第3話 教育実習生として高校潜入
都内某所、私立青葉学院高等部。
朝の光が差し込む職員室に、一人の女が姿を現した。
長い金髪をきちんと束ね、真っ白なシャツに紺色のジャンパースカート。
どこか儚げで、しかし芯の通った眼差し。
清楚な美しさとどこか浮世離れした気配をまとったその姿に、周囲の教師たちがざわついた。
「お、おはようございます……!」
「今日から来る教育実習生って君?」
「うちの学校に、あんな綺麗な子来るなんて……」
彼女の名前は、ルカ・セラフィム。
天界の大天使ミカエル直属の部下にして、現在は地上に潜伏中の天使エージェントだ。
任務はただ一つ。
堕天使ルシファーの部下、堕天使・黒須サトルの監視、そして殲滅。
だが、問題があった。
その黒須サトルが、人間界でこの学校の世界史教師を続けているということだ。
それのどこが問題かと言うと……
この堕天使は、人間界が長かったため、人間らしくなりすぎた。
恋人が欲しくなり、マッチングアプリにドはまりしていた。
ところが、この堕天使は恋愛偏差値0だった。
『こんなやつ、わざわざ消す価値もない』
そう判断したルカは、この学校に潜入することにした。
黒須に、恋愛成就という幸福を味あわせてから叩きのめすことに作戦を変更したのだ。
ある教師が、ルカに声をかけた。
「ルカ先生、ですね? 今日から4週間、よろしくお願いします。あ、同じ社会科の黒須先生、ちょうど来ましたよ」
ルカは、その名を聞いて振り返った。
廊下の向こうから、ゆるく寝癖のついた黒い長髪の男が、手ぶらでやって来た。
「あー……ねみぃ……、おっはよーございまぁす。おお、新人ちゃんか。よろしくー。俺は黒須サトル、世界史担当。好きな食べ物は餃子。特技は……魚料理」
(魚の三枚おろしだろ? 餃子? ……どうでもいい情報が多すぎる)
ルカは冷静な目で黒須を見つめながらも、内心戸惑っていた。
(こいつは本当に堕天使なのか? スコープ越しに見たあの鋭さはどこへ?)
今、目の前にいるのは、だらしなくネクタイをゆるめ、書類の山にため息をついているただの教師だった。
(この堕天使、黙っていればちょっとイケメンじゃん。ブロックされる原因はやはり言動か?……)
「えーっと、じゃあ、今日から俺のクラスで副担任的な感じで入ってくれるってことで……よろしく、ルカちゃん?」
「ルカ……ちゃん?」
思わず語尾を上げたのはルカ自身だった。
(まずい……こういう接近は慣れていない)
ルカは咄嗟に、ハニートラップモードを起動した……つもりだった。
「えっとぉ……せ、先生? あたしぃ、まだわかんないこといっぱいでぇ……いろいろ、教えてくださいね?」
ニコッ。
自分でもキモいと思うほどの笑顔だった。
黒須は一拍おいて返した。
「うん、いいけど。……なんかキャラ作ってない? 無理してないか? てか、その喋り方、どっかで聞いたな……どこだったかなぁ」
(ひっ! どこの誰と間違えるんだ!? まさか、天界にいた時とか言うなよ)
「思い出せないから、まあいいや。じゃ、一緒に教室行くか」
ルカの顔が凍りついた。
渾身のハニトラを仕掛けたつもりだったのに、まるで効果がない。
(ふ、不発!? そんなはずはない。このわたしが外すなんて……、これが……これが地上のハニートラップ、その難易度の高さか……!?)
その頃、校門近くの茂みに張り付いていた天界サポート要員のウリエルが、耳元のイヤホンに小声でつぶやいた。
―「……ルカ先輩、それ罠っていうか、事故っすね。普通にドン引きされてます」
(聞いてたのか!?)
小さく深呼吸をしたルカは、誰にも分らないように心の中でつぶやいた。
(大丈夫……落ち着いて、ターゲットの懐に入り込む。……それが、天界流“恋愛誘導作戦”……コードネーム:ハートクラッシュ、作戦遂行する)
1年G組の教室で、黒須は朝のHRを始めた。
「はーい、……先生からは、以上だ。何か質問のある奴いるか?」
生徒たちは不思議に思った。
明らかに、見たこともない若い女性が、先生の横に立っているのに、担任の黒須からは何の説明もないのだ。
「黒須先生……質問でーす。先生の横に立っている方はどなたですかぁ?」
「ん? おっと、忘れてた。今日から教育実習に入った先生だ。1か月間、このクラスの副担任をしてくれる」
ルカは顔で笑って、心で愚痴った。
(ちょっとー、忘れてたとは何よ。生徒が不思議がっているだろが)
「はい、皆さん、はじめまして。ルカ・セラフィムといいます。えーーっと、名前が変わっているのは、……そ、そう! ハーフだからでーす。専攻は社会科です。えーーっと、あと何かしら……」
ある男子生徒が手を挙げた。
「ルカ先生は、付き合っている人はいますか?」
ストレートな質問に、生徒たちはクスクスと笑い出した。
ルカは笑顔を崩さずに、心の中でため息をついた。
(はい出たー。この手の質問、何百年ぶりだろう。しかも男子が聞いてきた)
「そ、それは企業秘密ですっ」
精一杯、かわいらしさを装った声で返すと、教室に笑いが広がった。
だが、ルカの心はいたって冷静だった。
(狙い通り、印象には残った。これで最低限の布石は打てた。あとは黒須の懐に……)
「おいおい、今の質問はセクハラだ。先生が怒られたら、質問した君のせいだからな。いいか、お前らが社会に出たら、いろんなハラスメントの海が広がっている。気をつけろよな」
黒須が面倒くさそうに言うと、生徒たちはさらに笑った。
「まったく……近頃の人間は……」
黒須は、教師として注意した。
その態度にルカは口をすぼめたが、一応、にこやかな笑みを浮かべたままにしていた。
すると今度は、教室の後ろの席にいた女子生徒が手を挙げた。
「ルカ先生って、モデルさんみたいにきれいですね! なんで教師を目指したんですか?」
(よし、来た。ここで“人間らしい理由”を語って印象操作だ)
「ありがとう。えっと……わたし、昔から“人と人との関係”に興味があってぇ。いろんな人の考え方とか、歴史とか……それを知るには、先生って一番近くて、素敵なお仕事かなって思ったんです」
ふんわりとした微笑みと、少し首をかしげた仕草。
生徒たちは一瞬、ぽかんとしたようにルカを見つめた。
(よし、好感度+3ってところか?)
しかし、黒須は少し眉をひそめていた。
「君さ……大昔に『人間なんて理解不能だから、せめて記録する』とか言って……」
一瞬、空気が止まった。
(マズい。バレたか)
「……言って……いたやつに、よく似てるな」
ルカは目を見開き……だが、すぐに笑ってごまかした。
「ええっ? なに言ってるんですか~、黒須先生! 大昔っていつの時代? わたしそんな大昔に生まれてませんって。生まれていたとしても、そんなこと言いませんって~。やーだー」
(くっ! あんた、どこから覚えてるんだ!? 創世記か? 若い女性に大昔が通じるのは、悪魔か天使だろ!)
「……まあいい。とにかく、お前ら、ルカ先生にもちゃんと敬語使えよ。俺と違って、真面目な先生だからな」
そう言って黒須がさっさとHRを締めくくると、生徒たちはざわめきながら音楽室へと移動していった。
黒須が職員室に戻ろうとした瞬間を、ルカは狙っていた。
ルカはすかさず、にっこり笑って近づいた。
「黒須先生、あの……マッチングアプリって、知ってます?」
「……はぁ?」
「わたし、実は使ったことなくて~、どうやって登録するのかなーなんて。もし先生がご存じなら……こっそり教えてほしいな~って♡」
黒須は少し眉をひそめると、ポケットからスマホを取り出した。
「なんで俺に聞く……別に教えるのは構わないが、何に使うつもりだ? 教育に必要か?」
「えっ? な、なにって……し、資料研究です! 今どきの高校生がどんな恋愛観を持ってるのか、フィールドワーク的な?」
「はぁ……めんどくさ。最近の女子大生は、くだらんこと研究するんだな。じゃ、わかったから、昼休み、社会科準備室へ来い」
「わーい、ありがとございまーすっ!」
(しめた。これでスマホ操作中に急接近。流れは完璧……)
ルカはかわいいアイドルを装いながら、心の中でニヤリと笑った。
―「こちら、ウリエル。ルカ先輩が順調な時ほど、問題発生率が急上昇します。よって、僕は気を引き締めてサポートしちゃうぞー!」




