第75話 イサクの息子、双子のエサウとヤコブ
今回も世界史VR授業だ。
VR授業の……いつもと変わらない荒野の風景、生徒たちは飽きてきてようだ。
「サパリパークと変わんねーな」
砂漠の風が、灰色の岩を撫でていく。
黒須の声が、アブラハムとイサクの続きを始める前に、釘を刺しておいた。
「サファリパークと変わんねーなといったやつ。後でライオンの洞窟に入れてやるからな、覚えとけよ」
「すげ、地獄耳……」
「ああ。俺は地獄から通勤してるからな……」
生徒たちは、どっと笑いだした。
だが、ルカとルシファーとウリエルは、笑えなかった。
「マジじゃん」
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さて、今日は命拾いしたイサクの息子たちの話だ。
「真面目なアブラハム爺さんの息子イサク、覚えてるか―。アブラハムの強い信仰によって生贄にされそうになったイサクだ。彼は、大人になってリベカと言う奥さんをもらった。そして、エサウとヤコブという双子が生まれたんだ」
映像は双子の赤ちゃんが生まれたシーンだった。
「双子なんだけど二人は全然似てなかったんだ。エサウは全身が毛皮のようだった。名はエサウと名付けられた。その後、弟はエサウのかかとをつかんで生まれて来たので、ヤコブと名付けられた。どっちもヘブライ語だ」
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先に生まれた赤ちゃんは、サルのように毛深かった。
エサウが産婆さんに取り上げられた様子を見ていた女生徒のマリは、それを見て怒りだした。
「ちょっと、これ酷くない? 毛深く生まれて来ただけなのに、サルみたいに雑に扱ってない? それに比べると、ヤコブは丁寧におくるみまで着せてもらって」
「マリの言う通りよね。酷―い。差別だわ」
憤慨する生徒たちを、ルカはなだめた。
「気持ちはわかる。でも、話を進めましょう。この時点で酷いとか判断するのは、まだ早すぎるのよ」
黒須は、説明を続けた。
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「簡単に言うぞ。兄エサウは強靭な肉体で狩人となり、そして野性的な性格だったエサウは父さんのイサクに愛された。弟のヤコブは内向型だったから、母のリベカに可愛がられたんだ」
ある日、兄のエサウが狩りに出たが何も取れなくて帰って来た。
エサウは、お腹を空かせて帰って来て、弟に訴えた。
ちょうど、弟のヤコブはレンズマメを煮ていたんだ。
―「ヤコブ、いいなぁ。喰いたいよー、喰いたいよー、よこせ、よこせ! お前が豆スープをくれたら、長男の権利をやってもいい」
兄さんエサウは、あまりにも豆のスープが欲しくて、お礼に家督を譲ってもいいと口約束してしまった。
―「ほんとう? 兄さん、今言ったこと、忘れないでよ」
―「あぁ、わかった、わかった。忘れないから、早く豆のスープよこせや!」
―「うわーい! 優しい兄さん、ありがとう!」
―「うわーい! 優しい弟よ、ありがとう!」
ヤコブは豆のスープをあげた。
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黒須はここで、個人的な感想と前置きをした。
「先生はな、……個人的な感想なんだが、このエサウって兄さんは真っ正直すぎて、単純でバカなんじゃないかと思うんだ。こんな豆スープ一杯と長男の権利を交換するか? いくら腹減っていても、普通やらないだろ。まあな、こういうアウトドアタイプで、単純思考の奴って、性格がいい奴に多いけどな」
生徒のマルが手を挙げた。
「先生! でも、ヤコブもヤコブだと思います。ずっと一緒に育ってきたんだから、エサウの、その……頭の良くない性格を、ヤコブはわかってたはず。それを、しつこく約束させた。僕はヤコブって、ずるいと思います」
イワンがそれに反論した。
「俺は違うと思う。頭が良くない兄だぞ。筋肉バカのエサウが家督継いだら、一族が滅亡するじゃん。それだったら、多少ズルいと言われても頭がいいヤコブが継いだ方がいいじゃん。だから、ヤコブは一族の滅亡を救ったヒーローなんだよ」
女生徒のマリはまた違った意見だった。
「それは違う!! 先生は、おっしゃいましたよね。兄のエサウは父さんイサクに愛された。弟のヤコブは母さんリベカに可愛がられたと。……そもそも、この夫婦はうまくいってたのかしら。これは、裏で母親のリベカが糸を引いたんですよ。溺愛するヤコブが家督を継ぐようにしかけたのよ!!」
「こわー、女ってこえーよ」
他にもいろんな意見が出てきて、活発な議論になった。
「ルカ先生は、どう思います?」
黒須はルカに話をふった。
(うっ……、むちゃぶりかよ。天使としては答えにくい。ヤコブは後にイスラエルって名前をもらうユダヤ人の祖だ……)
「下手なわたしが意見を述べるよりも、VR授業を見た方が早いかと……」
生徒たちはざわざわし始めた。
それぞれが、ヤコブはずるいだの、いやエサウがおバカだの論争は収まらない。
黒須は手を叩いて生徒たちを黙らせた。
「はーい、静かに! ルカ先生の言う通りだ。百聞は一見に如かずだ。先に進もう。ウリエル、話を少し進めてくれ」
ルカはホッと胸をなでおろした。
(無茶ぶりすんなよ! 天使がどう思うって正解しかないだろがっ!)
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VR授業の場面は少し進んで、老いたイサクの場面になった。
イサクは歳をとり、目が見えなくなっていた。
そろそろ家督を譲る時が来たと悟ったイサクは、兄エサウを祝福することに決めた。
―「エサウよ、今すぐ獲物を獲ってきて、わしに美味しい料理を作っておくれ。そしたら、お前を祝福しよう」
黒須は生徒たちに向けて、解説した。
「この祝福とはな、子孫の繁栄、土地の継承などの神との約束のことだ。だから、絶対取り消せないし、一回しかできない。ここ重要だからな」
エサウは、イサクの言葉に喜び、早速外に飛び出し狩りに出た。
しかし、それを聴いていたヤコブ溺愛の母リベカは焦った。
ヤコブを呼んで、策略を立てたのだ。
―「このままだとエサウが祝福されちまうよ。エサウが一族の長になるなんて絶対ダメ! ヤコブ、あんたもすぐ獲物を獲ってきなさい。料理はわたしがしてあげるから」
―「え、母さん……。いいの? でも、兄さんと僕は双子だけど全然似てませんが……」
―「いいんだよ。どうせイサク父さんは目が見えないんだから。あんたがエサウのふりすれば、わからないって。そうして、あんたが祝福を受けちゃえばいいんだよ」
しかし、ヤコブは心配した。
―「えー!! エサウのふりってたって……、僕は毛深くないから、手を触られたらすぐバレるでしょ」
―「大丈夫、腕に獣の毛皮をつければ、触った感じ毛むくじゃらだし、イサク父さんはわかりゃしないさ」
―「いや、絶対バレるっしょ!」
―「いいから、母さんの言う通りにして! エサウが帰ってくる前に早くっ!」
母リベカに言われた通り、ヤコブはエサウの服を着て、腕には毛皮をつけた。
そして、イサクが横になっているベッドまで来て、一芝居うつことになった。
―「父さん……」
―「なんだい。誰だい?」
―「ヤ、……やぁ、こんにちは。エサウでーす。父さんに言われたとおり、お料理を持ってきました。約束どおり僕を祝福してください」
―「えっ?! もう?……。こらまた、えらい早くないか?」
―「んーーーー。それは、……えっと、神がいろいろと計らってくれちゃって……」
―「おお、そーか、そーか。さ、近くに来なさい。本当におまえがエサウか、確かめたい」
黒須は、音声で生徒たちに教えた。
「この時点で、イサクはもう疑っていたんだ。そりゃそうだ。声が違うからな」
イサクに視覚はない。
彼は年老いて、盲目だったからだ。
そして、ヤコブはエサウの服を着て、イサクの臭覚を欺こうとした。
子ヤギの肉で料理を作り、イサクの味覚も欺こうとした。
子ヤギの皮を身に着けて、イサクの触覚を欺こうとした。
そして、近くに来たヤコブを触りながら、イサクは言った。
―「声はヤコブの声だが、……腕はエサウの腕だ……」
生徒たちは、思わず叫んだ。
「「「バレバレじゃん!!」」」
だが、イサクは続けた。
―「お前は、本当にエサウなのだな?」
―「はい、もちろんです。お父さん」
―「では、料理をここへ……。それを食べ、祝福をおまえに与えよう」
イサクが料理を食べ、ヤコブを祝福している場面を見て生徒たちは騒いだ。
「これって、どうよ?」
「簡単に欺された、ってことでいいのか??」
「いや、いや、イサクってさ、実は気がついていたんじゃないの???」
「あれさ、絶対気づいているよ」
「気づいていて、あえて認めたんだんじゃね?」
「っていうかさ、腕だって触ってわからないわけないじゃん」
「いろいろ偽装したけど、声は変えられないもんね。絶対、騙されたふりしたんだよ」
「妻が裏で糸を引いていたのも、イサクは気づいたとか?」
「イサクは、奥さんの策略に気づいているんだよ」
「何のために騙されるのさ」
「それは……奥さんへの愛?とか」
黒須は、生徒たちの話を止めなかった。
それどころか、生徒たちの意見が出なくなるまで議論させた。
そして、まとめた。
「つまり、君たちの意見はこうだな。お父ちゃんのイサクは、こう思っていたわけだ。
『兄のエサウは明るいし、活発だし、直情型だけど単純でわかりやすくて、実に素直でいい子じゃ。だがなぁ……、族長にするには物足りないというか、ちょっと頭が悪すぎるかもしれないなぁ。この厳しい土地で一族を繁栄させるには、もっと狡猾さがなければな……』
とか、思っていた可能性があると? ルカ先生は、どうかな?」
(また、むちゃぶりかよ。しょうがない、そんなにこだわるなら、わたしがその時に見ていた様子を、特別に加えるか……)
「イサク父ちゃんは、ヤコブが臭い小芝居しているのに気づいていました。
妻のリベカと次男ヤコブがそうまでして、一族を守ろうとしているのもわかっていたのよ。
『それにしても、エサウが気の毒じゃなぁ。かといって、エサウを祝福するのは、やはり間違っているのかもしれない。ううーん……、一族の為だ』
それで、イサク父ちゃんはエサウが帰ってくる前にさっさっと祝福しちゃったってわけ」
ダニエルはメガネをつまみながら下を向いてつぶやいた。
「聖書って、もっと人間的にすばらしい人の話が書いてあると思ってたけど、今の僕たちと変わんなくね? バカだよね」
「ダニエル君……」
ルカが後ろから声をかけると、ダニエルは逆に聞き返した。
「ヤコブが狡猾だったこと、聖書で認めてますけど、いいんですか? 旧約聖書を聖典として読んでいるのは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教ですよね。彼らにとって、ある程度の狡猾さは、必要悪ってことですか?」
ルカが答えに詰まっていると、黒須が助け舟を出した。
「あー、ダニエル君。それについての答えは、まだ先の先だ」




