第78話 君はヤンキー・モンキー・モーセ
ナイル川の流れが、まるで夢のように揺れていた。
水面が金色に光り、葦の茂みがさざめく。
ルカはスーツ姿のまま立っていた……VR空間だから本物ではないが、見ている人間は本物だった。
それにしても、風の感触や、太陽の熱さ、川の匂いまでもがリアルすぎて、異世界に来たようだった。。
「ここは、古代エジプト。舞台はナイル川のほとり。この時代、イスラエルの民は奴隷として生きていた。」
黒須の声が、どこか遠くから響く。
教室の生徒たちは、VRゴーグルの中でそれぞれ別の視点を体験していた。
「すごい……ほんとにエジプトにいるみたい!」
「見て先生! あのピラミッド、動いてる!」
「すんませーん! それ、たぶんレンダリングバグですっ!」
とテンパったウリエルの声が入った。
ヤコブ(イスラエル)の子、ヨセフが総理大臣をやっているうちは、イスラエルの民が多少増えても大きな問題にはならなかった。
ところが、ヨセフが亡くなると、イスラエルの民はだんだん厄介者扱いされた。
黒須はVRでエジプトの神殿を見せて説明した。
「エジプトは多神教なんだよ。太陽の髪・星の神・月の神・大地の神、いっぱいいる。
だから、一神教のイスラエル人とは相いれない」
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エジプトの多神教の神官が、ファラオにお告げをしているシーンだった。
―「王様、イスラエルの一族がやがて大反乱を起こすと、星の神からお告げがありました。そして、その大反乱のリーダーとなる人物が、……なんと今年生まれたと……、星占いで出ました」
―「何、それは聞き捨てならぬ。大反乱のリーダーになる人物だと? 厄介な奴がイスラエル一族から生まれたというのか。……消すしかないな。だが、どうやって、その子を探しだす。何かいい案はないか」
―「……申し上げます。今年生まれたイスラエル族の男の赤子を……、すべて殺してしまえば反乱は回避できます」
―「うむ、よきにはからえ」
生徒たちは口に手を当てて、そのむごい計画に思わず呼吸を忘れた。
黒須は淡々と説明した。
「こういうお告げを、エジプトの神官がした。そのお告げのせいで、この年に生まれた男の赤ちゃんは、すべて殺されるという悲惨な事件があったんだ」
風景は川のある風景に変わった。
ある家で男の赤ちゃんが生まれた。
若いお母さんは悩んでいた。
―「この子も見つかったら殺されちゃう」
そこで、お母さんは考えた。
パピルスで編んだ小舟に赤ちゃんを乗せ、ナイル川にそっと流した。
―「誰か、善き人に拾っていただけますように……」
その小船は母の手を離れて、流されていった。
流されて、ある川岸で止まった。
そこには、たまたま水浴びに来ていたエジプトの王宮に仕える女たちがいた。
女子生徒たちが水汲みの娘の役を割り当てられ、ルカはそのひとりの役をやらされた。
「まあ、赤ちゃんよ! 可愛らしい」
「あらまぁ、捨てられたのかしら」
「どうする?」
「この子をこのまま見捨てるなんて出来ないわ。王宮で育てましょう」
「ええ、そうしましょう」
小舟に乗せられた赤子は、エジプトの王宮の女たちに助けられた。
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黒須はルカに確認した。
「合ってるか? ルカ先生。王宮に仕える女たちでいいのか?」
「まあ、見つけたのは下女たちですが、王宮に連れて帰ると言い出したのは、王女でした。でなきゃ、王宮で育てられないでしょ。秘密にするわけにいかないし」
「やっぱ、そうだよなぁ。俺もここは不思議だったんだ。そうか、優しい王女さんだったんだなぁ」
「優しい? 誰が?」
ルカの片方の眉が上がった。
「優しくなんかないわよ。っていうか、王女はペット感覚だったっんだけど? 『きゃー! マジかわいいー。あたし、この子飼うー!』みたいな」
「えーー、せっかくの美談が……」
「あーら、ごめんあそばせ」
(わたし以外の女に関心持つんじゃないよ。黒須先生)
黒須は、ルカの鋭い視線を背中に感じながら授業を続けた。
「と、とにかく彼は助かった。水から引っ張り上げたという意味で、『モーセ』と名付けられた。彼は両親の顏も知らず、王宮で恵まれた生活を送った」
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ところが……、
ヨセフが大統領だった時代とは事情が変わっていた。
まず、宗教の違い。
それに、やたらと子だくさんで、人口が増えまくり。
その時代のイスラエル族たちは、エジプトで奴隷として生きていて、辛い思いをしていた。
黒須は解説した。
「モーセは、自分と顔が似ている人たちの存在を知り、彼らが奴隷として生きていることを知ったんだ。しかも、自分が産まれた頃、大虐殺があったことも知った。はい、成長したモーセのVR、スタート」
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モーセは青年になっていた。
エジプト人とは明らかに違う、肌の色。
―「げっ! 俺と同じ顔で同じような肌。え? ええっ! 俺ってイスラエル族なのー? それなのに、僕一人が王宮でぜいたくな暮らしをしていいのだろうか。……、でも、王宮を離れるのは嫌だ。このままでいいかぁ……」
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映画などで有名なモーセが、実際はあまりにも俗っぽくて、ルカは笑いをこらえた。
(若い頃のモーセって、聖書には詳しく書かれてないけど、事実を知って、本当にこんな風だったのかしら?)
ルカは、ウリエルと通信した。
「このモーセって、黒須先生が監修した?」
「うぃーっす!」
「やっぱり……」
黒須は、自分の解釈を交えて授業を進めた。
「どうやらモーセは、複雑な生い立ちを知ってしまった。で、どうなったかって? お前らと同じだ。こういう年頃は……見事にグレるんだよ」
ルカは黒須の解説にストップをかけた。
「待ってください、黒須先生。グレたというのは、あなたの感想ですよね」
「おっと、そうきたか。でもな、この後、モーセは衝動的に殺人を犯してしまうんだ。続きを見てくれ」
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モーセは、王宮を抜け出してぶらりと石切場に行った。
すると、本当は自分と同じイスラエル民族が奴隷として強制労働させられているのを見た。
そのうえ、あるエジプト人監督官に虫けらのように鞭打たれ、苦しんでいた。
それを見て、モーセの民族の血が、そして、今まで鬱屈していた想いが一気に噴き出した。
モーセは衝動的に、いきなりエジプト人監督官に襲いかかった。
そして、その監督官を打ち倒して……殺してしまった。
そのあと、証拠隠滅を図って、砂に埋めてしまうのだった。
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「ひぇー、これは酷い。本当にあのモーセなんですか?」
「いやー! 信じられなーい」
「いやいや、覚えておけよ、お前たち。俺ならこう思う。この時のモーセは、自分の境遇を破壊したかったんだと。人間が、グレるって、そういうことなんだよ」
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モーセの殺人は噂となって広まり、ついに王の耳に達してしまった。
育ての母である王女は危険を察知し、暗闇に紛れて、モーセを逃がした。
こうして、モーセは砂漠に逃亡した。
逃走の末、シナイ半島の先まで辿りついたモーセは、喉が渇いて、ある井戸で水を飲んで休んでいた。
するとそこへ、羊に水を飲ませようと、そこの地区の祭司エテロの娘たちが井戸端にやってきた。
しばらくすると、そこを通りかかった土地の荒くれ者たちが女の子たちを追い払った。
―「おまえら、どけどけ! それとも姉ちゃん、俺たちとあそぼうか?」
それを見ていたモーセ、彼はいきなりキレた。
―「おい! 順番守らんかぁ! 女たちのほうが先だろうがぁ! なんだぁ? その目は。やるのか? やるってのか? へっ 上等じゃねーかこの野郎!」
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ルカはウリエルに通信した。
「マジで黒須の監修、強すぎない? まるで田舎のヤンキーじゃん」
「はぁ、でも、ここは黒須さんの脚色は、ないっすよ。モーセはマジで田舎のヤンキーだったんです」
「えぇっ!?」
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荒くれ者たちは、モーセにコテンパンにやっつけられた。
モーセは心が寂しいだけに、ケンカだけは無双だった。
「なんだよー、おいら、ちょっと順番守らなかっただけじゃんかぁー」
「下手な言い訳すんな、ごらぁ!」
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黒須は解説した。
「モーセって完全にヤバい奴だな。でも、これがきっかけで、モーセは助けた娘と結婚することになるんだ。いやぁ、大丈夫か、その娘? 目の前であのキレ具合を見てただろ」
マルが真面目に答えた。
「先生、娘さんはこういうのがタイプだったんじゃないですか?」
「ああ、なるほどな。田舎の村娘だ。王宮で育った洗練された品の良さ、プラス破滅型の男にギャップ萌えするのもアリかもしれんな……」
「黒須君?」
振り返るとルシファーがいた。
「このころのモーセは、わたしと似ている。品の良さと破滅型のギャップ萌え。わかるだろ? ね、ルカちゃん」
「全くわかりません。授業の邪魔です。突然割り込まないでください」
ルカがルシファーを睨むと、彼はデレデレになった。
「ごめんねー。殺したくなったら、いつでもわたしを殺していいからねー♡ ふふっ……、
相変わらず、ツンが鋭いね。……黒須、羨ましいだろ?」
黒須は、琥珀色の鋭い視線をこちらに向けて叫んだ。
「おまえ、次の授業から出禁な」
実をいうと、品の良さと破滅型が同居している黒須の横顔に、ルカはギャップ萌えしていた。




