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失礼をお許しください、ロザリア様。

馬車の揺れに身を任せながら、私は窓の外を流れる夜の景色をぼんやりと眺めていた。


つい先刻まで身を置いていた豪華絢爛な王宮の余韻が、鼓膜の奥に耳鳴りのように残っている。ヴィルヘルム殿下から贈られた情熱的な言葉、会場を埋め尽くした拍手、そして何より、あの壁際で私を射抜いた執事の眼差し。


屋敷に到着し、重厚な玄関扉をくぐると、そこには冷たく澄んだ静寂が広がっていた。

使用人たちが寝静まった深夜のエントランスホール。高い天井から吊り下げられたシャンデリアの火は落とされ、代わりに窓から差し込む銀色の月光が、大理石の床を鏡のように照らしている。


「お疲れ様でした、ロザリア様。今夜はこれでお休みください」


背後で扉を閉めたユリウスが、いつものように淡々とした声で告げる。

その声を聞いた瞬間、私の胸の内にあった「何か」が、ふつふつと形を変えて込み上げてきた。殿下との華やかなダンス、完璧に演じきった淑女の仮面……でも、まだ足りない。私のこの高鳴る心臓は、まだ満足していない。


「……ねぇ、ユリウス」


私は足を止め、振り返った。

重いドレスの裾が、静かなホールに衣擦れの音を響かせる。


「……はい、何でしょうか」

「私、貴方と踊りたいわ」


唐突な、そしてあまりにも身勝手な私の我儘に、ユリウスはぴくりとも表情を変えなかった。ただ、手に持った燭台の炎が、その冷徹な瞳の中でわずかに揺れる。


「……ロザリア様。冗談はおやめください。私は一介の執事です。公爵令嬢である貴女と踊ろうなど、不敬にもほどが―――」

「冗談じゃないわよ!今夜の私は、あんたの最高傑作なんでしょう? だったら、仕立て上げた本人がその出来を確認しなさいよ!」


私は一歩、彼に詰め寄った。


「先ほどフロアで十分に確認いたしました。今の貴女は、誰が見ても完璧な公爵令嬢だ。……さあ、夜も更けております、お部屋へ……」

「貴方と踊りたいの!……いいえ、貴方じゃないとダメなのよ」


逃がさない。私は彼の腕を掴むようにして、真っ直ぐにその瞳を射抜いた。

ユリウスは一瞬だけ、困ったように視線を彷徨わせ、それから観念したように深く、長い溜息をついた。


「……全く。どこまでも欲深いお方だ。主がこれほど強情では、付き従う方も苦労いたします。……失礼をお許しください」


そう言うと、彼は手にした燭台を近くの台へと置き、恭しく、けれどどこか拒絶を許さない力強さで私の手を取った。


「……!」


彼の手が私の腰に添えられた瞬間、ヴィルヘルム殿下の時とは比べものにならないほどの衝撃が身体を走った。


彼がリードを始めた瞬間、私はただ、息を呑むことしかできなかった。


「……っ、う、上手いのね……」

「職務の一環です。貴女に足の位置を覚えさせるために、私は貴女の倍は踊りましたので。……誰よりも、貴女の癖を知り尽くしております」


ユリウスの声が、低く、重厚なチェロの音色のように響く。

ヴィルヘルム殿下とのダンスは、どこか自分を誇示するための「儀式」のようだった。けれど、ユリウスのダンスは違う。

私の重心のわずかな揺れも、呼吸の乱れも、すべてを彼の手のひらが、腕が、完璧に受け止めてくれる。


(……なにこれ。殿下や、どの伯爵様よりも……ずっと踊りやすい……っ)


ステップを踏むたびに、二人の距離が近づく。

彼の放つ清潔な石鹸の香りと、僅かな体温が私を包み込む。

いつもはあんなに憎たらしく感じていた彼の胸板が、今はひどく頼もしく、そして私の顔を真っ赤にさせるほど熱く感じられた。


視線を上げると、至近距離に彼の顔があった。

月光に照らされたその横顔は、神話の彫刻のように整っている。


「……ロザリア様」

「な、なに……?」

「……そんなに見つめられては、いくら私でもステップを間違えそうです」


ユリウスがふっと目を伏せて囁いた。

その表情には、いつもの皮肉な余裕はなく、どこか何かを耐えているような……そんな危うい色気があって。


私の心臓は、この静かなホール中に響き渡るのではないかと思うほどの音を立てていた。

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