第25話 地獄から獣がやってくるってよ
第4地獄東京分室。
獣の唸り声が響いていた。
邪悪なサタンから、権威と支配を与えられた獣の唸り声だ。
獣は鉄の檻に繋がれていた。
分室長ハエの紳士と一緒にいるオタク部下が、獰猛な獣を見て言った。
「これが、偽の救世主である第二の獣……ですか」
「正確には、まだ違う。これから第二の獣になる予定だ。人間界に紛れて、ダニエルという少年の側にいられるよう、猫や犬などに憑依させる。四六時中、ダニエルの側にいて地獄側のサポートをするのだ」
このハエ紳士の言っている意味は、こうだ。
第一の獣は、サタンのことを指す。
そのサタンから力を与えられた獣を、第二の獣という。
ダニエルの側にいつもいられるよう、その辺にいる猫や犬などに第二の獣を憑依させる。
そして、獣がいることでダニエルは覚醒する。
覚醒したら、神の巻物の封印を解き、偽の救世主となり、人々を惑わす計画だ。
天界の戦いに敗れたときから、地獄はこの機会を待っていた。
オタク悪魔が思わずつぶやいた。
「でかい……っすね」
「獣だからな。もちろん、このままの姿で学校に放したら、人間もダニエルも警戒するだろ。だから、憑依する動物の準備をしろって指示した……よな?」
別の部下が膝まづいて応えた。
「御意。黒猫を、校庭から教室に忍ばせる手筈になっております」
ハエ紳士は、満足したようにうなずいた。
その部下は念を押した。
「一応、黒須の担当エリアですが……、知らせますか?」
「いや、知らせるな。あいつは信用できない。どうせ、知らせたところで計画を止められはしない。ハルマゲドンの戦いで、今度こそ我ら邪悪な軍が、勝利するのだ!」
――そのころ、
青葉学院高等部の社会科準備室で、ルカと黒須は一緒に授業の準備をしていた。
ふと、黒須が資料をめくる手を止めた。
「やることはやったが……、なんだか嫌な予感がする」
「どうした? ダニエルにはとてもいい友達ができたわ。自分に自信がついたのか、しゃべり方も明るくなったし、いい傾向だわ」
ルカがいい傾向だと言っても、黒須は嫌な予感に気を取られていた。
「あ、わかった、嫌な予感の正体はあれだ。第二の獣だ。地獄の奴ら……俺に無断で、学校に獣を解き放つつもりだな……」
「第二の獣? ……そんな話、聞いてたっけ?」
「あああーー、言ってなかったっけ?」
黒須は自分のミスに気が付いて、思わず額に手を当てた。
「地獄から送られてくるんだ。ダニエルの側について、あらゆる害から守りながら、ダニエルを偽の救世主に仕立て上げるという……」
「ちょっと待て。そんな重要な事、普通、言い忘れる? 学校に急に獣が来たら、大騒ぎじゃないの。どうすんの。そんなことになったら、先生たちが警察を呼んで、猟友会なんかも来て……学校はパニック状態に」
「誰も気にしないって。学校ってそんなもんさ」
「は? 何、余裕ぶっこいてんの?」
「ダニエル日辻は、第二の獣に名前を付けるだろう。それが……終わりの始まりだ」
「ちょっと待て、待て。天使エージェントは、そんなことさせない。獣が来たら、まずわたしが銀のスナイパーライフルで撃ち抜く。警察を呼ぶより早いわ」
「いくら天使さんでもそれは無理だ。だいたい、生徒たちの目の前で、君がライフルを撃つ姿を見せられるか? 銃規制のある日本だぞ、ここは。それとも、君が猟友会の黄色いジャンパーを着るってのか?」
「う……そうよ。猟友会に入っていると言えばいい。黄色でもなんでもジャンパー着るくらい、どうってことないわ」
「やめとけ。余計混乱する。……俺たちがやってきたダニエル日辻人間化計画。それが成功していれば、あの子は獣を追い払うはずだ。そしたら、俺たちの計画は成功したと言える」
「ええ、そうね。……でも万が一、名前をつけたら……?」
「俺たちの計画は失敗。ダニエルは覚醒して神の封印を解く。ハルマゲドンが始まる」
ルカは黒須の横顔を見て不安になった。
「何か止める方法があるんでしょ?……」
「……あるさ」
「それは、何?」
「ダニエルがいなければ……、ハルマゲドンは始まらない」
「は?……意味わかんない。でも、ダニエルはいる。学校に今日も元気に登校している」
「……でも、流れは帰られる。そうだなぁ、ダニエルに何か起きるとか……」
ルカは、黒須が言っている意味がわからなかった。
だが、少し考えてからもう一度、黒須の顔を見た。
「まさか……」
「殺せばいいって意味だ」
ルカは、軽く目まいがして机に手を付いた。
今まで天使エージェントとして、悪の組織と戦ってきたが、人間を殺したことはない。
社会科準備室の前の廊下を、生徒たちがキャーキャーと笑いながら通り過ぎて行った。
なんでもない日常生活のすぐ隣で、黒須とルカは世界が終わる話をしていた。
「わたしには……できない。何の罪もない少年を殺すなど……」
「すべてを助けるためでもか?」
ルカは顔をそむけた。
黒須はなおも説得し続ける。
「一人の命と、地球全体だぞ」
ルカは迷っていた。
そもそも、一人の命と地球全体を、比べてみてもいいのかさえわからなくなった。
「やっぱり、わたしが獣を撃ち取る!」
「はぁ? さっき言っただろ。君の正体がバレたらここにいられなくなるんだぞ……」
「どうせ教育実習生だもの。あと少しすればいなくなる身。平気だわ」
「学校だけじゃなくて、人間界にもいられなくなる。下手すりゃ、天界にも地獄にも……。命の書から存在を消されるかもしれない。よせ! そんなのダメだ。俺が許さない」
「大丈夫、これまでターゲットを外したことはないから。成功率は常に百パーセント。引き金を引いた瞬間に、ミッション・コンプリート!」
「ああ、やめてくれ。頼むから……」
「ポーズはこんな感じで決める?」
ルカは、ハリウッドのアクションスターよろしくポーズを決めて見せた。
「やめろって! 君がここにいられなくなったら、俺はどうすればいいんだ」
「え? 今までどおりじゃん。元に戻るだけでしょ」
「君とマッチングしたこと、……なかったことになんか出来ない!」
「え、まだ信じてた? この恋愛偏差値0が?」
「言うなよ……、まだ手も繋いでいない……」
「繋いだじゃん。忘れたの? 屋上で繋いだでしょ」
「あれは、握手だ。意味が違う」
「握手でも、繋いだことになる! 接触範囲は同じでしょ」
「くっそ……ああ、繋いだ、繋いだ。もう、これで勘弁しろ!」
黒須は適当に相づち打ちながら、思わず口角があがってしまった。
「もういいか?……さ、授業に行くぞ」
ルカに怒られると、つい緩んでしまう顔を誤魔化したくて、黒須は授業に行こうと席を立った。
それに対してルカは、いっそう不機嫌になった。
話を早々に切り上げられたことに対して、この天使はご立腹だったのだ。
「……んだよ。もっと食い下がれや! もう終わりかよ、この堕天使!」
黒須は教科書を持ちながら、罵られる幸福を噛み締めていた。




