第51話 地獄サポートセンターより愛をこめて
放課後になった。
生徒たちが下校し、部活動の声が遠くで聞こえる職員室。
ようやく一息ついた黒須は、紅茶をすすりながら、手元のスマホを見てつぶやいた。
「消えねぇ……」
スマホ画面は、まだ“魔界マリッジ”のアイコンが健在だ。
削除ボタンを押しても……炎がメラッと燃えて、アイコンは復活する。
黒須は頭を抱えた。
休憩時間も試したが、スマホをリセットしても、SIMを抜いても、電源を切っても、
起動時に「地獄へようこそ♡」の音声が流れる現象は続いていた。
――そのとき。
パチッ! と何かショートしたような音がした。
そして、青白い閃光。
そのタイミングで、コピー機の上に何かがドサッと落ちてきた。
「痛ったぁ……! ウリエル、屋上って言ったじゃん!」
突然現れたルカが、スカートの裾を整えながら、きょろきょろと周囲を見回している。
「……ここ、職員室……のようですね?」
さっき校門で見送ったはずのルカの急な帰還に、黒須は驚いた。
「そうだよ! っていうか、なんで戻ってきてんだよ!? さっき、感動的に退場しただろ!」
「転送座標のバグです。地獄の婚活フェス案件で……と言っても、他の先生にはわからないか。……あ、忘れ物を取りに来ましたぁ」
「何を?」
「魔物です」
「いや物騒すぎるだろ!!!」
他の先生方は、ルカの出現に戸惑いつつ、とりあえずコピー機から降りるために手を貸した。
「ルカ先生、忘れ物ですか? 黒須先生、ボーっとしてないでお茶でも淹れてあげなさい」
「はいよ、はいよ」
なかなかの可愛らしさで職員室の人気をかっさらっていたルカ。
それに対して、黒須はいつの間にかルカの下僕的存在になっていた。
「お茶って、紅茶か? 緑茶か? ああ、ほうじ茶でいいか。あまりゆっくりされても困るしな」
その瞬間、黒須のスマホが震えた。
画面には、血のように赤い通知が良く目立つ。
《魔界マリッジサポートセンターよりご連絡です》
《お客様のアカウントにバグが発生しました。サポート職員が直接伺います》
「伺いますって……どこに!?」
黒須がつぶやいたその直後だった。
ガラッ。
職員室のドアが開いた。
黒いスーツに赤いスカーフ、ハイヒールの音をコツコツ響かせながら、一人の美女が入ってきた。
長い黒髪、漆黒の名刺ケース。
そして胸元の名札には……
“地獄婚活サポート課 リリス=ヴァーミリオン” と書かれていた。
「失礼しまーす。黒須さま、いらっしゃいますかー? 地獄マリッジ・サポート課より参りました、リリスでございます」
職員室は、凍結した。
ある先生は、コーヒーを吹きかけたまま動けなくなった。
他の先生も首をかしげていた。
「今日、なんか不思議なことが多いですな。さっきから、ルカ先生が戻ってきたり、知らない美女が訪ねてきたり、何だ今日は!? 卒業式より来客多いよな!」
同僚の先生の悪意のない声に、黒須は固まった。
「……地獄、から? はい、あの、俺が黒須ですけど……。いきなり、職場に来られても困りますね。まだ仕事中なんで……。あ、ルカ先生、いいところに来た。この方を社会科準備室へお連れして」
もう教育実習生じゃないのに、気軽に仕事を言いつける黒須に、ルカはムッとしながら特上の笑顔で応えた。
「先生方、お騒がせしてすみませーん。わたし、帰りますねー。ほほほほ」
「お、おい、ルカ!」
「もう、実習生じゃないんで……、ごめんあそばせ」
「いや、悪いと思っています。ルカちゃん、この方をどっかに連れて行って。お願い」
ルカは冷たい目線を黒須に向けてから、リリスの前に進み出た。
「しょうがないわね。……先生たちのお仕事の邪魔になりますから、お客様? あちらの部屋でお話をうかがいます」
地獄婚活サポート課のリリスは、ルカの言葉を無視し、黒須を熱く見つめて話し始めた。
「黒須さま。アカウントに不具合があったとのことで。
“恋愛偏差値0の堕天使教師”という文言が、実際より低く表示されております。
よって、“−5”から“0”へ修正させていただきますねー」
「いや、その修正、要らないから!」
「では“+5”で登録なさいます?」
「要らないって言ってるだろ!」
ルカのこめかみがピキッと音を立てた。
「黒須先生。……この方とは、どういうご関係で?」
「い、いや、関係っていうか、その、サポートセンターの……」
リリスがしれっと割り込む。
「“元カスタマー”という関係ですわ♡」
「はぁぁぁぁ!?」
ルカの頭上に雷光が走った。
職員室の蛍光灯がバチパチンと一瞬だけ点滅した。
ウリエルが小声で通信してきた。
―「ルカ先輩、屋上に転送失敗。ごめんなさい。ここにいたんですか。それにしても、物凄い電磁波……いや、怒りですね」
ウリエルに言いたいことはいっぱいあったが、ルカはまず目の前の敵を倒すことにした。
「リリスさん、……でしたっけ?」
ルカは、気を取り直してにこやかに笑った。
しかし、笑顔が怖い。
「勤務中の教師に“個人サポート”って、地獄では常識なんですか?」
「もちろんです。地獄では“恋愛サポート”も業務の一環ですので」
「ふーん……天界では、それ、“職権乱用”って言うんですよ」
二人の笑顔がバチバチに火花を散らした。
職員室の温度計が急上昇した。
リリスはスーツケースから書類を出した。
「ではこちらに、地獄婚活イベント“HELL’S MATCHING FESTIVAL”の
参加確認書をお持ちしましたので、お渡ししますね」
「そんなもんいらねぇ!!」
「あら、ご安心を。あなたの“誠実度”は現在、地獄ランキング第1位です」
「なにその不名誉なランキング!?」
「誠実すぎる人間は地獄に少ないので、非常にレアですわねー」
職員室の隅で、他の先生が小声でささやきあった。
「黒須先生、地獄でモテるらしいよ……」
「さすがに業界が違うだろ……」
突然、ルカが机をドンと叩いた。
「黒須先生!」
「は、はいっ!」
「わたし……、実習後のレポート書くので、ご指導お願いします! ちなみに場所は赤坂のオフィスで」
「うわぁぁ……」
先生たちは混乱しはじめた。
「赤坂のオフィスって、なんだ?」
「モデル事務所か?」
「いや、高級官僚が飯食う、料亭じゃないか?」
「ルカ先生って、赤坂でバイトでもしてるのか?」
ルカの勢いに圧倒され、リリスは艶やかに一礼すると、赤い煙とともに消えた。
机の上には、名刺が一枚。
《……困ったときは“リリス”まで♡》
黒須はその名刺を見て、ため息をついた。
「……俺って、面倒な方向でモテてるのか……」
ルカはじっと彼を見つめた。
「……面倒、だけじゃないと思いますけど?」
「え?」
「なにか大切なこと、試されてる気がします」
「誰に? 誰が?」
「神にも、悪魔にも、そして……」
ルカは一瞬だけ、頬を赤らめて言葉を濁した。
「……わたしたちが、です」
その瞬間、スマホが震えた。
《地獄サポート職員・リリスがあなたに“好感度+1”を送りました》
「うわ、通知早っ!」
ルカの後ろで、再び雷光がバチバチッと走った。
「黒須先生……後でゆっくり話しましょうね? では、またー」
その声が、いちばん怖かった。




