第42話 結界病院007号室からGTR
病院のベッドで寝た後、黒須と生徒たちは夜明けとともに病院を出た。
ウリエルが書き換えたプログラムを実行するためだ。
そして、ハルマゲドン駅伝で地獄の四騎士と戦う日になった。
結界病院007号室。
白いカーテンが微かに揺れた。
ルカの手の甲には点滴の管。翼は包帯に巻かれ、左肩から動かせないでいた。
ベッド脇のモニターには、ウリエルが繋いだ天界ネットワークの中継映像。
霞が関から始まった“駅伝ハルマゲドン”の実況が流れていた。
マルが白の騎士と戦い巨大オセロを制すと、ルカはベッドの中で頷いた。
「……よくやったわ。あなたたち、本当に強くなった」
と静かに微笑んだ。
そして、イワンが赤い暴走騎士との走りで独走態勢に入ると、点滴をしている腕に思わず力が入った。
「わたしが守るはずだった子どもたちが、逆にわたしを……いいえ、地球を守ってくれている」
そして、タスキは三区、豊洲市場のマリへと繋がった。
彼女の前に現れたのは青い騎士……「飢餓」の象徴だった。
ルカは苦々しく笑った。
「……やっぱり飢餓だったのね、青の騎士は……。マリ頑張って!」
画面の中、理系女子のマリが必死に走っていた。
その姿にルカは小さく眉を寄せた。
「この子たち……神も悪魔も知らない。だけど、ちゃんと“地球”のために戦ってる……この子たちは、このために生まれて来た魂たちだわ」
ルカの右手がシーツを握りしめた。
点滴の滴が、ゆっくりと止まった。
次の瞬間……、画面がバチンと音を立てた。
ノイズのあと、モニターが完全に沈黙した。
天界システムの負荷が限界に達したのだ。
「……切れた?」
ルカは、ため息をひとつついた。
(どうしたものかしら……)
しばらく、ルカは天井をぼんやりと眺めていた。
すると突然、何かを決意したように、左手で点滴の管を引き抜きはじめた。
「……、もう、寝てなんかいられないっしょ!」
カーテンが風を吸い込み、夕日が沈もうとしている。
ルカはベッドから降り、窓を開けて下を見下ろし、パチンと指を鳴らした。。
結界病院の裏庭に、天界支給の白いスポーツカーが停車した。
ルカは病院の窓からふわりと飛び降りた。
そして、天界コードを腕時計式のデバイスに入力すると、車体が静かに起動し、翼のようなドアが開いた。
さっそく、ルカは包帯を巻いたまま運転席に乗り込んだ。
再び指をパチンと鳴らすと、着ていたパジャマがエージェント用の白いスーツに変わった。
バックミラーを手で直しながら見ると、傷を負った天使の顔……、
だが、その瞳はまっすぐだった。
「これが恋愛CIA、最後の任務になってもかまわない……!」
アクセルを踏み込んだ。
白い車体が黄昏の街を切り裂き、
青く光る東京湾へと一直線に駆け抜けた。
そして……豊洲市場。
遠くからタイヤのスキール音がした。
白いGTRが市場の外から滑り込み、強烈なライトが闇を裂いた。
それは豊洲市場青果棟入り口から現れ、サイドブレーキを引いて停車した。
発酵菌の小瓶を構えたマリの前に、白いスポーツカーが滑り込むように現れたルカ。
運転席の窓を開けて、息を切らせながらも鋭い目で一言。
「タスキは?」
続いてもう一台の車が到着。
GTRの次に、ウリエルの白い中継車もすぐに追いついて、青果卸し棟に急停車した。
ウリエルの中継車から、助手席の窓を開けて男が叫んだ。
黒須だ。
黒須は、白いGTRの運転手を見て思わず呆然とした。
「……おまえ、どこから車持ってきたんだよ!! ってか、勝手に病院抜け出して……何やってんだ、バカヤロー!」
天界仕様の白いGTRから降り立ったルカ。
マリは、絶体絶命のタイミングで現れた二人の教師が、救世主のように見えた。
「ルカ先生! 黒須先生まで! ああ、本当に祈りって届くのね!」
颯爽と降り立ったルカの髪は光を反射した。
すると、体育館で決起したときの何倍もの生徒たちの歓声が豊洲市場を包んだ。
「「「キターーーーーー! ルカ先生! 黒須先生!」」」
ルカは黒須の声は完全に無視し、生徒たちの歓声に応えて、ポーズを決めた。
「任務に必要なら、手段は選ばない。たとえ、わが身が滅びようとも」
このスポーツカーは、天界支給のエージェント車両だ。
サイドに「HEAVEN EXPRESS」のロゴが小さく入っている。
ウリエルはルカを見てうっとりとした。
「ほらね、やっぱり先輩は現場が似合う」
黒須は汗だくで駅伝の伴走をし、監督のように檄を飛ばし続けてボロボロだった。
「じゃ、じゃあ俺の今までの苦労は、なんだったんだよ!」
ルカは、黒須のぼやきを遮った。
「地獄も天界も、わたしたちを狙っている。あんたにできるのは走ることぐらいじゃない」
「う、罵るのか! ちくしょー! こういうのタイプすぎる―」
「はい、喜ぶイントロはここまで。任務を遂行する。今は青の騎士の魔術と戦う事が優先。マリ?……その時間、わたしが縮めよう」
ルカが指先をひと振りすると、酵母菌は一瞬で発酵を完了し、パン生地が溢れるように膨張していった。
「ルカ先生! 奇跡……!?」
ルカは両手をコンテナにかざして、黒須とウリエルに命令した。
「コンテナの扉を閉めろ! 発酵だけじゃない。加熱して焼き色を付ける。熱くなるから、生徒たちは下がってなさい!!」
「なんだよ人使いの荒いやつ。もうちょっと丁寧にお願いできねえのか」
黒須は、文句を言いながら嬉しそうにルカの命令通りに動いた。
ウリエルも笑いながら扉を閉めた。
「黒須さん、嬉しそうっすね」
じわじわとコンテナが発熱しはじめ、生徒たちは暑くて後退りした。
次の瞬間、青いコンテナは内側から膨張して押し広げられ、鉄板が悲鳴を上げた。
青の騎士も狼狽し、悲鳴をあげた。
「ま、待て……! 飢餓は、終わらな……」
最後の言葉を言い終わるか終わらないうちに、コンテナはパンでパンパンに膨れ上がり、轟音と共に破裂した。
――ドンッ!
青いコンテナが、パンの膨張で爆裂した。
青の騎士は大量のパンとともに吹き飛ばされ、空へ舞うパン屑となって消えた。
香ばしい甘い香りと共に、生徒たちの空腹は満たされ、歓声と拍手が沸き起こった。
「すげーーー! ナニコレ」
「あれー? あんなにお腹空いていたのに、今はもういいわ」
「でも、この先もまだ駅伝は続くんでしょ。これ、持って行かない?」
「そうだね、いいね。ビニール袋あるよー」
「ビニール袋、欲しい人―。こっちにあるよー」
生徒たちはせっかくだからと、パンを分け合った。
まるでスーパーの大安売りでもみ合う、おかんたちのように……。
そして、ルカは髪を風になびかせながら、振り返った。
「みんなケガはないか……? ん? 四騎士のタスキはどこへいった?」
ウリエルは、たそがれ色の空を指さした。
「たぶん、有明交差点あたりに落ちるっすね」




