第99話 王国の分裂 とバビロン捕囚
この日のVR授業は、いきなりヘッドセット装着して、VR画面から始まった。
イントロから始まったその静寂は、VR史上もっとも静かな開始といっても過言ではなかった。
****
それは、ソロモン王の葬儀のシーンだった。
VRの映像は暗い神殿の中を映し出していた。
巨大な燭台の炎がゆらめく。
“ソロモン王の棺”が中央に納められている。
ウリエルは戸惑って、授業の解説を忘れ、本音で喋ってしまった。
「……あ、あの……これ……僕の葬儀ですよね……?」
ルカは、ウリエルの後方に付いて、肩に手を置いた。
「心配しないで。歴史だから」
黒須も、ウリエルの隣に寄り添った。
「まあ……死ぬのはお前じゃなくてソロモン王だ。お前はまだ1000歳の若造だし」
「“若造”……?」
生徒たちも静かにしている。
だが、マリがイワンと雑談を始めた。
「ウリエル先生、かわいいw」
「マリ、また先生をアイドルみたいに見てる。歴史を見ろ。ソロモンの死は歴史の転換点だぞ。なぁ、マル」
「いいじゃん? アイドルの葬儀だと思えば、感情移入しやすい」
ルシファーがイワンたちを注意した。
「こぉら、そこ……静かにしろ。授業中だ」
その横で、校長が泣いていた。
「ソロモン王ぉぉ〜〜!!」
黒須は肩をすくめた。
「校長うるせぇな……」
****
ソロモンの死後のVR映像で、都市に切り替わった。
王宮前に大勢の民衆が集まっていた。
レハベアム王という、ウリエルに似た顔だが微妙に違うアバターが、玉座に座った。
黒須は解説を始めた。
―「今日の授業は、ソロモンが死んだあとの話なんだが、ちょっと駆け足で行くからな。ルカ先生が準備したプリント、よーく見るんだぞ。ちゃんと付いて来いよ。じゃ、行くよ。はい、ソロモンの息子……なんだけど、これがまたバカ王なんだよな」
ルカが呆れた。
「いきなり、問題発言です! 黒須先生、言ったわね……」
生徒たちが笑い出した。
「「世界史でも“バカ息子”って説明されたw」」
VR画面の民衆アバターたちは、新しい王に訴えた。
―「税金が重いですよー! 少し軽くしてください!」
レハベアム(ウリエル似アバター)ー「パパが重くした税を……もっと重くする!! 鞭じゃなく、サソリの鞭で打ってやろう!!!」
生徒たち。
「うわああああ!!!」
「ダメな王の典型w」
「ソロモンの知恵は、どこ行ったwww」
黒須は、VR画面の中に地図を出した。
―「なんてこった! これで北イスラエルの10部族がブチギレて分裂しちまった!」
VR画面が裂けるように分裂した。
《北》イスラエル王国
《南》ユダ王国
ルカは補足説明をした。
「古代ヘブライ王国、または古代イスラエル王国の歴史上の“分裂王国時代”です」
ウリエルがいつものように、ルカを褒める
「ちゃんと学んでるんですね、ルカ先輩。さーすがー!」
「当然よ。黒須の授業はね、好きなの」
黒須は思わずデレた。
「いや照れるわ、それは……」
「は? なんのこと? 自意識過剰なんじゃないの?」
生徒たちはクスクス笑った。
「二人の距離縮まりすぎww」
気を取り直して、VR映像と黒須は淡々と歴史を進めた。
****
―「北イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされる。それで、南ユダだけが残るんだ」
生徒たち。
「え、北イスラエルってここで滅ぶの?」
「早くない?」
「ってか、アッシリアは北だけ取ったのか」
「まあ、さんざん暴力でエリコの町を奪ったりしてたからな」
黒須は頷いた。
「暴力で奪った国ってのは……脆いんだよ」
ルカも頷いた。
そして、エリコの大虐殺の授業を思い出していた。
「……“暴力で奪ったものは暴力で失う”からね」
VR画面の神殿の上に、黒い影が落ちた。
画面が少しずつ色を失っていく。
****
―「ここ、もう一回言うぞ。ソロモンの死後、王国は南北に分裂する。北のイスラエル王国はアッシリアに、そして、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされるんだ。そして……人々は“捕囚”となった」
風が吹き抜けた。
光景が一変する。
生徒たちは、荒野にいた。
重い鎖の感触がした。
生徒の手首に冷たい鉄の輪がはめられていた。
女生徒マリ「うわ、なにこれ……これ、重い……っ」
男子生徒マル「ウリエル先生、これほんとに必要ですか?」
ウリエル「大丈夫っす、感覚だけです。痛みデータはゼロ。でも……リアルでしょ?」
ルカは唇を噛んだ。
(黒須先生……これは生徒たちにとって、きつすぎるんじゃ……)
黒須の声が、どこか遠くから響いた。
―「北イスラエルが崩壊して、136年後、南のユダ王国も滅びる。そしてバビロンの国王はイスラエルの民を捕虜とした。聖書の列王記24-14『エルサレムのすべての住民、高官、勇士一万人、およびあらゆる職人と鍛冶屋を捕囚として連れ去った』」
生徒たちは手錠の重さに、怯えていた。
―「これが、バビロン捕囚だ。エルサレム以外に居住していた民がどれだけいたかわからないが、『すべての住民』ってことは、少なくとも何十万人という民が連行されたと推測できる。その時点でエルサレム周辺に残った民は貧しい者のみだったと書いてある。要するに使える人間だけ連れて行って、あとは捨てたということだ。
どうだ? 気分は」
泣き出した生徒もいた。
―「それは、国を失った民が、神に見放されたと感じた時代だった。
神殿は焼かれ、信仰の中心を奪われ、多くが鎖につながれ、バビロンへと連行された」
遠くに見えるのは、瓦礫と煙。
神殿が崩れ落ちた。
その光景を見て、生徒たちの中からすすり泣きが聞こえた。
ルカが一歩、前に出た。
「黒須先生……これは、あまりにも残酷です。VRにする必要ないでしょ」
「そうだとも」
黒須の声が静かに答えた。
「でも……ユダヤの歴史を“他人事”で終わらせたら、教育にならねーんだよ」
風が吹くいた。
遠く、バビロンの城壁が見えてきた。
その巨大さに、生徒たちは息をのんだ。
―「ここが“バビロン”だ。捕虜となったユダヤ人たちは、この異国の都で生きた。
彼らは、自分たちでこの謎解きに苦しんだ。“神に選ばれた民なのに、なぜ神は沈黙したのか”」
ルシファーが、鎖につながれた姿で生徒の群れの中に現れた。
珍しく笑っていない。
「皮肉なもんだね。神に近づこうとするほど、人は神に“試される”。君たちの言う“信仰”は、いつもこの痛みから始まるんだよ」
黒須は、ルシファーの指導者的発言に驚いた。
「ルシファー……お前」
「何? わたしは視察中だ。教育的実地体験しているだけだよ」
ルカはルシファーの照れ隠しに気づいて、わざと本心をついた。
「とぼけないで。あなた、本気で同情してるでしょ。」
ルシファーは小さく笑った。
「さぁね、……知っているかい? 一番大きな罪とは何か。それはね、……“絶望”だよ」
それは、神から見放された堕天使だからこそわかることだった。
黒須の声がまた響く。
―「だが、この捕囚の時代にこそ、語り継がれてきた神の言葉を絶やさなかった。口で伝えてきた神の言葉を、子孫に残し、いつかエルサレムに戻る日が来ると信じた」
生徒の一人がつぶやいた。
「そんなに大事なの。もといた土地って」
「日本人は、島国だからな。国があること自体当たり前すぎて、彼らの気持ちは分からないかもしれないな」
「先生、それって神との約束だからですか?」
「彼らは、捕虜になっても、必ず約束の地に戻ると信じた。ユダ国は滅亡させないってな。そりゃ、めっちゃ強い信仰心だ。この信仰心を大切に守った。
つまり……バビロンで囚われの身であっても、彼らは自分たちがどこから来て、どこに向かおうとしているのかを、子孫代々まで語り継いだんだ」
女生徒のマリは、小さく呟いた。
「……こんな時でも、信じてたんだ……」
黒須の声がやさしく重なった。。
―「それも“信仰”のひとつの形だ。信じる相手が神でも、隣の人でもいい。“絶望の中で誰かを信じられる”それが、希望の光だ。そして、ユダヤ教の誕生へと続く」
風がやみ、バビロンの城壁が遠ざかった。
VR画面が消え、教室の風景がゆっくりと戻ってきた。
****
照明がつくと、生徒たちは誰もしゃべらなかった。
黒須は静かにチョークを取った。
黒板に書かれたのは、たった一行。
『捕囚=奪われても消えなかった心の自由』
ルシファーがその文字を見て、ぼそりと言った。
「……自由を奪われた者ほど、自由の意味を知る。皮肉な話だなぁ。黒須、お前じゃないか」
「神が沈黙する時代ってのは……人間にとって一番きついんだよ。俺も経験した」
「黒須先生……あなたも……?」
「話すと長い。……ってことで、今日の授業はここまで。今回は結構駆け足だったな。次も突っ走っていく予定だから、わからないことは、ちゃんと調べるか、質問しろよー。終わり!」
黒須はそう言って、一番きつかった話をすることなく教室を出た。




