第86話 モーセ終了ヨシュア登場
「はい、前回のおさらいから始めるぞー。
今のユダヤ人は、聖書の時代はイスラエル人。自称ヘブライ人と呼ばれていたんだ。
彼らは、元々メソポタミア、今のイラクのあたりに居住していたんだよな。
そこから紀元前1500年くらいに、カナン、今のパレスチナに移り住んできた。
そして、一部のヘブライ人たちはエジプトに移り住んだ。
しばらく、エジプト人と共存していた。
その後、モーセに率いられてエジプトを脱走し、カナンに戻ろうって話になった。
それが出エジプト記だ。
ところが、エジプトの王は軍を派遣して追って来た。
『やばい』と思ったモーセは、海に追い詰められた。
『このままじゃやられてしまう』と思ったタイミングで、杖を掲げた。
そうすると海が割れてその海の底を歩いて、逃げきることが出来た。
そして、シナイ山で十戒を賜った。
……ここまでだったな」
黒須の解説が始まった。
「ところが、旅の間中、この200万人の不平不満がとにかく酷かった」
「黒須先生、200万人の不平不満を誰から聞いたんですかー?」
「モーセとアロンから聞いた」
「?旧約聖書時代に?」
すると教室の後ろの方から、コーラルピンクの長い髪をなびかせてルシファーが援護した。
「わたしも聞いたよ。彼らの苦難は君たちを引き連れて歩く黒須先生みたいなものだった」
苦労が分かる生徒は静かにうなずいた。
黒須はルシファーに両目でウィンクして、授業を続けた。
「イスラエルの民は、エジプトで産まれてから、ずっと奴隷として生きて来た、世間知らずの200万人だ。
どんな奇跡を見せても、どんな神の怒りに触れても、喉元過ぎたらすぐ愚痴を言い始める。
海を割ってエジプト軍を殲滅させても、『やった、ラッキー!』
空からマナという食べ物を降らせてやっても、『うほ! ラッキー!』
その場は喜ぶが、のど元過ぎれば何とかで、その後は文句と愚痴ばっかりだった」
****
教室は、出エジプト記のシナイ山だった。
岩に腰かけているのは、90歳くらいのお爺ちゃんモーセだった。
200万人の愚痴に黙って耐え続けるモーセ爺さん。
黒須は解説した。
「これでもこのモーセ爺さん、若い頃はヤンキーだったんだぜ。
だから、そのころの癖がたまに出るんだな。
シナイ山で神に十戒の石板をもらって帰って来たのに、民衆がモーセの留守中に黄金の牛の像を崇拝していたのを目撃して、ブチギレたんだ」
―「アホンダラ―! 偶像崇拝するなと言っただろがーー!!」
黒須の解説
「頭に来て、石板をたたき割ったりもした。なかなか元気な爺さんだな」
生徒たちはクスクス笑った。
でも、基本、いろいろ耐え忍んできたのだ。
ある日、イスラエルの民が、
―『咽乾いた、水出してくれ』
とせがむので、渋々杖で岩を叩いた。
一度叩いたが、何も起こらなかったから、もう一回叩いた。
すると、水がビッシャーーーーーと吹き出した。
民衆は
―『やったー、ラッキー!』
と大喜び。
ところが、神はブチ切れた。
―『モーセ! わたしを疑って、2回叩いたなー』
黒須はモーセを庇った。
神を疑ってしまった。
「っていうより、モーセは『あれ? どうしたんだろ』って思っただけなんだけどな。
それが神の怒りに触れてしまった。
モーセは結局、約束の地カナンに入れてもらえないと言われたんだ。
何て理不尽な……。
旧約聖書の神は、疑い深くて、嫉妬深い。……ような、気がする。個人的意見だ」
ここまで解説すると、黒須は地図を用意して、ウリエルにサインを送った。
ウリエルがそれを大画面に映し出した。
ルシファーは、後ろの席で脚を組みながら、けだるそうにモーセを憐れんだ。
「あ〜ぁ、こんなに苦労してきたのにな。そのうえ40年も自分勝手な200万人を引き連れて苦労したのに、ホントお気の毒〜」
黒須は、ルシファーが言った言葉を利用した。
「お、丁度いいや。今、ルシファー先生が言った40年ってのは、どこの部分か説明しよう」
地図はシナイ半島周辺だった。
赤い矢印に沿って、黒須の棒の先がすべっていく。
「エジプトを脱出してから3ヶ月で、シナイ半島の南側、シナイ山に着いている。まぁ200万人の大所帯だからな、スピード的にはそんなもんだ」
シナイ山から先は、オレンジ色の矢印を指した。
「この図にあるように、シナイ山からカナンの地まで、なんと40年もかかって移動する。
だが、モーセは遂に、カナンの北東側の山、ここでカナンの地を踏まずに亡くなるのでした。はい、ここでモーセ終了」
生徒たちからも、声が漏れた。
「お気の毒〜」
「かわいそう」
「お疲れ様でしたー」
「先生、カナンの北東の山でモーセは亡くなったとおっしゃいましたが、南側から入った方が近くないですか? なんで、わざわざ北東まで移動したんですか?」
「いい質問だ。南側から入ろうとしたさ。
そこで先住民と争った、けど先住民の方がめっちゃ強かった。そりゃ、食事もちゃんととれて体力あったろうし、土地勘もあったろう。原住民の方が圧倒的に有利だよね」
「そんなに戦うんだ……」
「モーセは死んじゃったんだけど、その後継者ヨシュアが約束の地カナンの地に入ろうと頑張る。それから、また数年かかる。ヨシュア率いるイスラエル民族は、カナンに住んでる人たちと戦わなきゃ、その土地に入れないわけだ。だから移動した」
黒須がやっているVR授業の旧約聖書とは、イスラエル民族の歴史書だ。
つまり、イスラエル民族の歴史上の出来事が書いてあるのが、旧約聖書。
彼の考え方で表現するなら、イスラエル民族の王国爆誕は、ひとつの到達点でもあった。
「イスラエルの民は、引越をくり返し、放浪をくり返し、ようやくイスラエル民族全員で「約束の地カナン」に帰って来た。短いがVR行くぞー」
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荒野からカナンに入ろうとしたら、カナンには知らない人たちが住んでいた。
イスラエル民族―「ただいまー」
カナンにいる民族―「え、お前、誰?」
イスラエル民―「誰って、俺たちは400年前はここに住んでいた。今、帰って来たんだけど」
カナン民―「400年前なんて、知らねーよ。俺たちは昔っからここに住んでいるんだけど?」
イスラエル民―「はぁ? ここは、俺たちが神からもらった土地だ。出て行け」
カナン民―「何だと? 俺たちの土地だ。出て行くのはそっちだろ」
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VRはここで途切れて白い画面に戻った。
黒須の解説。
「まあ、こうなるわな。400年前なんて、知ったこっちゃねー、というのが普通の反応だろ」
生徒たちは、あっけないVRに不満そうにヘッドセットを外した。
「モーセが亡くなったあと、後継者ヨシュアをリーダーに、イスラエル民族たちは「約束の地カナン」に住んでいる先住民族を次々と攻撃していくんだよ。
まぁ、大昔はイスラエル民族が住んではいたんだけどな」
マルが手を挙げた。
「先生、カナンの先住民を次々に攻撃していくって、……つまり、戦争ですか?」
「はっきり言えばそう」
「なんだか、ここにきて違和感。神の教えを守って長旅してきて、約束の地に着いたら戦うってどうよ」
「現代の君たちから見たら、そう感じるかもな。でも、大昔から人間は、土地の奪い合いで争いをしてきた。日本の戦国武将だってそうだろう? 土地を奪う、守る、それが繰り返されてきた」
「そうだけど……」
「マルの言いたいこともよくわかる。先住民と戦って勝つって、本当の勝利なんだろうか。さあ、考えてみよう。みんなはどう思う?」
黒須は、生徒に疑問を投げて、自由にデスカッションさせた。
VR授業では、受け身で体験する側の生徒たちだが、今回の授業では、自分から考えて言葉にすることをさせていた。
ルカは、授業スタイルの変化を見て、あることに気づいてウリエルに聞いた。
「なるほど、カナンに安住する前のあの残酷な歴史はVRにできないものね。でしょう? ウリエル」
「さすがっす! 先輩。ここから先は残酷描写が含まれる可能性があるため、VR映像は停止します。黒須先生の講義のみになる予定っす」
ルカは小さく頷いた。
「エリコの大虐殺か……、天界でも天使泣かせの歴史だわ」
黒須は、数分間の生徒たちによるフリーディスカッションを、手を叩いて終了させた。
「はーい、いいかなー。ここでいろんな考えが出たと思うが、旧約聖書の話に戻ってみよう。
次の課題は、『エリコの戦い』だ。
え? エリコって、女の子の名前みたいだから覚えやすいって言った奴、いい線言ってるぞ。 覚えてくれるんなら、それでもいい。エリコといえば名前にしか聞こえないやつも、よーく聞いてくれ。
エリコは Jericho と書くので、英語だとジェリコとなる。
つまり、ジェリコの戦いだ」
「ジェリコ……、先生、俺聞いたことあるわ。『ジェリコの壁』とかって……有名なアニメで聞いた気がする」
「イワン、僕もそれ知ってる! 映画でも聞いたことある」
イワンとマルが喋っている横で、ダニエルがまとめた。
「ジェリコの壁って、アニメや映画で使われるくらい、有名な話ってことだよ」
他の生徒から感嘆の声があふれた。
「「「おおおおぉぉーー!」」」
黒須はジェリコについて説明した。
「英語読みのジェリコの方が、分かりやすいと思うが、現地の言葉では『イェリコ』と発音する。エルサレムをイェルサレムと発音するのと同じだ。聖書では『エリコ』書かれているから、授業も『エリコ』で進めていく」
そしてイスラエルの民は、エリコという難攻不落の城壁をもった町を攻略していくことになる。




