第43話 4区:有明→お台場海浜公園展望台
「……? 敵のタスキはどこへいった?」
ウリエルはたそがれ色の空を指さした。
パン屑と小麦粉が市場中に舞い、空を白く染めると……
白と黒のタスキが、ひゅるひゅると空中を飛んでいた。
待ち構えていた次の地獄の走者は、有明テニスの森交差点にいた。
交差点に置いてあった黒い駕籠の戸がスッと開く。
中から現れたのは、グレーの着物に黒い羽織を着た爺さん落語家。
その爺さん落語家こそ、黒の騎士だった。
落語家の黒い羽織の袖から伸びた細く白い腕に、まるで吸い込まれるようにタスキは落ちて来た。
「おうおうおう! こりゃあ渡りに船ってやつでぃ! タスキがスルリと降ってきやがったとなりゃ……
へっ、死神の出番じゃねぇかい!」
飄々と笑いながら、黒の騎士はタスキを受け取り、駕籠の中に腰を落ち着けた。
担ぎ手の悪魔たちが掛け声を上げると、かごはそのままおゆらゆらとお台場方面へ向かって走り出した。
ウリエルはタブレットで、有明テニスの森交差点のこの映像を映し出した。
「それって、ずるいじゃん!」
マリは悔しがって怒鳴った。
ダニエルは無言で拳に力をこめて握っていた。
悔しがる二人の生徒の肩を、ルカがポンポンと叩いた。
「公平にしよう。……車で移動するのは、あの交差点まで。そこから先は、君が走る。いいわね、ダニエル」
彼女が指差したのは白いGT-Rだ。
ボディが点いたばかりの外灯を反射して光った。
「さ、乗って!」
ルカが運転席に乗って、助手席を開けると、マリが駆け寄り、ダニエルに白と赤のタスキを差し出した。
「ダニエル……地球の未来なんて考えなくていいわ! ただ、この瞬間を楽しんで!」
震える手でタスキを受け取ったダニエルは、深くうなずいた。
アクセルが踏み込まれると、白い稲妻のようにGT-Rは急発進した。
助手席に乗り込んだダニエルの横で、ロクさんが楽しそうに笑った。
「だんな、これはえらい速い駕籠でさぁ!」
後方から追ってきた中継車の黒須が、驚愕と怒りの混じった声を上げている。
「おい! さっきまで汗だくで走ったのに! なんでダニエルはスポーツカーなんだよ! 別にこっちの中継車だって問題ないだろ!」
運転席のウリエルはボソッとつぶやいた。
「うーん、映えるのは、先輩のほうかな……あっちの方が、ビジュがいい」
「あいつ、怪我してんだぞ!」
「ま、ここまで来れたのなら、天界のポーションが効いたってことっしょ」
「お前……、ウリエルは、ルカが心配じゃないのか?」
「心配? それより信頼の方が勝ってますね」
「何、それ。かっけーな……」
猛スピードで交差点まで突き抜けたルカは、急ブレーキで停車した。
「ダニエル、ここからは君の足で!」
「うん、……僕が走る」
ダニエルは車を降りると、白いスニーカーでアスファルトを蹴った。
軽快にのぞみ橋を渡り、お台場海浜公園の展望デッキまで一直線のコースだ。
最後の区間が始まった。
同じ頃、黒の騎士の駕籠は軽快な担ぎ声と共に、のぞみ橋を渡り切り、お台場海浜公園の展望台へ続く道を、急いでいた。
駕籠担ぎの従者たちはテンポを揃えて、声を出す。
「ほいさっ、ほいさっと! ――だんなァ! こりゃあ、どっちが先に高座にたどり着くか、勝負でござんすなァ!」
「黙って走んな!」
マジックアワーの海岸線に沿って、走る男子高校生の影と揺れる駕籠の影。
ほとんど同時に、この二つのは展望デッキへと到達した。
点灯した街灯が、まるで高座を照らし出す照明のようだった。
展望デッキの周辺とその下には、観客と化した生徒たちと、SNS越しの数万人の視聴者が集まっていた。
観衆が見守る中、黒の騎士は黒い駕籠から降り立った。
慌てる風でもなく、ゆっくりと老人は前方中央部分まで進むと、弟子たちが置いた座布団の前で草履を脱いだ。
ゆっくりと腰を下ろし、座布団に正座した。
その座布団の柄は、よく見ると世界地図だった。
ダニエルも展望デッキの前方中央部分まで歩くと、黒の騎士と向かい合わせになるように高座場所まできた。
だが、座布団が無いので直にデッキに正座した。
彼の呼吸はまだ荒く、はぁはぁ言って膝をつくと、堅い木の床が食い込んだ。
「うっ……!」
黒須は、急いでウリエルの中継車から降りた。
周囲には野次馬と報道ドローンの嵐。
全速力で展望デッキを走ってきたが、大勢の観衆に阻まれてダニエルまでたどり着けないでいた。
「誰か、通してくれ! あの生徒に渡したい物がある。おれはあの子の担任だぁ!」
その上空を、恋愛CIAのドローンが旋回していた。
ルカはGT-Rの車内で、ドローンの映像を見ながらウリエルと通信していた。
車内の通信機から、ウリエルの声。
「ルカ先輩、早くも爆弾のエネルギー値、上がってきてます! 花火システム、あと3分で点火可能!」
ルカは眉を寄せながら、モニターに映るダニエルの姿を見つめていた。
「ウリエル、まだ早い。あと10分、なんとか時間を稼げ。冷却装置はないのか?」
「了解。一旦、電源落とします。黒の騎士が堕ちた直後にリスタート予定」
ルカは、ドローンの映像を見てマイクで叫んだ。
「……黒須先生、何してる! ダニエルを応援しなきゃだめでしょ」
現場の人ごみに紛れて動けずにいる黒須は、言い返した。
「いや、行こうとしてるんだよ! だが、この人の波が……!」
黒須の体は、ポスターとたこ焼き持った観光客に揉まれていた。
「言い訳するな! あの子たちを信じてるなら、“教師”として、ちゃんと声を届けろよ!」
ルカに罵倒されて、黒須は喜びでいっぱいになった。
「ルカ……。はい、声も物資も、両方届けます!」
黒須に気が付いた生徒が、慌てて道を開けた。
「黒須先生、ここ、ここ! ここからダニエルに近づける!」
「渡し物なら、こっから放り投げたほうが早いっすよ。俺に貸して!」
「待て、放り投げんな! 外れたらどうする」
「おーい、みんなー。ダニエルにこの風呂敷包みを届けるから、頭の上で回せ―」
「はーい、次、行くよー」
体格のいい体育会系の生徒が、黒須から風呂敷包みを受け取ると、他の生徒に指示した。
みんなで、玉転がしのように、風呂敷包みを頭上で回して、ダニエルまで運んだ。
「ナイス・コントロール!」
「届いたかー?」
誰かの声と一緒に風呂敷包みが、ダニエルの頭に当たって落ちた。
ダニエルは、はっとして風呂敷を開けると、座布団と羽織と扇子が入っていた。
これは、ウリエルが準備した落語の道具だった。
いよいよ、黒の騎士との落語対決が始まる。




