第84話 校長とルシファーのVR授業参観
校長は、ルカの様子をじっと見ていた。
「ほうぅ~~~。ルカ先生は、黒須先生のことを……。ううむ、若いっていいなぁ!」
校長は胸の前で手を組んでうっとり見つめていた。
「これですよこれ! 若い女性が恋に落ちる瞬間というのは、いつ見てもときめきますなぁ。仕事と恋の板挟み……素晴らしい教育素材とは思いませんか? はっはっは……」
ルシファーはずっと不機嫌だった。
「…………わたしより、邪悪な理由だ」
VR画面の中で、ルカが赤面しながら、黒須を叱りつけているシーンが流れ続ける。
ルシファーは、じっと二人を見つめたまま、眉がピクリと動いた。
校長は、ルシファーの顏を見て声をかけた。
「おやおや、ルシファー先生? どうなさいました? 浮かない顔をして」
「……別に何も。ただ、あの天使は……、あの新人教師は、あれほど人間(元天使の堕天使まで含む)に情緒を乱すタイプではなかったはずです」
「何を言っているのかわからんが……、とにかく、恋は人を変えるから!」
「恋ではありません」
「ほう……、では、何だと?」
「……あれは、職務上の軽率です」
(ルシファーの心の声:……なんだ、ルカの顏。あんな顔、わたしに向けたことは……)
「おやおやぁ~~~。君、まさか……嫉妬かね?」
「嫉妬? わたしが? このわたしがっ?」
ルシファーの声が裏返った。
「ルシファー先生、顔が……ちょっと、こわ……」
「……冷静そのものですが」
「眉間にしわが寄っておりますが……」
「これは地獄仕様です」
「くくく。おやおや、君はいつも黒須先生のことを『能力のムダ使いの堕天使』って言いますけど……」
校長はモニターを見て、にやりと微笑んだ。
「本当は気になっているんでしょうね? なにしろ“元部下”ですからねぇ」
校長は、天界の事情も地獄の事情も把握している不思議な人だった。
黒須がルシファーの元部下という情報も知っていた。
「何故、それを……………気になどしていません」
「天使でしたらもっと素直におっしゃいなさい」
「私は天使ではありません。堕天使です。それと……」
ルシファーの声に、ほんの少し“刺”が混ざった。
「……あの天使が、あんな男に心を寄せるとは。想定外です」
「ふふふ、面白いね君は。とある組織から君がうちの学校に来ると知って、本当に楽しみにしていたんだ。期待通りだよ、ルシファー先生。独占欲というものは、職種に関係ありませんね」
「……独占などしていません」
しかし、画面の中で、黒須がルカの頭を軽く撫でようと手を伸ばすと……、
ルシファーのこめかみがピクッと動いた。
「ほらね。今ので、“わしの勝ち”ですな」
「………………」
そのまま画面を凝視しながら、ルシファーは静かに呟いた。
「……あの男は、フリーランスのくせに……人の心を乱しすぎです」
校長は、いつもの笑顔で応えた。
「おやおや、珍しい。君が誰かに“乱されてる”のを見る日が来るとはな」
「…………黙秘します」
そう言って、校長の誘導尋問からルシファーは逃れると、黒須に近づいた。
「いや〜、黒須先生! これは教育効果高いねぇ。宗教心が深まりそうだ」
黒須は、そんな言葉で機嫌良くなったりしない。
「なんだよ。……教育委員会的には危険思想扱いされるぞ」
「わたしは“自由研究”だと言い張るつもりさ」
ルカがため息をついた、
「あんた、ほんと自由ね」
ルシファーは、ルカに構ってもらえて心が震えた。
「君の冷たい目線で、わたしの心は凍えそうだよ♡」
「じゃあ凍れば?」
「それいいな。ルシファー、海の中に立ってろ。体験型指導だ」
「ルカちゃんが言うなら、わたしはそうする。命令だよね、ルカちゃんの命令なら逆らえない。わかった、潜入教育だね!」
****
ザバァァァ……ン。
本当に入った。
波にのまれながら、ルシファーは笑顔でルカに手を振っている。
女生徒のマリが、それに気が付いて、ルカにルシファーのことを教えてあげた。
「あの人、偉い先生だっけ? ルカ先生に手を振っていますが……」
「ああ、気にしないで、害はないから」
「……やっぱり、あの人、溺れてません?」
「多分、演技」
黒須の声が、再び授業に戻った。
「じゃ、まとめるぞー。奇跡……それは“起きること”ではなく、“起こそうとするもの”だ。
モーセが海を割ったのではない。大勢の人々の意識が、“希望を選んだ”から道が開けたんだ。大事なことだから、もう一度言う。奇跡は起こすものだ」
水の壁が輝いていた。
イスラエルの民が駆け抜け、海の向こうへ渡っていく。
黒須のナレーションが静かに流れた。
「……これで、イスラエルの奴隷たちは本当に自由になったんだな」
その言葉と同時に、朝日が海面に差し込んだ。
海は、もう静かだった。
ただ、黄金色に輝く水面が、あの奇跡が確かにあったことだけを物語っていた。
光がフェードアウトしていく。
海が閉じ、画面が暗転。
****
次の瞬間、ルシファーがずぶ濡れで現れた。
「……いや〜、潮風の再現度100点。死ぬかと思った」
「お前死なないだろ」
「死ぬさ。肉体は借り物だから、体は滅びる。堕天使体質の “臨場感”調査をしてたんだ。仕事だよ」
ルカが横からバスタオルを差し出した。
「あなたの場合、“浸水感”でしょ」
「ルカちゃーん、ありがとうー! 海水がこんなにリアルだと思わなかったよー」
「お前、ルカに近づくな。ルカもタオルなんか出さなくていいから!」
ウリエルは、黒須にサーバーの危機を知らせた。
「あのー、海の塩分でサーバーが壊れかけっす! 黒須先生、今はジェラシー禁物です。サーバーに余計な負荷をかけないでくださーい」
「ざけんなよ。海水をリアルにしすぎたのは、君だろ」
教室は、どっと笑いの渦に包まれた。
黒須は黒板にチョークを走らせる。
『奇跡=起こすもの』
そして、静かに言った。
「次回、もうちょいモーセは続く。そこから先は、実際の世界史と旧約聖書はリンクしてくるからなー。もう神話じゃなくなるぞ」
チャイムが鳴り、ルカはノートを閉じながら、ちらりと黒須を見た。
(……黒須先生って、神の奇跡よりずっと、不思議な存在だわ)
ルシファーがこっそり隣でささやいた。
「ねえ、ルカちゃん。“教育”って、やっぱり恋だと思わないかい?」
「思わない。その理論で文科省に報告書出したら、あんたクビになるわよ。」
「あーん、君が教師なら、喜んで堕ちるけどね」
黒須が鋭い琥珀色の目で睨んだ。
「おまえはもう、とっくに堕ちてるだろ」
すると、校長先生がルシファーの襟元をつかんで、教室から引きずり出した。
「お邪魔したね、黒須君。邪魔者は消えるから、あとは仲良くやってくれ。楽しかったよ、ありがとう」
生徒たちの爆笑の中で、今日の授業は幕を閉じた。




