第77話 奴隷から総理大臣に出世したヨセフ
この日はVR授業に入る前に、黒須は前振りでおさらいをした。
「ここまで旧約聖書をやって来たんだが、世代交代で名前が変わると混乱するだろ。軽くおさらいしようか。アダムとイブからたくさんが最初の人類。
その二人から生まれた兄弟がカインとアベルで、兄のカインが弟のアベルを神への嫉妬で殺してしまった。
「先生、歴史ってさぁ、名前がめんどくせえよな」
「わかる。わかるよー。でもちょっと辛抱してくれ。名前の暗記法は後で教える……。
話を戻すぞー。カインは住んでいた地域にいられなくなって、ノド(放浪の意)に逃げるんだ。今のノマドの語源だ。
カインがアベルを殺して。故郷を去ったあと、アダムとエバにはもうひとりの息子セトが生まれる。これ、瀬戸の花嫁じゃなくて、セトの9代目が、あの有名なノアなんだよ」
「今の生徒に、瀬戸の花嫁を言っても理解できてないようです、黒須先生」
「そうか……」
黒須はがっくりと肩を落とした。
「とりあえず、ノアの家族だけが生き延びた。
そして、アブラハムだ。100歳で跡取り息子を授かった。ところが、神がお前の最も愛している者が欲しいと言われて、せっかく授かった息子を、生贄にしようとした爺さん。
その少年の名がイサク。はい、イサクが大人になりました。
すると、イサクには、なんと双子の男の子が産まれた。毛むくじゃらでアウトドア派の兄さんエサウと、内向的でかわいい弟のヤコブ。このヤコブは、やがてイスラエルと改名するんだが……、ここ星マーク付けとけー。ここまではいいか?」
生徒たちは自分が書いたノートで、記憶を確認していた。
「そして、このヤコブ(イスラエルくん)にたくさんの子どもが生まれる。
その兄弟たちが、後にイスラエル十二支族といわれる。都市伝説好きなら聞いたことあるだろ。これ、キーワードだから覚えておけよー。イスラエルというのは十二の支族に分かれてるんだよ、ということだ」
黒須は更に続けた。
「そして、11番目に生まれたのがヨセフ。後に生まれた子は可愛いからね。お父さんのヤコブはこのヨセフを溺愛しちゃったんだよ」
イスラエル十二支族までは、よく理解して聞いていた生徒たちが、首を傾げ始めた。
「何? 今度はだれだって?」
「ヨセフって言ってた」
「覚えられねー」
ルカは生徒たちに提案した。
「はーい、みんな家系図だしてねー」
「歴史って暗記しようとしたら、つまらなくなるのよ。昔は名前なんてころころ変わるものだったし。誰かさんは、頭文字だけ並べて覚えようとしてたわ。アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ……、これで、アラ、イヤヨ!」
生徒たちはどっと笑った。
「ルカ、やめろ……」
黒須は顔を赤くして、注意した。
「あら、どうして?」
「その、……君が言うと、なんか色っぽいから、教育上良くない」
「そんなつもりないのに。黒須先生には、そう聞こえるんだ。ふぅーん」
「俺の勘違いじゃないと思う。ル、ルシファーがニヤニヤしてる……。だから、やめ……」
ルカがルシファーを見ると。うつむきながら必死に表情を隠していた。
「なんだか、嫌らしい男どもね。もういいわ。今のは、忘れて!」
黒須はネクタイを緩めると、必死に真面目になろうと努力した。
「忘れてと言われると、忘れられないもんだよ。きっと生徒たちの記憶に残った。ありがとう」
ルシファーは、「早く授業を進めろ」というのが精いっぱいだった。
「その……11番目に生まれたヨセフの話だ。ウリエル、VR、スタート」
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ヤコブ(イスラエル)の息子たちは、ヨセフに対していろんな無理難題を言って来ていじめていた。
―「あいつさ、気にくわねえな」
―「ああ、自分ばっかヤコブ父ちゃんに可愛がられて、マジうざい」
―「そうだよな。自分だけいい服を着てるしな。母ちゃんもヤコブ父ちゃんに首ったけだし」
―「あいつ、正夢だか、夢占いだかするらしいぜ」
―「マジかよ」
―「ああ、言ってたよ。『お兄さんたちが僕にひれ伏す夢を見たよ』ってさ」
―「ざけんな! 俺らバカにしてんのかっ!」
―「殺しちまおっか!」
―「やっちまえー!」
ヨセフは兄さんたちから袋だたきにあった。
―「やめてよ兄さん!、痛いよ、痛いよ」
そのうえ、裸にされて、枯れ井戸に突き落とされた。
―「助けてー、助けてー。うわーん」
すると、たまたまエジプトの隊商が側を通った。
―「どうしたのかね」
兄たちは、ヨセフを殺すつもりだったが、ここで考えが変わった。
―「なあ、殺すまでしなくていいんじゃね?。死体が出たら面倒だしよ。こいつを奴隷として売ればお金になるじゃん。で、ヨセフは行方不明に……ひっひっひ」
―「こいつは、身寄りのない浮浪児なんです。奴隷にいかがですか? お安くしときますよ」
結局、ヨセフはエジプトの商人に銀貨20枚で売られた。
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黒須による解説がおもしろかった。
「ヨセフはなぁ、エジプトで奴隷として働いていたんだが、彼は有能すぎた。
しかも、顔もハンサムすぎて、ご主人様の奥さんから誘惑される事件なんかもあった。誘惑されても、逃げたんだよ、こいつは。そしたら、逃げられた奥さんはヨセフにいろんな罪を擦り付けたりした。あらら、モテる男は大変だね。俺は、その点、全然大変じゃない」
ルシファーが黒須の解説に続けた。
「うん、いいね。だから、アラ、イヤヨで合ってる」
生徒たちはクスクスと笑い出した。
マルとイワンは目を合わせて笑った。
「あー、完全に刷り込まれたわ」
「俺も」
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エジプト人のご主人の奥さんのせいで、無実の罪を着せられ、牢屋に入れられたヨセフ。
牢獄でも、有能さを発揮してで、たちまち看守長から絶大な信頼を勝ち得てしまった。
―「おんやまぁ、お前ってさ、有能すぎるわ。もう全部、仕事を任せるわ〜」
看守長、仕事しなさすぎ。
そして、囚人仲間たちにも親切だった。
ある日、同じく牢獄に入っていたファラオの給仕長と料理長。
彼らから頼まれて、ヨセフは夢占いをした。
その夢占いが当たって、今度はファラオの夢を占うことになった。
それは、7年間の大豊作と、その後7年間の大凶作という占いだった。
―「なんといことだ。凶作が来るのか。私はどうすればいいんだ」
―「7年後って、わかっていればなにも心配はいりません。最初の7年間の豊作のうちに、食べ物を蓄えて、あとから来る凶作に備えるようにすれば良いのです」
その夢占いを聞いた、ファラオは感銘を受け、ヨセフをいきなり総理大臣に任命したのだ。
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生徒たちから驚きの声が聞こえた。
「マジかよ」
「えー、もっと、ちゃんと考えようよ」
「いくら有能だからって、いきなりすぎる!」
黒須は説明した。
「奴隷から、いきなり百段飛びの総理大臣だ。そりゃ、早すぎるよな。まあ、言い出したことの責任は取ってもらうぞという、裏の意味もあったんだろうな」
生徒たちは、黒須の説明に、なるほどとうなずき静かになった。
「ただ、その後、すべてヨセフの夢占い通りになるんだ。つまり、大豊作のあと大飢饉がくる。そしてヨセフの策のおかげで、エジプトは大飢饉に耐えることができたってわけ」
黒須は大飢饉の話をもう少し詳しく話した。
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「そのころ、ヨセフの兄たちが住んでいた地域も飢饉だった。
エジプトは貯えがあったおかげで食べ物があったから、兄さんたちはエジプトに行ったんだ。兄さんたちは昔ヨセフを売り飛ばしたことなんか忘れてた。
ところが、エジプトの総理大臣が、あのヨセフと知って驚いた。
一番末っ子の弟もヤコブは、生きてヨセフと再会できてうれし涙を流した」
「ヨセフは、昔、兄たちにいじめられたこと、恨んでなかったんですか?」
質問したのはダニエルだった。
黒須は、ただVRのヨセフを指さした。
「ごらん、この喜びよう。性格が良かったのかな? 最初は迷いがあったみたいだよ。
でも、兄さんたちがちゃんと弟と父のヤコブを連れて来ることと約束させたんだ。
あおあいて、約束を守ってヤコブ父さんを連れて来たのを見て、故宇したんだ」
―『みんなこっちにおいでよ』
と、ヤコブ一族たちを呼び寄せた。
ヤコブ(イスラエル)の子どもたち、すなわちヨセフの兄たちは、エジプトで奴隷から総理大臣になったヨセフに呼ばれて、食べ物のあるエジプトへ移住できた。
「そうなると、今度は移民問題だ。エジプト人とイスラエルの民との軋轢が……、おっと、そろそろ、時間かな? 次回は“エジプト”だ。神々の国で、信仰がどう変わるか……、激動の時代に突入するからなー。覚悟しとけよー」
ちょうどチャイムが鳴った。
ルカは心の中で呟いた。
(名前の覚え方、……あれはマズったな)




