やり直しです、ロザリア様。
「……いいですか、ロザリア様。相手は『歩く礼節』と呼ばれる老人です。一滴のスープの音、パンの屑一つの扱いが、貴女の首を絞めることになると心得てください」
食堂には、本番さながらの豪華なセッティング。
私の向かいには、これ以上なく冷たい……それこそ悪魔のような瞳で見つめるユリウスが立っていた。
「わ、分かってるわよ。……見てなさい」
私は震える手で銀のナイフを手に取った。
ユリウスの視線が、私の指先、肘の角度、果ては呼吸の深さに至るまで、執拗に舐めるように動く。
「……やり直し」
「えっ、まだ何も切ってないわよ!?」
「ナイフの刃先が、わずかに外を向いています。――その“わずか”が、品位を削ぐのです。」
ユリウスは背後から音もなく近づくと、私の両手首に冷たい手を置いた。
「背筋を。……それから、その無駄に力んだ指先。もっと軽やかに扱ってください。ナイフは握るものではありません。指先で支えるものだと教えたはずですよ」
「っ……!」
(近い、近い、近すぎるわよ……!!)
私の背中に、彼の硬い胸板が触れるか触れないかの距離で迫っている。耳元で囁かれる低く滑らかな声が、脳内に直接響いて、心臓がうるさいほどに警鐘を鳴らし始めた。
ユリウスは私の動揺など気にも留めず、骨張った長い指で、私の手首の位置をミリ単位で微調整していく。彼に触れられている場所から、じりじりと熱が広がっていくのがわかる。
「……何ですか、その脈動は。まるで捕まったばかりの野鼠のようだ。緊張するお気持ちは分かります、しかし伯爵の前でそんなに鼓動を速めては、フォークとナイフが震えて音を立ててしまいますよ」
だ、誰のせいだと思ってるのよ……!
「離れなさい、自分で直せるわ!」
私が顔を真っ赤にして抗議するが、ユリウスの手は万力のように私の手首を固定したままだ。
「いいえ。貴女の身体が、正しい位置を刻み込むまで離しません。」
ユリウスは私の手首を掴んだまま、ステーキ皿の上に視線を落とした。
やがて彼の手が、私の指先からそっと離れ、代わりに肘の上をなぞる。
「その角度を、忘れないように」
肩越しに感じる息が、首筋をくすぐった。私は全身をこわばらせながら、ナイフを滑らせる。
「力を抜いて。刃先はもっと寝かせて……そう。押し切るのではなく、滑らせるのです」
焼き目の香ばしい表面が音もなく裂け、肉汁が皿の白磁に光の筋を描いた。
「……さあ、その状態で一口。熱さに負けてフォークを落としたら、今夜は一睡もさせませんからね」
彼の低い声が耳元で響くたびに、心臓が跳ねる。
悔しい。指導されているだけなのに、彼の指が少し触れるだけで、意識がそちらに持っていかれそうになる。
ナイフの刃が皿の上で止まる。
一口大に切り分けられた肉を、私は慎重にフォークに刺した。
フォークに刺した肉を、ゆっくりと口元へ運ぶ。
視界の端では、ユリウスが私の唇の動きひとつ見逃すまいと、鋭い豹のような眼差しでこちらを凝視していた。
「……あ」
その時だった。
切り分けられたばかりの肉から、一筋の熱い脂が滴りそうになる。
私は慌ててフォークを動かそうとしたが、背後から伸びてきたユリウスの手が、私の右手首を軽く支えて止めた。
「動かない。……慌てて口に放り込むのは、飢えた獣のすることです」
「で、でも、脂が垂れちゃうわ……!」
ユリウスは私の手を支えたまま、もう片方の手でナイフを持ち直す。
滴りかけた脂を、その銀の刃先で静かに受け止めた。
「……こうすればよろしい。慌てず、美しく」
ユリウスは私の手首をそっと支えたまま、視線で合図する。
「焦らず、今は“所作の美しさ”だけを考えて」
私は息を整え、ユリウスの視線がそれを追う。
「……ふむ。ようやく鼓動が落ち着きましたね。そのまま、一口」
解放された右手で、私は再びフォークを持ち上げ、肉を口に含んだ。
芳醇なソースの香りが広がり、肉汁が弾ける。
「……どう?完璧だったでしょ!?」
私は勝ち誇ったように彼を睨み返したが、ユリウスは唇を僅かに歪め、冷たく言い捨てた。
「……頬。ソースがついていますよ。おまけに、食べ終わる前から喋るとは。……やり直しです。」
ガビーン!
思わず、古めかしい効果音とともに、はしたない悲鳴が喉の奥で裏返った。




