第58話 ハルマゲドンをもう一度だってよ
地獄第七層―永炎ホール。
フェスが開幕して、何日目かの夜だった。
天井を貫くような炎の柱が、闇の中で螺旋を描いていた。
黒須は観客席で立ち尽くしていた。
視界の中央、ステージではルシファーがマイクを握っている。
そしてその隣には、玉座のような黒い椅子に腰掛ける巨影があった。
地獄の大魔王、サタンだ。
「またお前か、黒須。前回は世界を救って、天界では一躍有名になったらしいな。だが、人間界では、意外とそうでもないとか……。地獄は、お前のおかげで予定がずいぶん狂ったがな」
声は地鳴りのように響いた。
黒須は肩をすくめて返した。
「……そりゃ、申し訳ござんせんでした。こっちは規格外のヒーローなんで」
ルシファーが横で手を叩いて笑った。
「はっはっは! 面白しろい冗談だね。それで? 君はまた“愛の力”とやらを使う気なのか?」
ルカがそっとつぶやいた。
「いや、手を叩くほど面白い?……ルシファー、あなたのツボって、どこ? 地獄の基準がわからない……」
それには構わず、ルシファーは舞台中央で両手を広げ、観客席にむかって熱弁した。
「愛は、神が作り出した最大のバグだ。嫉妬・執着・慈悲……それらすべてが混ざり、人を狂わせ、堕とし、時に救う。その“揺らぎ”こそ、……この宇宙を動かす原動力になりうる」
サタンがゆっくり立ち上がった。
「あのな、ルシファー、ちーっと長いな。簡単に言わないと、底辺の悪魔たちには伝わらないだろう。
つまり、“愛”という燃料で、ハルマゲドンをもう一度起こす。今回は“地獄主導”でな」
会場がザワザワとしはじめた。
黒須は眉をひそめた。
「サタンさまよぉ、今、ハルマゲドンをもう一度っておっしゃいました?……つまり、地獄の婚活フェスは“燃料集め”ってことで?」
「そうだ。愛は爆薬にもなる。ほうら、聞こえないか? 人間どもが惚れたり別れたりするたびに……、この世界は微かに爆ぜている。ふふっ、あの時のハルマゲドンの花火みたいにな」
サタンは嬉々として笑った。
「ハハハハハ! 今度こそハルマゲドンを成功させる。そう、我らが集めた“愛の波動エネルギー”を一点に集中させてな。
それが、エモーショナル・ハルマゲドン・システム(“Emotional Armageddon System”)だ」
サタンの声に反応するように、虫の羽音のような響きがはじまった。
ルカは、はっとして目を見開いて言った。
「……感情の収束装置ってこと?!」
ウリエルの通信が耳に響いた。
―「ルカ先輩! 天界ネットに異常波動が起きました! 地獄側の演算プログラムが、天界の祈りサーバーとリンクしています! 超やばいっす! 放っておくと両方、暴走しちゃうーー!』
ルカは立ち上がり、白い光の翼を広げた。
「止める。サタン、お前の計画はここで……」
だがその瞬間……!
天井から落ちた光の鎖がルカの身体を絡め取った。
「っ……!」
そして、ルシファーが指をパチンと鳴らすと鎖はルカの体に食い込んだ。
「すっご! かっこいいねルカ! 君の正義感は相変わらずだね。でも、神の使いが“愛のデータ”に手を出すと、自動的に封印がかかる仕様にしてあるんだよ。残念だったねー、天使エージェントからの都落ちさん……で、合ってるのかな?」
黒須が叫んだ。
「ルシファー! やめろ!」
「止めないよ。君には見せておきたいんだから。君が大好きな天使が、理性より感情を優先する瞬間を」
ルカが鎖に抗いながら、苦しげに声を上げた。
「ふっ……都落ちは合ってるわ。でも、わたしは感情なんて……!」
「違うだろう?」
ルシファーはルカの顏に近づいて静かに言った。
「ねえ、もしかして君はもう、黒須を愛している? なら、その感情が、地獄と天界を繋ぐ波動になるかもしれないねぇ」
会場が再びざわついた。
ルカの顔にかすかな紅がさした。
黒須の胸が激しく跳ねた。
「待て……、ルシファー。ルカに……何を言って……」
「真実だよ、黒須。君も気づいているはずだ。愛する人を“守りたい”という感情が、どれほど甘く、どれほど危険か……ああ、愛しい天使さんよ。そのもっと苦悩に満ちた顔を、わたしに見せてくれ」
黒須は拳を握りしめた。
「ルカを利用するな!」
ルシファーは穏やかに笑った。
「利用? 違う。“証明”するんだよ。愛は神よりも強い。いいか? よく聞け。神よりも強いものが愛だ。それを、君たちの関係で示してもらう」
苦しむルカと黒須を見て、サタンが笑い声を上げた。
「さあ、恋人たちよ。愛の炎でこの世界を燃やしてみせろ!」
魔界の奥底から響く轟音。
床下から紅い魔法陣がせり上がり、永炎ホール全体が振動した。
ウリエルの通信が途切れ途切れになった。
―「黒須さ………! これっ……天界と……地獄の……境界……!」
黒須は迷わず、ルカに駆け寄った。
鎖に絡まれた彼女を抱き寄せるようにして叫んだ。
「ルカ、目を開けろ! ……お前は“道具”じゃねぇ!」
「利用されてもいい。天使って天の使い……もともと道具だもの。世界を守れるなら、それで……」
「馬鹿野郎! 天使でも、人でも、道具でいい奴なんか誰一人いねぇんだよ!」
その言葉に、ルカの瞳がうるんだ。
そして、ルカの胸の奥で何かが弾けるように光が広がった。
ルシファーが呟いた。
「……ああ、あの子はやっぱり、美しい!」
サタンは、ルカの様子を見て危険を察し、ルシファーを止めた。
「ちょっと待てや、ルシファー。天使の小娘の様子がおかしいぞ。このままだと制御が効かなくなる!」
ルカの身体からほとばしる光が、鎖を焼き切った。
そして、魔界の天井から光が降ってきたかと思うと、一気に会場の結界を砕いた。
ガッシャーーン!
ウリエルの通信が戻った。
―「ルカ先輩! その光、天界と地獄両方の周波数ですよ! これ以上使うと……!』
ルカは肩で息を整えると、黒須を見つめた。
「黒須先生……もしわたしが、天界にも地獄にもいられなくなったら……」
「言うな! そのときは、俺がいる世界を選べ!」
一瞬の静寂があった。
ルカは微笑んだ。
「……了解」
光が爆ぜ、ステージの炎が一瞬で白に染まった。
観客たちは光に包まれ、意識を失った。
ルシファーはその光の中で、微かに笑みを浮かべて恍惚状態に入った。
「おおお、美しい! やはり、“愛”は神よりも、美しい……」
しばらくの間、地獄永炎ホールが真っ白な世界になった。
そして、その光が収まると、黒須とルカは廃墟と化したステージの中央に立っていた。
サタンの姿は消え、ルシファーも見えない。
ルカは膝をつき、静かに息をついた。
「……ごめん、黒須先生。わたし、またやってしまった。きっと天界も大混乱してる。せっかくの恩赦を台無しにした」
「いいさ。俺だって堕天使なのに、地獄の言う事に耳を貸さないし。お互い、職務に忠実じゃないってことで、丁度いいだろ」
二人は顔を見つめて、くすっと笑った。




