宛てたものかもわからない宣戦布告を胸に、私は再び、光り輝く地獄のような夜会会場へと足を踏み出した。




