第79話 イスラエルの民を導くのだぞっ、て何人よ?
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結婚してからのモーセは、ヤンキーを卒業した。
結婚相手が良かったのか、殺人に対する悔恨か、はたまた、エジプトから逃げて環境が変わったせいか、それはわからない。
子どももできて、幸せな結婚生活を送っていた。
黒須は、旧約聖書のモーセが、神と出会うシーンを解説した。
「モーセが、羊を連れて聖なる山までやって来たときのことだ。モーセは燃え上がる柴を目撃する。聖書にはよく燃え上がる柴って出て来るけど、何か意味あるのかな、ルカ先生」
「え? うーん……、天界の演出パターンって単純なのよ。熱くないLEDライトで演出するんだけど、昔の人には燃えているように見えたんでしょ」
「なんか……、聞かなきゃよかった」
モーセは、燃えている柴を見つけて、何だろうと近づいてみた。
すると、雷鳴と共に神の声が聞こえて来た。
―「モーセよ、モーセ。わたしはあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神である。
ってか、まず靴を脱げー。ここは神聖な場所なのだー」
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ウリエルが悲鳴を上げた。
「うーーん、神の声って、負荷がとんでもないっす! サーバーぶっ飛びそう!」
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VR画面のモーセは驚き、急いで靴を脱いだ。
―「モーセよ。イスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指せー」
約束の地カナンとは、今のパレスチナだ。
―「は? 俺ですか? いやいやいや、無理っすよー。なんで俺なんすか」
―「心配することはない。わたしがついている。あなたを遣わしたのがわたしだという証拠に、必ずあなたとともにいよう」
―「いやいや、いやいや、心配とかそういう問題じゃなくて……、イスラエル人のところへ行って、先祖の神に遣わされて来たと言ったって、誰も信じてくれませんって。先祖の神様って何?」
―「わたしは『わたしはある』という者だ」
―「え、それが答えですか?」
―「さあ、エジプトに戻れー。そして皆を率いてエジプトを出て、約束の地カナンを目指すのじゃー」
―「えええーー? でも、あの人たちは俺を信じてくれませんよ。俺の言うことなど聞くはずがないって。『神がおまえに現れたって? おもしれ―冗談だな』と言われてお終いですよ」
―「モーセ、お前が今、手にしているのは何か」
―「羊飼いの杖ですけど?」
―「地面に投げてみなさい」
そう言われて杖を投げると、たちまち蛇に変わった。
モーセは驚いて、思わず後ろに身を引いた。
VRで見ていた女生徒たちも悲鳴を上げて後退りした。
神は命じた。
―「蛇のしっぽをつかみなさい」
―「え、大丈夫? 噛まれない?」
言われたとおりにすると、蛇は手の中で、また杖に戻った。
―「みなの前で、今と同じことをして見せるのだ。そうすれば、お前を信じるだろう。そして、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神が、ほんとうにお前に現れたのだと納得するだろう」
―「ホントに?」
―「心配ならば、お前の兄のアロンが説得力ある。お前が言葉をアロンに言わせて、民衆を団結させるのじゃー」
―「えーっと。腹話術的な?」
―「ひそひそ女将でもなんでもいい。アロンに喋らせろ」
モーセは山を下りたあと、妻の父にこの出来事を話した。
―「お義父さん、申し訳ありません。ってなわけで、エジプトに帰らないといけなくなりました。どうかエジプトにいる仲間の元に帰らせてください」
こうして、モーセは「奇跡の杖」を握りしめ、妻と子を連れてエジプトに向かった。
だが、エジプトにいるイスラエルの民は、成人男性だけで約 60 万人もいた。
女性、子ども、高齢者を合わせると実際の総人口は200万人前後……。
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黒須はここでウリエルに確認した。
「おい、ウリエル。出エジプト時にエジプトを脱出したイスラエルの民は、何人いた?」
「“聖書そのままの数字”を視覚化しまか? 成人男性 60 万人と記録されているので、記載通りですと200万人ですけど」
生徒たちは驚きの声をあげた。
「え、200万人!?そんなに!?」
黒須はざわつく生徒たちを、制した。
「落ち着けー! 聖書の数字は“大きく書く”のが伝統なんだよ。実際は数万人くらいだったんじゃねぇか? 荒野で200万人もいたらトイレの問題が地獄だろ」
ルカが説明に入った。
「出発する側だけの問題じゃないわ。最低でも2万~5万人の労働力がエジプトを出て行く事って、エジプトにとっても大問題なの。これだけの人口が流出したら、エジプトの王は納得しないでしょ? 労働力の流出よ。要するに、モーセの願いは、そう簡単に王に聞き入れられなかった。ここがポイントでーす」
黒須は、ルカに軽く目でサインを送った。
(サンキュー)
だが、ルカには通じていなかった。
(まったくもう! ……目がショボショボしてるのか。ドライアイ? あ、老眼か)
このすれ違いに気づいていたのは、ルシファーとウリエルだけだ。
二人はうつむきながら、肩を震わせ、笑いをこらえていた。




