第57話 地獄サーバー・ルシフェリアコア
地獄婚活フェスの二日目
赤坂の恋愛CIAオフィスにルカたちはいた。
黒須はスマホをいじりながら、ため息交じりだ。
「なあルカ、俺らここで今日もフェスやってるけど、本当に学校、大丈夫なんだよな」
「地上時間だと、まだ日曜の午後四時。大丈夫よ」
ウリエルが、さらに詳しく言った。
「地獄サーバーは時空圧縮モードっす! 地上より七倍速で進行してます!」
黒須は「わかってるよ」と一言って、窓の外を見た。
ルカはそんな黒須の姿を見ると、胸がきゅんとした。
「生徒たちがどうしているか、心配なのね。黒須先生」
「ん? 別に、そうじゃなくて……。ウリエルの説明だと、なんかブラック企業っぽく聞こえるなぁ……と思ってさ」
「そこかよっ!」
この日は、朝から空気が重かった。
ウリエルの端末が、地獄のデータサーバーに接続されているのだが、そのモニターには膨大な数字と波形が映っていた。
黒須はモニターを覗き込みながら、額に手を当てた。
「見ただけで頭が痛くなる画面だ」
「これ、全部“愛の反応値”っすよ。昨日のフェスで収集された参加者の感情データ。
それが、地獄の中央演算システム“ルシフェリア・コア”に送られていますね」
黒須はコーヒーを置いた。
「愛の……反応値? ってなんだ?」
ルカも画面に近づいた。
「これって……感情波を数値化してる……という理解で合ってる?」
ウリエルが頷いた。
「はい、そーっす! “恋慕”“嫉妬”“献身”の三要素をKPI化して、感情エネルギーに変換してるっぽいですね。……ルシファーの仕業でしょね」
黒須は腕を組んだ。
「やっぱりルシファーか。俺の元上司だが、あいつがただの司会で終わるはずがない。こんな物騒なことしやがって」
「まあ、地獄の堕天使だからね。物騒なことするのが仕事でしょ。黒須先生だって、普通と違うじゃない」
「ルシファーは堕天使になる前から、物騒なことは得意だった」
「黒須先生、ルシファーの目的、……知ってるの?」
ルカの声に、黒須はわずかに言葉を詰まらせた。
「……昔、ルシファーは言っていた。
“神は愛を定義したが、それは未完成だ。ならば、我々が完成させればいい”ってな」
ウリエルが目を見張った。
「つまり、愛そのものを“理論化”して、神に挑む気なんすね」
ルカは小さく苦笑した。
「愛を理論化……? そんなこと、できるはずがない」
黒須は、元上司のことが嫌いではなかった。
「でも、できちまうのがルシファーだ。あいつの“理論”は、いつも美しくて、冷たい」
数時間後。
ウリエルの端末が警告音を鳴らした。
「警告:天界ネットワークに侵入試行!
発信元、地獄サーバー・ルシフェリアコア!」
ルカの表情が険しくなった。
「……監査モードに移行。天界回線を使って解析する!」
光の輪がルカの背中に浮かび上がった。
その輝きが部屋を満たした。
ウリエルが早口で補足する。
「ルカ先輩、負荷が大きいです! これ、同時に地獄データを読もうとしたら……」
「やるしかない。ルシファーの“愛の理論”が完成したら、世界の感情バランスが崩れるでしょ」
ルカの目に、金色の文字列が流れ込んできた。
それは膨大な演算式で……“愛の公式”と呼ばれるプログラムだった。
「L=Σ(E×A×J)」
※L=Love、E=Emotion、A=Attachment、J=Jealousy
ルカは唇を噛んだ。
「……愛を、嫉妬で補正してる。つまり、“嫉妬がなければ愛は安定しない”って理論か……!」
黒須の胸がドクンと鳴った。
(あれ? 俺の……昨日の反応、もしかして全部……)
ウリエルが顔を上げた。
「言っちゃっていいのかな。黒須さん? 昨日のあなたの嫉妬データ、かなり高値でしたよね。もしかして、それがルシファーさんの演算に利用され……」
「やめろ、んな馬鹿な! 憶測で物を言うな」
黒須の声が、いつもより大きく響いた。
ルカは驚いて、振り向いた。
昨日の記憶がよみがえってきて、黒須は胸が苦しくなった。
拳を握りしめたまま、ルカを見つめた。
「……ルカ、お前、昨日……ルシファーに、何を言われた?」
「……ただ、“君の光は美しい”って」
「それだけ?」
「それだけよ」
嘘ではない。だが、黒須の胸はざわめいた。
「……俺、あいつの“美しい”って言葉、信じたことねぇんだ」
ルカは小さく笑った。
「黒須先生、なんだか……この愛の公式を証明してない? つまり……嫉妬とか?」
「証明とか言うな! 笑えない! 今は真面目な話だ!」
ウリエルが笑顔で指摘した。
「黒須さん、顔、真っ赤ですよ」
「黙れ、少年天使!」
そのとき、オフィスの壁一面のモニターが突然真っ赤に染まった。
ウリエルが叫んだ。
「通信ジャックです! ルシフェリアコアから映像信号!」
画面の中央に、あの男が映った。
黒い翼、微笑む唇。
ルシファー。
「やあ、諸君。……こんにちは、昨夜はよく眠れたかい?」
ルカが睨んだ。
「ルシファー、何をする気?」
「誤解しないでくれ。わたしはただ、“愛の真の姿”を観測しているだけだ。
神と悪魔と、そして人間、その違いを知りたくて」
黒須が前に出た。
「すまないが、もうあなたの部下じゃねえから。ってか、ほとんど会うこともなかったし、部下じゃないってことでいいですよね。ああ! お前に敬語は使いたくねえ」
「回りくどい。黒須、言いたいことがあるなら、はっきりと言え」
「じゃ、言いたいことを言わせてもらう。お前の観測とは、誰かの心を弄ぶことだ。……そうだろ?」
「心を弄ぶ? 違うよ、黒須。心とは、触れられて初めて存在を証明できるんだ」
ルシファーの微笑みが、モニター越しにルカを射抜いた。
「ルカ。君はまだ“観測者”でいるつもりか? 愛を理解するには、堕ちてみるしかない。
……次のフェス、特別ステージで会おう」
映像が途切れた。
オフィスは沈黙した。
黒須の手は、小刻みに震えが止まらない。
「……あいつ、ルカを狙ってやがる」
ルカは視線を落とし、ゆっくりとため息をついた。
「かもね。でも私は、誰にも堕とされない。すでに黒須先生の手に堕ちたのに、これ以上堕ちようがないわ」
黒須は、きりっと断言したルカの顔を見つめて、ほんのちょっと赤くなった。
すると、ウリエルが素っ頓狂な声で叫んだ。
「……黒須さん、これって“感情の揺れ幅”の臨界値っすよーーー!!!」
「騒ぐなって、ウリエル!!! いちいち驚くな!」
オフィスの中で、ほんのわずかだが、笑いがこぼれた。
しかしその笑いの奥で、誰もが感じていた。
(まだ……嵐の前の静けさかもしれない)




