第36話 終末なんてわからないけど
それは、東京中心部の地図だった。
「神による計画はこうです。天界で7人の天使がラッパを吹くとハルマゲドンが始まる。ダニエルによって封印を解かれた四騎士が、ここ東京に集結します」
ホワイトボードに貼られた、東京の地図を見て、マリが驚いて聞き返した。
「東京? ハルマゲドンは外国で起きるんじゃないの?」
「……計画では東京に、四騎士が終結することになっています」
魔力を得た転校生ダニエルは、友達に謝った。
「ごめんなさい。僕が四騎士の封印を解いて、奴らをここに呼んだからだ。僕が始めたことなんだ」
だが、マルは腕組みしながら笑いとばした。
「四騎士? またお前の妄想か?」
笑われたダニエルは真剣な顔で言い返した。
「違う! 本当なんだ。白の騎士は数字で権力を握りに来る。赤い騎士は戦争を仕掛けてくる。青の騎士は飢餓をもたらす。そして黒は……死神だ! 全部僕が想像した。そいつらは東京に来る。僕が世界の終末を呼んだんだ……」
マリは眉をひそめ、イワンは頭を掻きながらダニエルの話に困惑した。
「死神……? あんた、またギャグ言ってるんじゃないの?」
黒須は生徒たちを注意した。
「おい、病室で喧嘩するな。ルカ先生が寝ているんだぞ」
生徒たちはハッとして、口をつぐんだ。
黒須は、腕組みしながらホワイトボードを見つめると、ふうっと大きく息を吐いた。
「日本の高校生に、終末って言われても、ピンとこないだろうよ。だけど、イメージしてみろ。もし霞が関に怪物みたいなのが来て、東京港のコンテナから食べ物が消えたら? 明日のごはんがなくなる。それだったらイメージ湧かねぇか?」
イワンは、黒須の言った明日を想像してみた。
「それ嫌だ。学校でも家でも、今日みたいに笑えなくなるなんて嫌だ。だから、バカみたいことでも俺だったらやるだろな。どんな戦いでも、明るい明日が来るなら。なあ、マル」
マルは黙って小さくうなずいた。
イワンは顔をくしゃっとして、ダニエルの目の前で笑って見せた。
マリは髪を指で撫でながら、声を震わせることなく言った。
「ダニエル? あなたが一緒にいてくれれば、それで充分。わたしはあなたと一緒だったら、何でもやれる」
ダニエルはマリの言葉に、はにかんだ。
「本当?」
生徒たちが決意を固めている裏で、ウリエルはノートパソコンの画面を見つめ、眉を寄せた。
「地獄のサーバーに入り込もうとしたけど、認証が管理者にシールドされていて弾かれる。僕一人じゃ突破できない……考えが甘かったか……」
しばらく沈黙があった。
誰もが息を詰めて、ルカの眠る顔をちらりと見た。
するとダニエルが、ぽつりと不思議なことを言った。
「そのさ……あの紙切れに書いてあった呪文、覚えてる?」
ウリエルは首をかしげた。
「呪文?」
ダニエルは小さくうなずいた。ぽろぽろと書かれた文字列——“アジャラカモクレン、テケレッツのパー”——を思い出すように口に出した。
「東京地獄の四騎士計画って言うメモ。ふざけて書いてあるように見えたけど、向こうはそれを“鍵”にしてると思う。僕、あの文句、子供のころにおばあちゃんのCDで聞いた呪文に似てるって思ったんだ。だから……」
「何、そのなんとかのパーって」
「落語『死神』に出て来る呪文だよ。CDで毎日聞いてた」
ウリエルの手が震えた。
「試す……だけでも、いいっすか?」
彼は画面に向き直り、ダニエルが囁いたそのフレーズを入力した。
画面が一瞬青く震え、サーバーのロックが、まるで拍子抜けするように外れた。
皆の顔に安堵が広がった。
だがその瞬間、誰もが分かっていた。
……これはまだ始まりに過ぎないと。
「じゃあ、駅伝プランに落とします」
ウリエルは静かに言い、皆の顔を見た。
マルは大きく頷いた。
「うん、俺らのやり方で行こう。日本人らしく、足で勝負しようぜ」
マルがタスキを握りしめて、笑った。
「飛脚かよ」
「よし、じゃあイワン、あなた陸上部でしょ? あなたが走る区間を先に決めましょう。仲間を信じて走れば、怖がることなんて何もないわ!」
マリに言われて、イワンは息を呑み、目を潤ませながらうなずいた。
「わかった。俺、走る。みんなのために、ベストを尽くして走る」
夜の病室。
生徒たちがベッドを借りて雑魚寝する静けさの中、黒須はふとルカの眠るベッドの横に座り込んだ。
「……この世界を、終わらせるわけにいかない。まだキスもしたことないのによ」
その声に、ルカのまつげが震えた。
ゆっくり薄く目を開け、赤い顔で黒須を見上げた。
「……え? キス……したことないの?」
「……っ!」
黒須の顔が一気に真っ赤になった。
「起きた?」
「じゃ、いまする?」
不意打ちの攻めセリフに黒須は慌てて立ち上がり、頭をかきむしった。
「バッ、バカかお前は! そんなの、この計画を成功させてからに決まってるだろ! ばーか!」
「先延ばしにするのか。最低なやつ」
ルカはくすっと笑い、布団の中で再び目を閉じた。
(……ふふ、不器用ね。強がっている子供かよ。でも、目を開けたら……黒須先生がベッドの横にいるとか……これって罰ゲーム? ヤバい。天界の刑罰がまだ続いているの? ドキドキして苦しい)
体が悲惨な状況でも、ルカはドキドキしていた。
そんなことは知らない黒須は、顔を背け、窓の外の夜空を見上げた。
「……なんかルカに罵られると、安心するなぁ。こんな俺を天使が叱ってくれるなんて、この世界は最高だな。守る価値があるじゃねーか」
その直後だった。
ピコンッ、ピコンッ、ピコン。……
静まり返った病室に、生徒たちのスマホのLINE通知音が一斉に鳴り響いた。
「え、何? おい、こんな夜中に誰だよ……」
病室の静けさを破るように、一斉に生徒たちのスマホが鳴り出したのだ。
マルもダニエルも、布団に潜り込みながら、スマホの画面を確認した。
「うわ、なんだよこのタイミング」
「既読爆弾きたー」
ダニエルが、スマホ画面をのぞき込むと――
《黒須先生とルカ先生、早くくっついちゃえばいいのに》
《相思相愛だよね》
《あーもどかしい》
《ってか、黒須先生ってドMだったのか》
生徒たちはくすくす笑い、マルがにやっとして言った。
「黒須先生たちー、もうクラスの公認カップルっすよ」
黒須は耳まで真っ赤になり、両手で顔を覆った。
「……お前ら、なんでいちいち茶化すんだ!」
すると、
ベッドの上で眠っていたルカの唇が、ほんの少し動いた。
その声は誰にも聞こえないほど小さかったが……
「……ほんとに、もどかしいんだから」
黒須は
「え……?」
と振り向いた。
見ると、ルカは寝たふりしていたが、口元は緩んでいた。




