第50話 魔界マリッジ、爆誕
ハルマゲドン駅伝から一週間経った。
あの物騒な戦いが嘘のように、今日の空は穏やかだった。
青葉学院高等部は、いつもと変わらない。
窓の外から体育の授業の号令が聞こえてくる
授業の空き時間を使って、ルカと黒須は、社会科準備室で仕事をしていた。
生徒たちが提出したレポートを束ねていると、黒須の携帯が鳴った。
──ピコン
アプリの通知音だ。
ルカは見てはいけないと思いつつ、天使エージェントの習性で、チラッと見た。
それだけで情報を理解できた。
画面に見慣れないアイコンがひとつ、増えている。
血のように赤いハートマークの中に、逆さ十字のロゴ。
アプリ名は、「魔界マリッジ」
「……は? 俺、こんなアプリインストールしたっけか。最近、物忘れがひどいな」
黒須が頭を掻いている。
ルカも不思議に思いながらも、仕事中につき、無視することにした。
……という自制心はあったはずなのに、どうしても気になる。
気になりだすと、仕事に集中できない。
ついに、ルカは誘惑に負けた。
「ねぇ、さっきのアプリ、何?」
「知らねーよ。何のことだか」
「しらばっくれるな! これだよ、これ!」
ルカはアプリを指さした……
つもりが、力が入ってタップしてしまった。
「あ……」
勢いでタップした瞬間、炎のエフェクトとともに、地獄のヘビメタのような効果音が鳴り響いた。
「黒須先生、これ着信音ですか? 仕事中はマナーモードに! お願いしますよ」
「君が触ったからだろ!」
「いいえ、違うわ! これが勝手に鳴って……」
黒須は慌てて音量を下げたが、画面にはすでにプロフィール登録が完了していた。
《名前:クロス・サトル(堕天使)
職業:高校教師(恋愛偏差値0)
自己PR:「世界を救ったけど彼女できません」
いいね数:666件》
「ちょ、待て、待て、待て。誰が登録したんだよ!?」
「わたしじゃないからね」
「わかってる。そんな、怖い目で睨むなよ……」
「睨んではいない。だって、今日で実習期間が終わって、この学校とはお別れなのよ。机の上だって、もうきれいに片付け終わったし……」
ルカは白いシャツの袖をまくり、怒りながらも別れの寂しさは隠しきれなかった。
「……黒須先生、その件で、ちょっとお話が……」
ルカは、最後のHRについて相談しようとして近づいた。
近づくと恥ずかしさが先行する男、黒須サトル。
聞いてもいないのに、この堕天使教師は慌てて言い訳を並べ始めた。
「ル、ルカ? あの、これは違うんだ、勝手にインストールされて……」
「は? 聞いてもいないのに、なんでアプリの事を言う。余計に怪しい」
「覚えていないんだ。……やったのは俺じゃないと思うんだ」
この男に聞いても埒が明かないと判断したルカは、黒須の手からスマホを奪い取った。
「四の五の言わずに見せなさい。確認した方が早いわ。ああ、このアプリなら知ってる……“地獄の婚活アプリ・魔界マリッジ”。これって、天界のデータベースにも警告があったやつよ」
「そんな危険なアプリを、お前……タップしたのかよ」
「え? したけど? それが何か?……でも、登録はしてないからね。登録は黒須先生が事前にしていたんじゃないの?」
「してない! 俺がするわけないだろ!」
「……ふぅん。でも、“恋愛偏差値0の堕天使教師”って、なかなか的確なプロフィールだけど?」
「勝手に書かれたんだよッ!!」
「でも、ここ間違っている。『世界を救ったけど彼女できません』だって」
すると、スマホの画面には次々と通知が流れ込んできた。
《魔女ユーザー『ブリジット』があなたに“真剣アタック”を送りました》
《悪魔OL『リリス@地獄本社』があなたの価値観を分析しています》
《吸血鬼令嬢『カーミラ』があなたの血液型を気にしています》
「な、なんだよこのメンツはっ!?」
「黒須先生、いまさらモテ期来た?」
ルカはにっこりと笑った。
その笑顔がこわい。
「……ルカ、そんな目で見るな。俺は、婚活なんて……」
「わたしがいるのに、他の女とマッチングしようって? どういう魂胆。あ、そうか。わたしたち、付き合ってないからか?」
一瞬、社会科準備室の空気が固まった。
「え、ちょっと、ルカ、それ誤解を……」
そこへ、ウリエルの通信が、ワイヤレスイヤホンを通して聞こえて来た。
―「ルカ先輩! 黒須さんのスマホアプリ、地獄サーバー経由で勝手に登録されてます! 発信元、サタン本部です!」
「ま、そんなところでしょうね。やはり、そうか……」
これ以上、社会科準備室で話す内容ではない。
ルカは、細い腕で黒須の首の後ろをつかむと、社会科準備室から引きずり出した。
「お、おい、待て。落ち着けルカ! どこへ行くんだよ」
「こういう話は屋上で、って相場が決まっているの。何事もなく学校を去る予定だったのに……もう!」
瞬間移動で、ルカと黒須は学校の屋上にいた。
そのとき、スマホに特大の通知音が響いた。
《地獄特製♡婚活イベント “HELL’S MATCHING FESTIVAL” にあなたの参加が決定しました!》
《主催:魔王サタン/会場:地獄第七層ホール /お問合せ先:堕天使ルシファー》
黒須は頭を抱えた。
「……またサタンの仕業かよ……。問い合わせ先が、元上司のルシファーになっているし」
ルカは腕を組んで、冷ややかに口を開いた。
「黒須先生。へぇ、地獄では結構モテるんだ。人間界では打率0だったのに」
「モテてねぇよッ!!!」
「それはともかく、黙って見ているわけにもいかないわ。今日、仕事が終わったら、恋愛CIAオフィスに来てくれる?」
「恋愛CIAオフィスって、燃えたんじゃ……」
「別の場所に移転したから」
「はぁー、天界は羽振りがいいなぁ。翼があるだけに」
「その……おやじギャグ言うところ、直した方がいいよ。
それに、オフィスはもう天界出張所じゃないの。都落ちよ。雑居ビルしか借りられなかった!」
「都落ち?……ルカが東京都に堕ちたからって、そりゃおもしれぇ!」
「……ああ、頭痛い……ロクさんの口調って、黒須先生の真似だったのか」
「まあな。俺が名付け親に一役買ったからな」
「自慢してるし……。わたし、ラストの出勤日だけど、……早退したくなってきた」
最終日のホームルーム。
ルカは、青葉学院高等部1年G組の教室に立っていた。
黒板には、生徒たちによってチョークで大きく書かれた文字があった。
“ルカ先生、ありがとう!”
窓の外から光が差し込み、生徒たちの髪を揺らしていた。
「……本当に、あっという間でした」
ルカは微笑みながら、教壇に立った。
「最初は教育実習という名目で来ましたけど……、皆さんと過ごした時間は、私にとって、ただの“任務”じゃなくて、大切な思い出になりました」
教室のあちこちで鼻をすする音がする。
黒須先生は後ろの席で腕を組んでいたが、目元は少し赤かった。
「ダニエルくん、マルくん、イワンくん、マリさん、……G組の皆さん。
あなたたちは、あのとき本当に勇敢でした。
でも……“平和な日常”を守るのが、いちばん難しい戦いかもしれません。
そして、これからも自分の信じる道を進んでください」
ルカの言葉に、四人の生徒はうなずいた。
特にダニエルは、少し寂しそうに笑った。
「先生、また……どこかで会えますか?」
「ええ、きっと。だって、みんなはもう“世界を救った勇者”なんだから……。物語が終わっても、勇者には次の冒険が待っているものよ」
マルが小声で「第2章ってことだな」とつぶやき、イワンが笑った。
マリも目を赤くしながら「絶対、また会いましょうね」と言った。
チャイムが鳴った。
ルカは深く息を吸い、そっと頭を下げた。
「……本当に、ありがとうございました。皆さんの先生でいられて幸せでした」
拍手が教室に広がった。
1年G組の生徒たちから、花束をプレゼントされてルカは涙をこらえるのに必死だった。
ルカの髪が窓の光を受けて、わずかにきらめく。
その輝きは、一瞬だけ白い羽のように見えた。
校門の外。
見送りに出た黒須が、片手をあげて言った。
「気をつけて帰れよ、ルカ。……次は実習じゃなくて、本採用で来いよ」
ルカは振り返り、微笑んだ。
「お疲れ様でした。と、言いたいところだけど、本当に帰って大丈夫だよね。あとから追いかけて来ないよね。あと、さっきの赤坂オフィスの件、忘れないでよ」
「当たり前だ。さっさと帰れ」
「言っとくけど……あのアプリ削除しないと、デートしてやらないからね」
黒須は一瞬きょとんとし、それから赤くなってニコニコし始めた。
「ああ、君の怒った顔って、なんかそそられる……」
ルカは、聞こえないふりしてゆっくりと歩き出した。
そのあと、ウリエルからの通信が聞こえた。
―「ルカ先輩、次の任務……“地獄の婚活フェス”になるっぽいっす! いますぐ黒須さんの所へ戻って!」
「……え? 今、生徒たちときれいにお別れしたばかりだけど?」
―「いいから、戻ってーー!」
「えええええーー!!!! じゃ、屋上でいい?」
―「屋上っすね。了解。引き続き“魔界マリッジ”アプリを解析します!」
ルカは、曲がり角の電柱を越えると、姿を消した。




