第28話 ダニエルの覚醒
黒須が一年G組の教室に入ると、黒いヤギのぬいぐるみ……いや、憑依済みのロクさんが立ち上がり、両手を腰に当てて叫んでいるところだった。
「おぉっと、こりゃぁてぇへんだァ! お天道様が泣きっ面だ、こいつぁ江戸一番の大嵐ってやつよ!
おっとぉ! こっから雷鳴のご登場だァ! ピカッと光って、ドーンと来たァ! まるで浅草の花火大会だねぇ!」
黒須は第二の獣の様子を見て、唖然とした。
「なんだよ、これはよっ!」
ダニエルの体は宙に浮き、悲しみをたたえた瞳は不気味に赤かった。
教室の外では本当に稲妻が走り、木々が根こそぎ揺さぶられている。
しかも、ロクさんの実況中継は止まらない。
「見ろ、見ろ、見ろォ! 雨がどしゃ降りだ! こりゃぁスコールなんてもんじゃねぇ、江戸川氾濫の大騒ぎってやつだ!
おーっとォ! 屋根瓦が飛んだァ! 一枚、二枚、三枚……おっと勘定する暇もねぇや!」
黒須はつぶやいた。
「お前が一番騒ぎを煽ってるだろ……」
続けてルカが教室に入って来た。
教室では、ロクさんの嵐の実況中継が絶好調だ。
ルカは茫然とした。
「なんなの……どういう状況?」
黒須は両手を上げて首を振った。
「見た通りさ。ダニエルが付けたロクさんって名前さ、俺は『落語みたいだな』って言ってが、ダニエルは否定しなかった。むしろ賛成した。結果、第二の獣はご覧の通りに……」
「何、突っ立てんの! このボケ! ダニエルをなんとかしなさいよっ!!」
ルカの激しい剣幕に、黒須は嬉しそうにガッツポーズをした。
「やた! ルカが怒ると超可愛いんだけどー。あ、はい、なんとかします。ダニエル、とにかく落ち着け。何があったか知らないが、大丈夫だ。この天候は君の感情と干渉しあっているだけだ」
黒須とルカが来たことによって、ダニエルは少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「ほらな、ダニエル。そうだ、ゆっくり呼吸しろ……、君が落ち着いたら小雨になってきたぞ。その調子だ。深呼吸だ。あとは……そうだな、ルカ先生が君を家まで安全に送ってくれる」
「な?……」
ルカは黒須を睨んだ。
「ねえ、さっきから疑問なんだけど。なんでわたしが外に出てで、あんたは安全な建物の中にいるのよ。普通、逆だろ? レディーファーストって言葉知らないの?」
「うーん、可愛い! いや、適材適所だ。だってルカ先生、天使だろ? ほら、人間を守護する役目がある」
ダニエルは不思議そうに黒須とルカを見た。
「え? 黒須先生は悪魔で、ルカ先生が天使なんですか?」
ルカは慌てて否定した。
「ものの例えよー。嫌だわ、黒須先生ったらぁ。わたしが天使だなんて……オホホホホ」
「ああ、天使だろ? どっちかというとドS系の天使」
「はぁ? じゃ、あんたは何なんだよ!」
「俺は、……。おっと、子供の前でいう言葉じゃないな。とにかくダニエルを帰宅させよう」
ルカはダニエルの背中をそっと押して、その胸にロクさんを抱かせた。
「さ、ダニエル帰りましょ。帰り道はわたしが守ってあげる。わたしが護衛に着くなんて特別なんだからね。感謝してよ」
「はい、ありがとうございます。ルカ先生」
ルカとダニエルが教室から出て行くと、黒須はため息をついた。
「俺にも言って欲しいなぁ。『わたしが守ってあげる。特別よ』、だってよ! しかも、最後が『感謝しろ』って……たまらないなぁ!」
黒須はダニエルが羨ましくて、ゴミ箱を蹴とばした。
ルカとダニエルは、傘を差しながら公園近くまで歩いていた。
(傘なんかより、本当は翼の方が大きくて便利だけど……、ここはしょうがないわね)
「……ルカ先生、僕、転校してきて初めて友達が出来たんだ。でも……、またひとりぼっちになっちゃった……」
「ん? どうしたの。今日も元気に登校出来たじゃない。偉い、偉い」
「慰めですか? そんなのは要りません。僕が欲しいのはそんな軽い言葉じゃない」
「え……、なんか怒った?」
「怒ってない! 僕は、僕は、……この腐りきった世の中を変えたい。……それだけなのに、どうして誰もわかってくれないんだ! 僕が世界を支配したら、マルにはアメリカ大陸を、イワンにはユーラシア大陸を、マリにはオーストラリアをやるって言ったのに!」
「ふーん、そうなんだ。じゃ、ダニエル君の取り分はどこなの?」
「僕はここがいい。日本だ。日本が一番好きだからここにいる」
「日本が好きなの? どうして?」
「ご飯が美味しい。だから、僕はここにいる。ここから世界を変えていくんだ。僕の力で……」
ダニエルは興奮して、また体が宙に浮きはじめた
「ダニエル君、ちょっと落ち着きましょ。降りて来て、ここで話さない?」
再び、真っ黒い雨雲が空を覆い、雨が降って来た。
「なのに、なのに! 誰も僕の事をわかってくれないんだぁーーーーーー!!!! うわああああ!!!」
ダニエルが空を見上げて泣き叫ぶと、空が光り、雷が鳴った。
体が宙に持ち上げられたダニエルは、叫びながら赤いオーラをまとっていった。
ロクさんは、また落語調で実況中継を始めた。
「ひいぃぃ! 風がビュービューだぁ! こりゃまるで神田祭の山車がひっくり返ったみてぇだ! おっと、雷までゴロゴロ……って、だんなぁ!? 赤目に光っちまって、浮いてるじゃねぇか! これじゃ妖怪よりタチが悪ぃ!」
一方、そのころ。
ウリエルに守られて下校していたマルたちは、ふと足を止めていた。
「なんかさ、……あいつ、傘、持っていたのかな」
「傘がなかったら、学校の貸し出し用の傘があるじゃん」
「いや、イワン。そういうことじゃなくって……」
マルがふと空を見上げると黒い雲が、一か所に集中しているのが見えた。
「やっぱ、あいつ……ほっとけないな。ひとりで世界を変えるつもりかよ」
「新しい友達が来るって言ってたじゃん」
「でも、ダニエルってほんとうはいい人なのにね。ロクさんだって気味悪いけど、喋るとなんか憎めないよね。ダニエルに何かあったら……」
「うん、マリ、イワン、行こう。あの雨雲はきっとダニエルが起こしたんだ。僕は、このままダニエルを見捨てるのなんて嫌だ」
「でもさ、マル。あの雨雲の場所、わかるのかよ」
「わたし、わかるわ。あれはダニエルの家の近くの公園。前に行ったことあるの」
「へえ、マリったらいつの間に……」
「急ごう! 」
ウリエルは焦った。
見えない翼で宙に浮きながら、マルたち守っていたのだが、急に嵐の中へ向かうと言い出したのだ。
慌ててルカに通信した。
―「先輩! マルたちがそっちに向かいます。安全確保しながら、僕も追いますんで、よろしくっ!」
ルカはウリエルからの通信を受けて喜んで……いいのかどうか微妙だった。
なぜなら、ダニエルの体が宙に浮いていたから。
そのとき……、
突然、稲妻がダニエルの体を直撃した。
大きな爆音とともに、彼は地面に崩れ落ちた。
(しまった。わたしとしたことが……)
ルカは激しく後悔し、ダニエルを介抱しようとしたが、ロクさんのほうがもっとすごかった。
「だ、だんなっ! しっかりしてくだせぇ! おいおい、こんな嵐の中で気を失っちまったら、風邪どころか魂まで飛んでいっちまうぜ!」
ロクさんは、慌てふためいてダニエルに駆け寄ると、ぬいぐるみとは思えぬ勢いでダニエルの胸をぽすぽす叩いた。
「目ぇ開けてくだせぇ! だんなぁぁーー!」
ルカはどうツッコんでいいのか、ちょっと躊躇してしまった。
その時、マルが傘を放り投げてダニエルの元へ飛び込んできた。
「大丈夫かぁ、ダニエル! しっかりしろ!」
マルは息を切らせながら、ダニエルを抱きしめた。
「バカだな……ダニエル! お前が何者でも、オレたちの友達だろ!」
ロクさんも涙ながらに、ダニエルにしがみついた。
「だんな! このままじゃ地獄行きでぃ! このロクはあんたの墓守になる覚悟でぃ!」
イワンとマリも追いついて、ロクさんがダニエルにしがみついて泣いている姿を見た。
「……なんかさ、ロクさんがそこまで必死に心配しているのを見ると……逆に安心するな」
「ダニエルー! 一人にしてごめん。あんたの涙は、わたしたちも一緒に受け止めるから! お願い、目を覚まして!」
その瞬間、黒い雨雲が割れるように雨がやみ、陽の光が差し込んだ。
ダニエルはうっすらと目を開けて、小さくつぶやいた。
「……みんな、……ごめんなさい。僕が……変だった。僕を許して、見捨てないで」
ルカはウリエルと通信した。
「ウリエル、ご苦労。よくやった」
―「僕は何もしてませんよ。この子たちが勝手に動き出したんです。先輩こそ、嵐を鎮める奇跡を起こしたのでは?」
「いや、わたしは何も……。ダニエルが嵐を起こして、勝手に気を失ったら、嵐も勝手に……これも計画の内なの?」
―「さあ、どうでしょうね」
嵐が去った後の公園で、葉っぱのしずくに夕日が映っていた。




