第8話 マッチングしました
平日の午後、青葉学院高等部、職員室。
「ちょっと生徒指導室に行ってくる」
黒須がそう言い残して職員室を出た。
ルカは黒須の席の前まで歩くと、何気ない様子で立ち止まった。
ルカが手に持っていた書類は、クラス分の提出書類だ。
ついでに、黒須の机に置いていこうとしただけだった。
「っと……あら?」
ふと机の上を見ると、開きっぱなしのノートが目に入った。
ノートには、ボールペンで走り書きされた文字が踊っていた。
『婚活の道のりマップ』
「……は? 婚活の道のり?」
興味半分、呆れ半分で、素早くページを覗き込むルカの視線は、まるで諜報員だった。
■ 婚活の道のりマップ
☑ マッチングアプリを始める
☑ マッチングする
☑ デートにこぎつける
☑ 車で迎えに行く
☑ ディナーをご馳走する
□ サプライズを演出する
“サプライズを演出する”のところに、迷った筆跡があった。
そこだけ、チェックマークが付いていない。
そして、その隣のページには、どこかで見覚えのある文面があった。
■ 恋愛CIAのお告げ(by Cupids' Intelligence Agency)
・初対面の女はとにかく髪と服を褒める
・第一印象は笑顔で
・デートは上手にエスコートする
・眺めがいいレストランを事前予約
・会計はスマートに
(この下に、車で来たのなら飲酒禁止って書き加えてやろうか……)
呆れながらも、ルカの口元には小さく笑みが浮かんだ。
(ふん、一歩前進したということか。それはつまり、こいつを消す日も一歩近づいたということね)
すると、机の端に置いてあった黒須のスマホがブーブーと振動した。
画面には、マッチングアプリの通知が表示された。
【マッチングしました!】
(……へぇ、やるじゃん。どれどれ……)
自然な流れでスマホを手に取ったルカだったが、次の瞬間、固まった。
《マッチング相手:ルカ・S》
(…………は?)
その瞬間、背後から足音して黒須が戻ってきた。
「おい」
「ひっ!」
ルカはスマホを覗き込んだ行為を誤魔化そうと、必死に演技した。
「ん? あれ、なんか通知が……きたみたいですよ、黒須先生」
ルカは慌ててスマホを机に戻し、何食わぬ顔で書類をトントンと揃えた。
「ルカ先生、今、俺のスマホ、いじって……」
「えっと……、この書類を置くためにどかしただけです! ……で、どうなんですか? マッチングアプリの進捗状況は」
黒須は自分のスマホを見て、マッチング通知に気づいた。
「え? あ、うん……お! やった! マッチングしたっぽい。名前、ルカって人。なんか既視感あるような……」
(わざとかこいつ! ルカって名前、日本にそんなに多いのか? 既視感ってなんだよ)
「黒須先生、あの、それ、マジで言ってます? それとも、頭のネジどこか……」
「え、……何が抜けてるって!? って、悪いな、今はそれどころじゃないから」
黒須にそう言われると、ルカは背を向けて、職員室の天井を睨みつけた。
(この恋愛ポンコツと……ほんとにマッチングしちゃったのか……! ああ、地獄だ)
「……ルカって名前、どっかで見たような……」
黒須はスマホをいじりながら、眉間にシワを寄せてうなった。
すぐ目の前に“そのルカ”がいることを、全力で忘れているようだ。
「あ、わかった! 君さぁ、先日マッチングアプリの登録したろ。それだ」
(フッ、今さら気づいたか)
「で、でも偶然ってあるんだな……! 君と同じ名前の女とマッチングするなんて……」
(え? やっぱり気づいてない? バカかこいつは)
「あー……どうしよう、なんてメッセージ送れば……」
黒須はスマホに向かって深呼吸した。
ルカは呆れてしまった。
(こいつ、思い出したのに、同じ名前の別の女性がいると思っているのかっ! 普通、目の前にわたしがいるんだから、直接誘うタイミングだろ! なんでわざわざメッセージ送る! こいつ、マジでポンコツすぎないか……)
ルカはこの生粋のポンコツのために、トントンとノートのメモを指でさした。
(ほらほら、何のためのノートだ。ちゃんとステップを踏め。恋愛CIAのお告げを思い出せ)
それから数分後、黒須が打ち込んだ記念すべき第一通が送信された。
ルカのスマホがブルブル鳴った。
(仕方がない。トイレで確認するか……)
ルカは、女子トイレに入り、スマホでそっとマッチングアプリを開いてみた。
【新着メッセージがあります】
黒須のメッセージ:
《はじめまして。髪と服装がとても素敵ですね。良ければお話ししませんか?》
ルカは、恋愛CIAが教えた通りに送られたメッセージを確認すると、目を閉じた。
(素直すぎる。な、なんか違う……う、嬉しくない。わたしが教えたマニュアルどおりに入力しているし、ちゃんと学習してるのは、伝わる。でも、こんなのもらっても嬉しくなーい)
ルカは、冷静さを取り戻そうと、深呼吸した。
(とにかく……返信しないと怪しまれる! けど名前はルカ・Sのままだ……顔も天界のサーバーにあったプロフィール写真。正真正銘の天使だ。どうすれば……)
ルカは、トイレの個室からウリエルに助けを求めた。
「ウリエル、いるか? 緊急事態発生。……ウリエル、いないのか?! 応答せよ!」
ー「……いますよー。先輩、落ち着きましょう。これは好機です。恋愛CIAならば、早く返信した方がよろしいかと」
「だな。わかった」
思案の末、ルカは返信を打ち込んだ。
ルカの返信:
《うれしいです♪ あなたも、写真より実物の方がステキですね。笑》
「……よし、送った!」
―「先輩、実物を見たことある設定になってません?」
「あああああ! 早く言ってよ、ウリエル!」
―「だって、すぐ送信しちゃうんだもん……」
そのころ、職員室では……
黒須は拳を握って小さくガッツポーズを決めていた。
職員室に戻って来たルカは、ドキドキしながら冷静を装った。
(もしかしたら、さっきの返信で身バレしたかもしれないが、念の為に聞いてみるか)
しれっと、黒須に聞いてみた。
「なんか、返信来ましたぁ?」
(気づかれてはいけない。絶対に! もし、身バレしたら……こいつを今すぐ消すしかない)
「来た、来た。なんか褒められた……ってか、すげー素直な感じの人だな。なんか好感度高いわ、うん。これは、次に繋げたいな……!」
(うわっ、素で喜んでる……! よかったバカで)
「それで黒須先生、次はどうするんですか?」
「CIAのお告げによれば、初回デートは、眺めがいいレストランを予約しとくべきらしい」
「ふーん……。じゃあ、行ってくればいいじゃないですかー?」
(って、あんたにオススメしたの、わたしだけどね)
その日の放課後、職員会議があった。
教頭が教員を集めて、一年生の遠足先について提案した。
「えー、今年の遠足先も、やっぱり人気の◯◯遊園地でいいかな?」
教員全員、新しいことを始めるのは仕事が増えるから嫌いだ。
「生徒も喜びますし、そこにしましょうか」
すると、黒須が手を挙げた。
「例年と同じでも、施設内が変更になっている場合があります。一応、下見した方がいいじゃないですか?」
「そうですねー。アトラクションが変わったり、料金が変わったりするし」
「それは、それで、面倒ですなー」
黒須は提案者しただけに、ここで揉めるのは困る。
思い切って、黒須は切り出した。
「じゃあ、わたしが下見に……」
すると、教頭はすぐそれにのってきた。
「あ、いいね! ちょうど教育実習中のルカ先生も、引率の練習ってことで一緒に行ってもらえると助かるなあ」
「えっ。あの実習生ですか?」
ルカは満面の営業スマイルで、教頭の期待に応えた。
「もちろんです! お任せください♪」
しかし、内心は違った。
(チャンス! これが噂の疑似デートってやつ。黒須サトル、恋の墓場は遊園地だ)




