第30話 お台場海浜公園、別れの夜
夜のお台場海浜公園。
自由の女神像のまわりでは、たくさんのカップルたちがイチャついている。
その中に、独身アラサーの黒須が一人ぽつんとたたずんでいた。
ふと、遠くにルカの姿を見つけると、黒須は手を振った。
「おーい、こっちだ。こっち!」
「ちゃんと見えているわよ。飲み屋で待ち合わせしているオヤジみたい。もうちょっとスマートに呼べないの?」
「ハハハ、すまないな。どうだ? 天界に進展は?」
ルカは用心しながら黒須に近づいた。
「えっと、何の進展?」
「封印を解く者の覚醒についてだ。第二の獣がヤギのぬいぐるみに憑依して、落語の真打競演までしたって話だよ。天界の上司に報告したんだろ?」
「真打競演って……そこまで、報告できるわけがないでしょ! ざっと説明はしたけど特に進展は無い」
「冗談だよ。地獄側も何もない」
ルカに怒られると、黒須はいつも嬉しそうに笑っている。
だが、ルカは真剣に話を続けた。
「ええ、そうね。これは神の計画だから……どうすることもできない」
神の計画という言葉を聞くと、黒須の顔色は怒りに変わった。
「ああ、でも、これだけははっきりさせてくれ。俺は、こんな反吐が出るような計画は、お断りだぁ!」
突然の大声に、周りのカップルは驚いてルカ達を見つめた。
「声が大きい。もっと小さい声で言ってよ……。そんな……神を冒涜するような言葉」
ルカは、一呼吸おいて神に祈った。
「主よ、許し給え」
祈りの言葉がさらに黒須を怒らせた。
「俺は、許されない。絶対に! 堕天使の職務規定に入っている。許されない存在、それが俺だ!」
「職務規定?……ってあるんだ。堕天使になっても。……あんただって、以前は天使だったのに」
「ずいぶん昔のことだ」
「で? 話って何? そのためにわたしを呼び出したんじゃないの?」
黒須は、思い出したかのようにはっとして、ひとまず落ち着こうと息を整えた。
そして、ゆっくりとルカに話を持ち掛けた。
「思ったんだが……、ダニエルを停学処分にしよう」
「え? せっかく友達もできて登校できるようになったのに? どうして停学処分にする。一教員の判断でそんなこと決められるわけない。第一、理由が不明瞭だわ。まさか、……わたし達で抹殺するとか?」
「……ルカ。よく聞け。ダニエルはもう覚醒した。ハルマゲドンは動き出したんだ。止められねぇんだよ」
「まだよ。ダニエルは人間としての心を失っていない。あの子は、きっと自分で道を選べる。わたしはダニエルを信じている!」
黒須は、優等生らしい言葉が気に入らなかったのか、再びイラつき始めた。
「甘ぇんだよ! 天使様はいつもそうだ。……だが今回は事情が違う。正直に言うと、停学処分なんて甘すぎるくらいだ。本当は、ダニエルを殺すしかねぇんだよ。世界を救うためにな。俺だってこんなことはやりたくない」
「言っとくけど、あんたは堕天使。わたしは天使。わたしはダニエルを殺さない。あんたが殺せばいいんじゃない? 世界の終わりは延期されて、天使は手を汚さなくて済む」
「手を汚さなくて済む? なんだって? 自分が偉いってのかぁ!」
「そのとおり、わたしは天使だから……偉い」
ルカの言った「天使だから偉い」に、黒須は本気で怒った。
「ざけんじゃねーぞ! じゃあ、君の手でダニエルを殺すんだな、お偉いさんよ」
「わたしは、……だれも……殺したりしない!!」
二人の間に溝が広がった。
「バカげている。ルカ、君はバカだ。バカとは話したくない」
「それは、こっちのセリフよ」
「もういい。俺は逃げるからな」
「バカはそっちじゃない? 逃げるなんて無理でしょ。どこにも行く場所なんかないくせに……」
「よく聞け、天使さんよ。宇宙は広いんだ。地球がドロドロに溶けても、……二人でどこかに逃げればいいだろ!」
ルカの心はぐらっと動いた。
「二人で? 逃げる?……ふ・た・り? いつからわたしを数に入れた……」
「俺と君は、いつからの知り合いだ? 覚えてるんだろ? あれは、創世記。天の戦いの時からだぞ。そして、やっと現代でマッチングできたんだ。数に入れるさ、当然だ」
「知り合い? 知り合いなんかじゃない。わたしは天使で、あんたは堕天使。共通点なんてひとつもない。あんたのことなんて……好きじゃないし!」
ルカは黒須に背を向けた。
今回だけは、ルカに冷たくされても黒須は全然嬉しくない。
「嘘だろ、好きなくせによぉー!」
「たとえ、天界の情報を知っていたとしても、あんたには教えない。ダニエルを消すなんてもってのほか。わたしたち、敵同士なんだから!」
「俺たちは俺たちだろ。天界も地獄も関係ない!!」
「わたしとあんたは仲間じゃない! もう力は貸した。一回だけなら、という約束よ。……堕天使の黒須サトル先生、もともとあんたとは友達になれない!」
黒須はわめくことを止めた。
そして、ルカの顏を悲しい目でじっと見つめた。
「……そうか、終わりか……わかった。……ああ」
そして、ルカに背を向けて立ち去ろうとした。
ルカも、これ以上何を言っても無駄だと思い、追いかけることはしなかった。
ただ、一度だけ名前を呼んで引き留めた。
「黒須先生!」
黒須はゆっくりと振り返った。
ルカは、紙袋を差し出した。
「これ……」
「フッ、笑わせるぜ。このタイミングで、別れる男に毒薬でも贈るってのかぁ? 冷酷な天使さまだ」
「似たようなものよ。聖水だ」
「似たような物ってマジかー!! ひ、ひぇーー! ばかやろーー!」
「おっと、こぼさないで! 丁寧に扱うように」
「ほ、本物なのか?」
「上質な聖水よ。こぼしたら、あんた死ぬわよ」
「なんで、聖水を俺に……。そんなに俺が憎いのか。そこまで嫌われたか」
「ハルマゲドンを阻止しようとすることは、わたしにもあなたにも敵が多いということ。あなたがそっち側の誰かに襲われそうになったら、聖水が役に立つと思う」
「ルカ……」
「話はこれで終わりよ。さようなら」
去り際に、黒須は言った。
「わかったよ……君も世界の終わりを楽しめ」
そして、黒須の姿は遠く離れて行った。
ルカはただひとり、自由の女神像の下に立ち尽くしていた。
遠くで待機していたウリエルは、ルカに話しかけるのをためらっていた。
基本的に、部下はこの先の指示がないと動けない。
だが、彼は後輩として確認したかった。
そして、通信マイクをオンにした。
―「ルカ先輩? たった今、黒須を不幸のどん底に堕としたという認識で、合ってますか?」
「……ええ」
「そんじゃ、黒須を消すチャンスってことですね。何で消します? やはり、天界から賜った炎の剣か……、聖水の水鉄砲か……それとも、天界のライフル……」
しかし、ルカからの指示はなかった。
ただじっと黒須が去った方を見つけているだけだった。
(こんなルカ先輩は初めてだ)
ウリエルは、イヤホンで話すのをやめた。
そっと、直接ルカがいるところまで近づくと、黙って隣にしゃがみこんだ。
しばらくそのまま、じっと隣でしゃがんでいた。
10分くらい経っただろうか、ようやくルカは口を開いた。
「……わたしは、ついに黒須を絶望の海に堕としてやった。全て計画通りだ」
「はい、そうです。……でも、抹殺はしない方がよさそう……ですよね」
「ウリエルもそう思うか? 実は、わたしもそれを考えていたんだけど、抹殺する必要なくね? だって、自分で聖水持っているんだし、うっかり自分で消えるかもしれない」
「ま、いいんじゃないすっか? ってか、僕にそう言ってほしかったんでしょ? ルカ先輩」
「ばかな! そんなことはない。……帰るわよ」
「ああーっと、天使でありながら言ってはいけないことなんだけど、……、天界の動きに注意した方がいいですよ。僕は、黒須さんの言う事は一理あると思います」
「余計なことは言わなくていい。……帰る」
二人の天使は自由の女神像の周りを一周すると、すっと夜空に消えて行った。




