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癪です、ロザリア様。

「……ユリウス。あなたがいたから、私は火傷だけで済んだのよ。それに、あなたの読み通り伯爵を味方につけられた。これは私たちの……ううん、あなたの作戦勝ちじゃない!」


私が一生懸命にフォローすると、その表情はいつもの鉄面皮に戻っていたが、わずかに細められた瞳の奥には、言いようのない複雑な色が残っていた。


「……寛大なお言葉、恐縮です。ですが、ロザリア様のその指に痕が残るようなことがあれば、私は執事として失格でした。……幸い、処置が早かったため問題はないでしょうが」

「もう、いいのよそんなこと!……それよりも、ユリウス。あなた、思いっきり底面を触っていたけれど、大丈夫なの?」


私はこの話題を遮るようにして、彼の右手に視線を落とした。

あの瞬間、彼は沸騰するほどの熱を帯びたカップの底を、躊躇いもなくその掌で直接受け止めていたはずだ。

私が心配して詰め寄ると、ユリウスは隠す素振りも見せず、事も無げにその右手をひらひらと動かしてみせた。


「何のことかと思えば。ロザリア様、私は手袋を着用しておりましたから、全く問題ありませんよ」

「手袋って……あんな薄い布一枚で防げるわけないじゃない! 見せて!今すぐ脱いで見せなさい!」

「これは最高級の防魔絹(マジックシルク)を混紡した特注品です。耐熱性にも優れておりますので、あのような小細工、布一枚あれば十分防げます」


ユリウスは事も無げに言ってのけた。


「ふーん。そんな便利なものがあるなんて、知らなかったわ」


私が感心してマジマジとその手袋を見つめると、彼は少しだけ誇らしげに、あるいは呆れたように口角を上げた。


「ロザリア様がご存じないのも無理はありません。非常に希少で高価なものですから。」

「……そう。ならいいんだけど。でも、いくら素材が良くても無理は禁物よ」

「肝に銘じておきましょう」


ユリウスは短く答えると、再び完璧な執事の顔に戻り、私の部屋の扉を恭しく開けた。


「さあ、私の丈夫さを確認して満足されたなら、時間の無駄はここまでです。部屋に入られたらすぐに指の薬を塗り、晩餐会に向けた『最低限の予習』を始めますよ」

「えっ……今からやるの!?」

「当然です。あのような短絡的な罠に二度と引っかからないよう、そして伯爵や殿下の前で完璧な淑女として振る舞えるよう、徹底的に仕込ませていただきます。……今夜は眠れると思わないでくださいね、ロザリア様」


ユリウスは微笑んでいるが、その目は「合格を出すまで解放しない」と冷徹に告げていた。


◇◇◇


深夜、ロザリアの自室での「予習」を終え、ユリウスはようやく使用人棟へと足を踏み入れた。

廊下の角を曲がったところで、反対側からやってきた影と鉢合わせる。公爵家のメイドであり、ユリウスとは気心の知れた同僚である、リィナだった。


「あら、ようやくお出まし? ロザリア様の教育に熱が入るのもいいけど、あんまり夜更かしさせると明日のお肌に響くわよ」


リィナはいつもの口調で軽口を叩きながら、すれ違いざまにユリウスの右手に目を留めた。彼女の鋭い視線が、わずかに不自然な角度で固定された彼の左手を捉える。


「ちょっと。……その手、どうしたの」

「……何のことだ」

「ごまかさないの。腫れ上がってるじゃない!」

「紅茶のポットを取り落としそうになって、少し熱湯を浴びただけだ」

「またそんな。嘘でしょ」

「信じるかどうかは任せるが、報告書にはそう書くつもりだ」


ユリウスは淡々とした口調で言った。


「……あんた、たまに怖いわ。」

「ふん、光栄だな」

「ていうか、その手袋少し破けてるじゃない。縫ってあげようか?」

「こんな()()()()()、何枚破けたところで全く問題はない」


そう言い残して、ユリウスはさっさと自分の部屋へと歩き出した。背後からリィナの「ちょっと!薬くらい塗りなさいよ、この強情へっぽこ執事!」という怒鳴り声が聞こえてきたが、彼は一度も振り返らなかった。


自室に戻ると、彼は静かに手袋を外した。

皮膚の赤みが、月明かりの中で淡く光っている。


「……本当に、手のかかるお嬢様だ」


微かに笑う。

炎症の残る掌を冷たい水に浸す。水の中で、焼けた皮膚がじり、と悲鳴を上げた。

水面に映る彼の表情は、いつもの冷徹な執事とは少し違う。


―――本当は、あの時。

あの方がスープをこぼし、無様に失態を演じる様子を黙って見守っている予定だった。被害を最大化し、伯爵の前で、より決定的にエミリアを陥れるためだ。それが執事としての、冷徹で最善な「計算」だった。


しかしいざ、熱湯がロザリアにかかりかけたとき。

それを黙って見ていられるほど、ユリウスは――出来た人間ではなかったらしい。


ユリウスは小さく息を吐いた。


自分の掌が焼けた理由が、ただ“あの笑顔を守るため”だったと気づいたのが、どうしようもなく癪だった。

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