第53話 吸血鬼お嬢様、百年ぶりの恋
黒須は、今日も日中の教務が終わると赤坂に向かった。
(これが、常態化しないといいがな)
などと思いながら、ルカに会いに行ける絶好の機会を逃したくはなかった。
午後九時。
赤坂の雑居ビルの五階。
恋愛CIA赤坂支部の照明はまだ明るかった。
黒須は、コーヒーをすすりながらソファでぐったりしていた。
「はぁ……やっと今日の報告書終わった。俺って、いつの間にここで副業してるんだろ」
デスクの向こうでは、ウリエルが端末を操作している。
高校生くらいの少年天使。制服風のジャケットを着こなし、
金の羽根のペンをくるくる回していた。
「黒須さーん、終わったら次の案件、確認してくださーい」
「えっと、なんだっけ……」
ウリエルがモニターを黒須の方に向けた。
そこには、例の“魔界マリッジ”アプリの画面。
《吸血鬼令嬢『カーミラ・ドラクレア』があなたに“血液型マッチング”を申請しました》
《コメント:あなたの血の味、懐かしい気がするの》
黒須の顔が一瞬で引きつった。
「……怖ぇなそのコメント」
ルカがデスクで資料を閉じ、静かに立ち上がった。
「カーミラ・ドラクレア。吸血貴族の一族。よく覚えているわ。百年前、人間との恋に破れて封印されたはず」
ウリエルが補足する。
「彼女の“婚約者”の魂が転生してるんだって。……たぶん、それが黒須さん? だと、向こう側は主張してます」
「やっぱ俺かよ!!! ってか、俺は人間じゃないし、堕天使だぞ。いやいやいやいや、それはないだろ。絶対にない」
ルカが髪をかきあげた。
恋愛CIAオフィスでは、ルカが黒須の上司的な立場だ。
「拒否しても無駄。なんやかんやで口実作って、黒須先生を狙いに来るわ。召喚シーケンスが始まるころじゃない?」
「ちょ、待て、まだ心の準備が……」
黒須が言い終わらないうちに、床に魔法陣が現れ、赤く光った。
そして、黒須はお約束のように叫んだ。
「またかよぉぉぉぉ!!」
閃光が走り、黒須は消えた。
「……さて、どうするウリエル」
「え? 行くでしょ、先輩!」
「……行ったら、バトルになるけど?」
「先輩……仕事……」
「……だな」
◆
目を開けると、そこは古い洋館の中だった。
月明かりがステンドグラスを照らし、
天井のシャンデリアがゆらりと光を反射している。
バルコニーの手すりにもたれていた女が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
白い肌、長い黒髪、紅い唇。
そして深紅の瞳が黒須を捕えた。
「こんばんは……黒須先生」
「……あんたがカーミラか」
「ええ。“百年ぶりの恋”に、ようやく再会できましたわ。嬉しい」
黒須はため息をついた。
「いや、初対面だし」
「いいえ。あなたの魂の記憶が、わたくしを呼んだの」
「勝手に呼ぶな!!」
カーミラは静かに歩み寄り、指先で黒須の胸元をなぞった。
「ああ……鼓動が、あの夜と同じ……懐かしい」
「ちょ、近い、近い! パーソナルスペースって言葉知らねぇのか!?」
「心臓が覚えている……この血の流れを……」
彼女の瞳が光り、赤い唇から牙がのぞいた。
「ちょ、ま――っ!!!」
その瞬間、空気がビリビリと震え、青白い光がカーミラの牙の前で弾けた。
「さがれ!……それ以上は許さない」
ルカだ。
彼女は銀の光輪を背に、窓から降り立った。
冷たい風とともに、まるで月の守護者のようだった。
カーミラがくすりと笑った。
「天使ちゃーん、邪魔をしないで。この人はわたしの運命の人なの」
「バカな……。運命だとしても、それって更新できるって知ってた?」
二人の女の視線がぶつかった。
黒須は両手を上げて叫んだ。
「なあ! 二人とも落ち着け! 俺の血で争うな!!!」
ウリエルの声がイヤホンから響いた。
―「黒須さーん、彼女の封印魔法は“血の契約”で発動します。もし吸われたら、婚姻成立です!」
「だから止めてるんだよ!!!」
カーミラはゆっくりと黒須の手を取った。
「……怖がらなくていいの。これは愛の証だから」
ルカの声が鋭く響いた。
「それ、愛じゃなくて……捕食っていうのよ」
ルカの掌から放たれた聖なる光が、カーミラの魔法陣を包み込んだ。
闇と光がぶつかり、部屋全体がまばゆい閃光に包まれた。
「やめろって! 光と闇がバトルして何の意味がある。どうせまた地獄からの任務なんだろ。俺を運命の人に仕立て上げて。こんなのは愛じゃない。地獄の任務に巻き込まれているのは、カーミラ、君も同じだ!」
やがて、光が静まった……
黒須は床にへたりこんだ。
「……俺、今日も命からがらだなぁ」
カーミラは、息を整えながら微笑んだ。
「あなた、本当に不思議な人ね。恐れないし、逃げない。それにわたしの名前を呼んでくれた。……その優しさ、罪ね」
「いや、もうマジ勘弁してくれって……」
カーミラは黒須の頬に指を添え、囁いた。
「もし次に会うときは、ちゃんと“デート”してね」
そして霧のように消えた。
ルカは仁王立ちになって、叫んだ。
「次はねえーからなぁ!!」
◆
赤坂オフィス。
黒須はソファに倒れ込み、顔にタオルをかけた。
「……もう婚活アプリ、見るのも嫌だ」
ウリエルがココアを差し出した。
「お疲れさまです、黒須さん。血を吸われなくてよかったですね」
「慰めになってねぇぞ」
ルカがデスクで書類を閉じ、静かに言った。
「でも、ちょっとは見直したかも」
「え?」
「あんな状況で、逃げなかった。それどころか説得していた。そんなの、地獄でも天界でも簡単にできることじゃない。よかったわね、話が通じる相手で」
黒須は微妙な顔つきになった。
「それ、褒めてんの? けなしてんの?……まあ、教師だからな。逃げるより、止める方が性に合ってる」
ウリエルがにこっと笑った。
「さすがです、黒須さん! ルカ先輩の選んだ人だけありますね!」
「えっ」
「おいウリエル!」
「え、違うんですか? 僕、てっきりもう公認カップルかと」
ルカは真っ赤になりながら、そっぽを向いた。
「……ウリエル、後で通信記録を消しておきなさい」
「えぇ!? 先輩、それ脅しですか!?」
黒須は笑いながらココアを飲み干した。
「どうせ、ここで副業するなら……次は、普通の仕事がいいな」
そのとき、ウリエルの端末がピコンと鳴った。
《地獄OL『アスモデウス』があなたに“婚活セミナー招待”を送りました》
「俺……もうやだ」
「黒須先生、出動準備! ウリエル、すぐに解析を!」
「了解です、ルカ先輩!」
黒須は頭を抱えた。
「……誰か、俺の人生に“休暇申請”出してくれ」
「いいけど。わたしと会えなくなるけど、それでもいいの?」
「普通に、会えればいいだろ。デートとか……」
ルカは脅してもめげない堕天使に、少し胸キュンした。
しかし、彼女は正真正銘のツンデレだった。
「デートは時間外労働です」




