台無しです、ロザリア様。
大広間の扉が開いた瞬間、ざわめきが波のように広がった。
そこに立っていたのは、かつての「不器用で粗野な公爵令嬢」ではなかった。
深海の静寂を封じ込めたベルベットの身頃。
その下で、ユリウスの手が仕立てたシルクのスカートが波のように揺れ、淡く光を散らす。
だが、何より会場を震撼させたのは、私の変貌したその佇まいだっただろう。
ユリウスによって一本の芯を叩き込まれた背筋は、天を衝くように真っ直ぐに伸びている。
私はざわめく群衆の視線を、冷ややかな一瞥で受け流しながら、ゆっくりと会場の中央へと歩みを進めた。
一歩、また一歩。
かつてのドタバタとした足取りではない。まるで水面を滑るような、音もなく優雅な歩み。
正面には、父である公爵、そして婚約者のヴィルヘルム殿下が並んでいる。
私は彼らの前で静かに足を止めると、指先をそっとドレスの裾に添えた。
背筋を真っ直ぐに保ったまま、吸い込まれるように膝を折る。
一分の隙もない、完璧なカーテシー。
首筋の傾きから、扇を伏せる指先の角度に至るまで、それは鏡で何千回も確認された、計算され尽くした「美」だった。
(……見なさい。これが、貴女たちが「配慮が足りない」と蔑んだ女の真の姿よ!)
冤罪をかけられ、処刑される前。
私はヴィルヘルム殿下に相応しい女性になろうと、血を吐くような思いで淑女としてのマナーを叩き込んでいた。
だが残念なことに、一週目の人生でその努力が陽の目を見ることはなかった
私がマナーを完成させた頃には、既にエミリアの根回しによって私の評価は地に落ち、夜会に招かれる機会すら奪われていたからだ。
「お父様、ヴィルヘルム殿下。……本日はこのような素晴らしい場を設けていただき、心より感謝申し上げます」
凛とした声が、静まり返った広間に響き渡る。
その瞬間、会場がどよめきに包まれた。
「……あれが、本当にあのロザリア様か?」
「信じられん。あの無作法だった彼女が、あんなに美しい礼を……」
「まるで見違えた。あの隙のない気品は一体……」
へへーん、凄いでしょう。そうよ、もっと褒めなさい!
波のように広がる困惑と感嘆。
私は伏せていた顔をゆっくりと上げ、微笑んだ。
「……ロザリア。今日の君は、驚くほど美しいな」
ヴィルヘルム殿下が、ふっと表情を和らげて私を見つめた。
そんな彼の真っ直ぐな瞳に見つめられ、胸の奥がわずかに、熱を帯びる。
「恐れ入ります、ヴィルヘルム殿下。……貴方様の瞳と同じ色を選んだ甲斐がありましたわ」
「僕の瞳の色……?ああ、そうか。……気づかなかった。君にこれほど青が映えるとは」
彼は少し驚いたように、けれど嬉しそうに私のドレスを視線でなぞる。
「殿下の隣に立つ者が、殿下の品位を落とすわけにはまいりませんもの。……これでも、密かに努力はしていたのです。お見せする機会がないまま、今日になってしまいましたけれど」
「……言葉もないな。君がこれほどの努力家だったとは。……いや、努力だけではない。今の君は、その……僕の手元に置いておくのが惜しいほどに眩しい。……それなのに、今夜、君を誰にも渡したくないと思ってしまった」
ヴィルヘルム殿下は私の手を握ると跪き、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめた。
む、無理無理無理無理無理!!
こんなに誠実な瞳でこんなこと言われて、ときめかないわけがないでしょ!!
顔が、火が出るほど熱い。さっきまで考えていた復讐の計画が、殿下のあまりの眩しさに一瞬でどこかへ飛んでいってしまった。
「こ、光栄です……殿下……」
私はそれ以上言葉が続かず、俯いてしまった。
扇を広げる余裕さえない。ただただ、殿下の温もりと優しい声に、脳内が「どうしよう!」とパニックを起こしている。
そんな私の、無様な様子を――。
壁際に控える「彼」が、見逃すはずもなかった。
「……はぁ」
喧騒に紛れて、けれど私の耳にだけははっきりと届く、大きな溜息。
ユリウスだ。
彼は表情一つ変えず、ただ静かに私を見つめている。
けれど、その冷徹な瞳が「……ほう、鼻の下が伸びておられますよ、ロザリア様」と雄弁に語っているのが分かり、私は別の意味で顔が引き攣りそうになった。
(……うるさいわね、このバカ執事!)
私は心の中で、全力で彼を睨みつけた。
顔が真っ赤だったから、あまり様にはならなかった。




