第24話 上司への報告
青葉学院高等部の敷地内に、今は使われていない合宿所がある。
月もない漆黒の夜だった。
黒須は、今日の勤務を終えると、その廃屋のような合宿所にやってきた。
壊れた玄関から、土足のまま中に入り、合宿所の中を歩くと洗面所として使われていた場所に入った。
洗面所には古ぼけた鏡が数枚あって、その中の一枚が地獄へ通じるゲートになっていた。
黒須は鏡に自分の顔を写した。
魔力ノイズで顔がぐにゃっと歪み、「一致率 89%」と、現代的な表示が出た。
鏡の顏認証に三度失敗し、黒須は舌打ちした。
「ちっ! 顏認証ってのは不便なもんだな」
三度失敗した後、鏡に数字が浮かびあがり、指でパスコードを打ち込むと、それは淡く光った。
次の瞬間には、黒須の足元はひんやりとした石畳の上に立っていた。
湿った空気が頬をなで、薄暗い地下通路が奥へと続いている。
歩みを進めると、黒ずんだ鉄扉の向こうに「第4地獄」の看板が見えた。
部屋の奥進むと、東京分室長が椅子にもたれており、その周りをハエが数匹飛び回っていた。
東京分室長は、片目だけで黒須を見た。
「ダニエル日辻の監視はどうだ」
黒須は、室長の機嫌が良くなるように、言葉を選んだ。
「すぐれた子ですね」
「悪なのか」
「見事なほどに邪悪ですよ」
「誰か殺したか」
「いえ、まだ。……でも、殺しだけが邪悪じゃないのじゃない……でしょ」
「……かもな」
室長は煙草をもみ消し、目を細めた。
「何か問題は起こっていないか。その……天界との間に」
「ご安心ください。奴らは何も気づいていません」
真っ赤な嘘だった。
だが、堕天使にとって嘘は、挨拶みたいなものだ。
「そうか。とりあえず、ここに今期の成績表を持ってきた。お前の成績を読み上げようか? 黒須」
「ええ、そうですね。そうしていただけると、読む手間が省けます」
「誘惑度:C、契約成功率:C、破壊衝動:E、だ」
「相変わらずカオスな評価基準ですね」
「これでも、甘いくらいだ。他人事みたいなことを言っている暇はないぞ。そろそろダニエル日辻は覚醒する。そのときは、お前の出番だ。名誉挽回の機会だと思え」
「お任せください」
黒須はにやりと笑い、分室を後にした。
ハエの室長は頷いたが、その眼差しは氷のように冷たかった。
「あいつは、人間界に長くいすぎた。人間臭さが鼻につく……俺はあいつを信用していない」
明らかに、黒須を疑っていた。
ただし、悪魔に信用という言葉があればだが……
一方その頃、赤坂の天界出張所では。
雲を踏むような無音と共に現れたミカエルは、ルカの前に足を組んで座っていた。
「ダニエル日辻の監視はどうかな?」
ルカは柔らかな笑みを浮かべ、答えた。
「あの子は、光の影響を受けて、いい子に育っております」
ミカエルは静かに目を細めた。
嘘か誠か、審議しているような目だった。
それでも、知らん顔して話を続けた。
「それは素晴らしい。ところで、半年に一度の天使成績表がきている。受け取るがよい」
「はい、ミカエル上官」
ルカは、ミカエルから成績報告書を受け取ると、中身を確認した。
項目は「奇跡発動成功率」「人間界での潜伏能力」などで評価Aが並んでいた。
その中で「慈愛度」だけがBだった。
Bの横に注釈がついていて、「(善行は多いが、ツンデレ気味)」と書かれていた。
「評価を落したな」
「申し訳ございません」
「まあ、いいだろう。ルカは一生懸命やっている。たとえ君が失敗したとしても、それは神のご意思だ。気にするな」
「はい……、え?」
「ダニエル日辻は間違いなく封印を解く子だ。ルカ、心配する必要は無い。すべては神の計画通りに進んでいるのだ。我々が最終的には……、勝つ。それは避けられない」
その言葉に、ルカの胸に小さなざわめきが生まれた。
それでも表情は変えず、にこにこと微笑んだ。
「失敗したとしても、神の計画通り……なんですか」
心の奥底で、静かに不安が広がっていた。
その夜、ルカの方から、アプリで黒須にDMした。
《ちょっと話がある》
《俺に会いたいのか。恋愛CIAのお告げは効果抜群だな》
《違う。会いたくない。聞きたいことがある》
《会いたくない……って、そんなはっきりと言わなくても》
《……聞きたいことがあると、言っている》
《俺の悪魔の成績表のことか? それならいつも通りだ、最悪の評価だった。地獄だから最悪でいいんだがな。君はどうだった》
《一個だけB。慈愛度がね》
《そうかぁ。慈愛度だけBで、あとはCとDだったのか。お気の毒にな》
《違う。なんで、わたしがそんな成績……》
《ああ、ごめん、ごめん。DとEだったか》
《あんたバカにしてるでしょ!……んなことはどうでもいい。聞きたいのはダニエルのこと》
《ダニエルがどうかしたか》
《あの子が覚醒したら、……わたし達で止められるか?》
《……まあ、無理だろな》
《……そう。わかった。ありがとう》
ルカはアプリを閉じて、ため息をついた。
自分達には止められない計画なのだと思うと、クッションを抱えてソファに沈みこんだ。
だが、黒須はずっとスマホ画面を見ながら、次の返信を待っていた。
もう相手はアプリを閉じたとは思わずに、黒須は朝まで返信を待ち続けていた。
(で? それで? ワクワク……)




