まだまだですよ、ロザリア様。
「その間の抜けた驚き方もマイナス10点です。……それに、何ですかその顔は。これ以上なく不服だと言わんばかりですが」
「だって!ほんの数ミリ、ソースが跳ねただけじゃない」
「その『数ミリ』が命取りだと、いつになったら理解されるのですか」
ユリウスはナプキンを手に取ると、私の頬に着いたソースを丁寧にふきとる。
「じっ、自分で拭けるわよ!」
「今は所作の美しさだけを考えてくださいと申したはずです。無駄な動きは、それだけで優雅さを損なうノイズとなります。私が拭えば数秒で済むものを、貴女が慣れぬ手つきで格闘して時間を浪費するなど、些か効率が悪すぎる」
ユリウスは淡々と、しかし有無を言わせぬ事務的な口調で言い放った。
私がナプキンを奪い取ろうと伸ばした手は、空中で虚しく空を切る。
「動かない。……汚れを広げる気ですか」
至近距離。
彼の瞳は驚くほど冷静だ―――私をせいぜい「磨き残しのある銀食器」程度にしか認識していないんでしょうね!
「……はい、取れました。これでようやく、鑑賞に堪えうる状態です」
ユリウスは汚れを確認すると、感情を一切挟まない手つきでナプキンを折り畳んだ。その動作の無駄のなさは、悔しいけれど、私のどの所作よりも美しい。
「……もう一度よ。今度は完璧にやってみせるわ!」
私の言葉に、ユリウスは感情の読み取れない瞳をわずかに細めた。
「やる気だけはよろしいですね、ロザリア様。……では、この一皿が空になるまで、私の『やり直し』に耐えていただきましょう」
それからの時間は、まさに苦行だった。
ナイフが皿に触れる微かな音、飲み込む際の喉の動き、果てはソースの滴る角度まで、ユリウスの指摘は一切の妥協を許さなかった。何度も指先が震え、悔しさで視界が滲みそうになったけれど、その度に彼の冷徹な「やり直し」の声が、私の心を無理やり引き戻した。
最後の一切れを口に運び、音もなくフォークを置く。
ナプキンで唇を抑え、指先を膝の上で揃えた私の前で、ユリウスはようやく表情を和らげ……ることはなく、ただ静かに懐中時計を閉じた。
「……合格、とは言えませんが。本日の最低限のノルマは達成としましょう」
「嘘でしょ!? これだけやったのに、まだ合格じゃないっていうの!?」
私の叫びにも似た抗議を、ユリウスは柳に風と受け流し、手際よくカトラリーを片付け始めた。その動作には一点の乱れもなく、先ほどまで私に強いていた「完璧」を、彼自身は息をするように体現している。
「……当然です。今の貴女は、私に監視されていなければその姿勢すら保てない。伯爵との晩餐は、この数倍の時間がかかることをお忘れなく」
彼は最後に、私の前に冷めた紅茶の代わりに、新しく淹れ直したばかりのハーブティーを置いた。立ち上る柔らかな香りが、強張っていた私の肩をわずかに解きほぐす。
「……ですが。最後の一口、ナイフを滑らせる角度だけは……そうですね、私をわずかに沈黙させる程度には、筋がよろしかったですよ」
「……っ!」
それは、この男から引き出せる言葉の中で、実質的な満点に近い。
悔しいはずなのに、ほんの少しだけ胸が軽くなるのを感じて、私は逃げるようにティーカップに手を伸ばした。
「さあ、飲み終えたら休んでください。明日はスープの『音の消し方』を徹底的に叩き込みますから」
ユリウスはそう言い残すと、影のように音もなく食堂を去っていった。
一人残された部屋で、私は自分の指先に残るナイフの重みを反芻しながら、明日のさらなる苦行に溜息を吐いたのだった。




