表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/16

まだまだですよ、ロザリア様。

「その間の抜けた驚き方もマイナス10点です。……それに、何ですかその顔は。これ以上なく不服だと言わんばかりですが」

「だって!ほんの数ミリ、ソースが跳ねただけじゃない」

「その『数ミリ』が命取りだと、いつになったら理解されるのですか」


ユリウスはナプキンを手に取ると、私の頬に着いたソースを丁寧にふきとる。


「じっ、自分で拭けるわよ!」

「今は所作の美しさだけを考えてくださいと申したはずです。無駄な動きは、それだけで優雅さを損なうノイズとなります。私が拭えば数秒で済むものを、貴女が慣れぬ手つきで格闘して時間を浪費するなど、些か効率が悪すぎる」


ユリウスは淡々と、しかし有無を言わせぬ事務的な口調で言い放った。

私がナプキンを奪い取ろうと伸ばした手は、空中で虚しく空を切る。


「動かない。……汚れを広げる気ですか」


至近距離。

彼の瞳は驚くほど冷静だ―――私をせいぜい「磨き残しのある銀食器」程度にしか認識していないんでしょうね!


「……はい、取れました。これでようやく、鑑賞に堪えうる状態です」


ユリウスは汚れを確認すると、感情を一切挟まない手つきでナプキンを折り畳んだ。その動作の無駄のなさは、悔しいけれど、私のどの所作よりも美しい。


「……もう一度よ。今度は完璧にやってみせるわ!」


私の言葉に、ユリウスは感情の読み取れない瞳をわずかに細めた。


「やる気だけはよろしいですね、ロザリア様。……では、この一皿が空になるまで、私の『やり直し』に耐えていただきましょう」


それからの時間は、まさに苦行だった。

ナイフが皿に触れる微かな音、飲み込む際の喉の動き、果てはソースの滴る角度まで、ユリウスの指摘は一切の妥協を許さなかった。何度も指先が震え、悔しさで視界が滲みそうになったけれど、その度に彼の冷徹な「やり直し」の声が、私の心を無理やり引き戻した。


最後の一切れを口に運び、音もなくフォークを置く。

ナプキンで唇を抑え、指先を膝の上で揃えた私の前で、ユリウスはようやく表情を和らげ……ることはなく、ただ静かに懐中時計を閉じた。


「……合格、とは言えませんが。本日の最低限のノルマは達成としましょう」

「嘘でしょ!? これだけやったのに、まだ合格じゃないっていうの!?」


私の叫びにも似た抗議を、ユリウスは柳に風と受け流し、手際よくカトラリーを片付け始めた。その動作には一点の乱れもなく、先ほどまで私に強いていた「完璧」を、彼自身は息をするように体現している。


「……当然です。今の貴女は、私に監視されていなければその姿勢すら保てない。伯爵との晩餐は、この数倍の時間がかかることをお忘れなく」


彼は最後に、私の前に冷めた紅茶の代わりに、新しく淹れ直したばかりのハーブティーを置いた。立ち上る柔らかな香りが、強張っていた私の肩をわずかに解きほぐす。


「……ですが。最後の一口、ナイフを滑らせる角度だけは……そうですね、私をわずかに沈黙させる程度には、筋がよろしかったですよ」

「……っ!」


それは、この男から引き出せる言葉の中で、実質的な満点に近い。

悔しいはずなのに、ほんの少しだけ胸が軽くなるのを感じて、私は逃げるようにティーカップに手を伸ばした。


「さあ、飲み終えたら休んでください。明日はスープの『音の消し方』を徹底的に叩き込みますから」


ユリウスはそう言い残すと、影のように音もなく食堂を去っていった。

一人残された部屋で、私は自分の指先に残るナイフの重みを反芻しながら、明日のさらなる苦行に溜息を吐いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ