第26話 授業「戦争」と第二の獣
青葉学院高等部、世界史の授業。
黒須はいつものように、よく響く声で古代文明の興亡を語っていた。
「……というわけで結局、どんな強大な帝国も、やがては滅びる。永遠の秩序など存在しない。世界は、常に誰かの手で作り直されるものだ」
そこで、ある生徒が手を挙げて質問した。
「黒須先生、世界史を学んでいると、戦争、戦争、って戦争ばかりなんですけど。なんで世界の歴史は戦争ばかりなんですか? 戦争しかしてないんですか?」
「そうなんだよ。君は良い所に気づいたね。そりゃね、平和な時って得に書くことがないから、覚えることも無い。だけど、逆に戦争してしまった、こんな悪いことがあったというのは、そこから、学ぶことが多いから記録に残す。だからだよ」
「記録に残さなきゃいけないほど、酷い事ばかりしてきたんですか? 人類って」
「そう言いたくなるのもわかる。それにしても、歴史上何度も大きな戦争が起こり過ぎだよな。じゃあ、なぜ戦争が起こるのか考えたことがあるか?」
生徒たちは、黙ってしまった。
黒須はチョークを指で転がしながら、黒板に「戦争」と大きく書いた。
「戦争が起きる理由は、いくつもある。
領土、資源、宗教、民族の違い……理由はいくらでも並べられる。だが根っこにあるのは……結局ひとつだ」
黒須はチョークを止め、生徒たちを見渡した。
「……欲からはじまる不安だよ。
もっと欲しい、奪いたい、支配したい。あるいは守りたい、正義を掲げたい。そのどれもが、人間の欲から始まる。正義や大義は後からついてくる看板みたいなもんだ」
生徒たちが小さくざわついた。
黒須は構わず淡々と続ける。
「正義を掲げたいという奴は面倒だよ。自分は正しいと信じて戦争してるんだから。話し合いで解決できるなんて理想論だ。正しいかどうかなんて関係ない。言い負かす、打ち負かすことが目的になっちゃってる。そこを理解するには、その民族の歴史を知らなければ無理だ」
黒須は口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「だから、学ぶんだ。相手の歴史と考え方を知るためにな。大人になって、訳が分からないまま戦争になるのは嫌だろう?……まあ、だからこそ俺みたいな“世界史教師”の飯の種も尽きないんだが」
教室の空気が一瞬しんと静まった。
生徒たちは戸惑いの反応だった。
「先生、それブラックジョークすぎ!」
「いや、でも確かにそうだよな」
などと、笑い混じりの反応が返ってきた。
「ああー、まだ説明は途中だ。不安も戦争の原因だ。相手に奪われるかもしれない、裏切られるかもしれない。そういう不安が、武器を取らせる。実際にトラブルが起きると、悲しみは憎しみに変わり、止まらなくなる。そして連鎖反応が起きる。人は争わずにはいられない存在なんだ」
黒須の目が、ルカのほうを向いて止まった。
何か不穏な空気を感じたのか、必死に目でルカに危険を知らせていた。
ルカは、校庭から邪悪な臭いがするのを感じ取っていた。
(何かが始まる……、だから黒須はこんな授業を?)
黒須はわざと口元を笑みに歪め、授業を締めくくった。
「だから歴史は、戦争の繰り返しになる。……さて、次回は近代ヨーロッパの革命についてだ。毎度のことだが、先生は教科書通りには進めないからな。無駄な予習はするな。復習だけしとけよー。あとは自分で考えろ」
歴史の授業が終わると、お昼休み時間になった。
いつもなら、さっさと教室を出ていく黒須だが、今はダニエルから目を離さないように残っていた。
「あーーっと、ルカ先生。購買部からカレーパン買ってきてくれ」
「はぁ?! わたし雑用係じゃありません……けど?」
ルカは、黒須の言った言葉に最初はカチンときたが、すぐにその意味がわかった。
(『外の邪悪な臭いの正体をつきとめろ』という意味か。それで、あんたはダニエルを守ると……)
ルカは、邪悪な臭いを確かめに教室を出た。
(黒須が言っていた、第二の獣か……。待て、これって仕事が逆じゃない? 天使が生徒を守って、堕天使が邪悪の正体を確認しに行くべきじゃないのか?)
昼休みの鐘が鳴ると同時に、校庭に一匹の黒猫が迷い込んできていた。
瞳は妖しく金色に光り、素早く走って校舎の中に入り込んだ。
「あ、猫ちゃんだー」
「ノラ猫? どこかの家猫?」
「黒猫だ。幸運が舞い込むかも」
「やだー。気持ち悪いよー」
黒猫は、真っ直ぐにダニエルの1年G組の教室へと向かって走る。
――教室。
そのころ教室では、ダニエルのまわりに友達が集まっていた。
黒須は何気ないふりしてダニエルの近くに座っていた。
「ねえ、遊園地の戦利品だよな。そのぬいぐるみ、かわいいじゃん」
「ね、ダニエルくん。その子ってほんと可愛いよね! 黒ヤギってのがいい!」
「うんうん。昨日も一緒にカフェ行ってたでしょ? 見たよー」
「やめろよ、そういうこと言うなよ……」
ダニエルは赤面しながら、黒ヤギのぬいぐるみを抱きしめていた。
もふもふの毛並み、大きなボタンの目、リボン付き。
彼にとっては単なるマスコット以上の存在、まるで家族のように大切な存在になっていた。
なぜなら、尊敬する黒須先生が、射的で獲ってくれた戦利品だからだ。
ダニエルは、黒ヤギのぬいぐるみを学校に持ってくるほど愛していた。
黒須は苦笑いした。
「ダニーの子守やぎだな」
「黒須先生、わかるー。癒し担当部員ですよね」
「名前は何ていうの?」
ダニエルはちょっと詰まった。
「名前はまだ……」
――廊下。
一方、そのとき廊下にいたルカは、黒猫を見た途端、獣の存在を全身で感じた。
(これは地獄側が用意した器だ。器の中の獣に名前をつけた瞬間、ダニエルは目覚めてしまう)
黒猫を見たルカは、ウリエルに通信を飛ばした。
《ウリエル、猫を引き離せ。あれは獣の器だ。鳩になっておとりになれ》
―《うぃーっす。ちょっくら猫ちゃんと遊んでやるか》
次の瞬間、窓の外から白い鳩が校舎の中に舞い込んできた。
バサバサと羽音を立てて廊下を飛び抜けると、黒猫は即座に反応した。
だが、猫はプログラムによってダニエルに近づくようになっている獣だ。
ダニエルの教室の手前で、猫は一瞬足を止めた。
獣はプログラム通り、ターゲットのダニエルに憑依しなければならない。
だが、猫の本能がハトを追いかけてしまう。
―「ほーら、ほら。猫ちゃーん。こっちだよー」
猫とウリエルの追いかけっこが始まったころ……
教室では……
黒須が神経を張り詰めて、生徒たちを守っていた。
(……来るな。まだ時期じゃない……! ん? だめだ。……見つかった)
黒須はそれを一瞬で危機を察し、立ち上がった。
そこへ、昆虫採集用の網を持った生活指導の先生が、廊下を走って来た。
「おーい!!! 校内は関係者以外立ち入り禁止だ! 猫もハトも、俺が撃退するからな! 生徒は下がってろ!」
突然入って来た生活指導の先生によって、ウリエルは行く手を遮られた。
―「しまった!」
ルカと黒須は、叫んだ。
「「ウリエル、逃げろ!」」
鳩になったウリエルは、やむを得ず教室に入るしかなかった
すると、猫も教室に入る。
ルカは叫んだ。
「黒須先生! 先手必勝だっ!」
黒須は、ルカの言葉の意味を一瞬で理解した。
いきなりダニエルたちの会話に入ると、言った。
「そうだー。名前を、この黒ヤギに名前をつけようぜ!」
ダニエルは真剣に考えた。
「せ、先生、そ、そうですね。んーっと……、ロクさん?」
「ロクさん?」
「うん、666で……ロクさん」
黒須はダニエルの発想の斬新さが面白くて、笑ってしまった。
「あー、なるほどな。ははは、なんだそれ。落語に出てくるキャラみたいじゃねーか」
すると、ダニエルの顔がぱぁっと明るくなった。
「そうです! 落語のロクさん!」
その瞬間、地獄の獣は黒猫の口から煙のように出て、黒ヤギのぬいぐるみに宿ってしまった。
鳩になったウリエルは、教室の窓から羽ばたいて消えた。
猫も一緒に窓を飛び出し、下の花壇にきれいに着地すると、「にゃー……」という不満そうな鳴き声あげ遠ざかっていった。
こうして、地獄が期待を込めて送り込んだ器は、あっさりお役御免となった。
たった今、教室で凄いことが起きたのだ。
だが、その意味を知っているのは、この教室で黒須とルカしかいなかった。
生徒たちは、普段通りにおしゃべりしている。
ルカはダニエルの側に近づくと、小さな声でささやいた。
「帰りの時間まで、ぬいぐるみは机の中にしまったほうがいいわよ。生活指導の先生に見つかったら大変だから。勉強に関係ない物だからって、没収されちゃ嫌でしょ?」
ダニエルは黒須の方をちらっと見て、助けを求めた。
「ああ、ルカ先生の言う通りだ。しまっとけ」
「わかりました。ごめんなさい」
黒ヤギのぬいぐるみに憑依した獣は、狭い机の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれた。




